ロボット修理屋の少女

ロボット修理屋の少女 第5話「第4章」

聴聞の封筒は、まだ机の上に置かれていた。動力管理局のロゴが淡く透かしになった厚紙は、菜緒の視線を追って冷たい影を落とす。朝の光が工房のガラスを斜めに切り、埃の粒が一点のダストを描いて漂っている。外からは港のざわめきと、遠くでくぐもるラジオのノイズ。それはいつもの背景音のはずだったが、今朝は何かが違った。町の闇に紛れて、人の足音とは別の規則正しいリズムが増えていることに、菜緒の胸はぴくりと反応した。

聴聞の封筒は、まだ机の上に置かれていた。動力管理局のロゴが淡く透かしになった厚紙は、菜緒の視線を追って冷たい影を落とす。朝の光が工房のガラスを斜めに切り、埃の粒が一点のダストを描いて漂っている。外からは港のざわめきと、遠くでくぐもるラジオのノイズ。それはいつもの背景音のはずだったが、今朝は何かが違った。町の闇に紛れて、人の足音とは別の規則正しいリズムが増えていることに、菜緒の胸はぴくりと反応した。

「見つかったかもしれん」房雄が低く言った。彼はいつものように作業台の脇に立ち、手元の皺だらけの指で古い歯車を回す。赤いペンチがそのすぐ傍らで淡く光った。微かな傷が、ペンチの柄に刻まれている。菜緒はその傷を何度も見た。いつもより、少しだけ傷が深く見えるような気がした。

ユウタが裏口から息を切らして入ってきた。顔に少し土の跡が付いている。彼は。と、と小さな笑いを押し込むようにして、紙の束を菜緒に差し出した。「回収屋の巡回スケジュールが、ここ二日で増えてるって。港の方で『古物回覧』って看板下げた連中が動き回ってる。足が速い連中だ。古いパーツを見つけたらすぐに解体して転売するってさ」

菜緒は無言で頷いた。回収屋──町ではそう呼ばれる連中は、外見は小さな業者でも、中身は利益優先の解体屋だ。旧式の部品さえも、彼らの手にかかれば消え、記憶は消去される。菜緒の能力、記憶継写(メモリーミラー)で蘇らせた癖が、闇市場で「売り物」に変えられてしまう。彼女は思い浮かべた。先日の夜、工房の窓に映った巡回の影。ラジオのノイズがいつもより鋭く割れたこと。封筒を握る手に微かな力が入った。

「夜にパーツを分散して隠しておいた方がいい」藤堂が言った。彼女は端末の画面を菜緒に向け、古い保守記録の暗号の一部を指で示した。「回収屋は大体、港沿いの倉庫と小路を根城にしている。ユウタ、尾行で何か掴めたか?」

ユウタは肩をすくめる。「今日の夕方に尾行した。そいつら、三人組で動く。スカーフをした男が中心で、工具箱の扱いが上手かった。エンブレムみたいなのは付けてないけど、工具の傷が揃ってた。何か、同じ型のペンチを使ってるように見えた」

菜緒の掌がペンチの柄に触れた。赤いペンチは冷たく、彼女の掌の熱を吸う。その微小な傷が、ユウタの言葉を齟齬なく結び付ける。房雄の指先が、小さく震えた。彼は一瞬言葉を濁したが、すぐに笑ってごまかした。「昔の仕事仲間が集まってるんじゃろ。擦り合う工具の跡は、仕事の歴史でもある」

しかし菜緒は房雄の声に含まれる何か——躊躇と抵抗の匂いを嗅ぎ取った。赤いペンチの微傷は、単なる歴史のしるしではない。ある種の共通項を示す手がかりだ。彼女の中に、前史の残像が薄く揺れた。十夜静の研究ノートの断片が、歯車の細かな嚙み合わせの意味をささやく。

「夜になる前に、本当に分散させる」菜緒は決めた。使える時間は限られている。彼女は自分の能力を安易に使わないと決めていた。継写の条件は厳格だ。直接触れること、赤いペンチと絶縁布を用いること、声をかけることで癖を再生する。禁止――軍事回路、人体の記憶遮断。代償は残酷だ。継写するたびに彼女は短期記憶の一つを失う。今日失った一つが、もう何であったかを探すのは疲れる作業になっていた。

「今回は継写を使わない。使えば、また二三個、何かが抜け落ちる」菜緒は口に出して言った。彼女は覚悟を持って、代償を避ける選択をしたのだ。それは守るための守り方でもあり、同時に自分の輪郭を保つための最低限の防衛でもあった。

隠す場所は決まっている。床板の下、古い本の中、房雄の工具箱の二重底、そしてロクサの腹側の小さな缶。ロクサは、その夜こそ眠らせておくつもりだった。だが菜緒はロクサを見下ろすと、ふっと笑った。「ロクサ、頼める?」

ロクサは首をかしげ、LEDの目を細めた。「はい。忘れものを届けます。忘れものを届けるのが好きです」

その癖は、彼女が修理したときに蘇ったものだった。ロクサは小さな家事ロボットだが、その「忘れ物を届ける」癖は単純な動作の連続記録によって定着している。菜緒はその癖を悪用するつもりはないが、今は防御に使える機能が必要だった。彼女はロクサの習性を利用して、回収屋の注意をそらすための小さな罠を作ることを思いつく。

夕暮れが町を包み、港の灯りが一つまた一つと点る。菜緒、藤堂、房雄、ユウタの四人は手際よく動いた。古いパーツの多くは、外見は使えそうだが、記憶を伴う重要な部分はより深く隠した。古い制御ユニットの一つは、外側をさび付いた日用品で覆って本棚に差し込んだ。ロクサには二つの小さな包みを持たせた。一つは本当に届けるべき「忘れ物」の偽物。もう一つは、もしもの時に敵の注意を引くための布切れだ。その布は香料をしみこませてある。菜緒が子供の頃に嗅いだ蜜柑の香りの合成だ。記憶の匂いは人の手を止める。

ユウタは、連中の尾行を続けると約束して出て行った。だが彼が戻ったのは、予定よりずっと早かった。息を切らし、額に冷たい汗をにじませている。彼の眼が少し遠い。「見つかった。尾行してたら、路地で見つかって、追いかけられた。やつら、刃物までは使わないけど、脅しはする。俺、追い詰められて…逃げた」

菜緒の喉がきゅっとなった。彼のポケットから、擦り切れた名刺が落ちる。そこには赤い歯車を簡略化したような刻印があった。ユウタはそれを拾って震える手で見せた。「こいつが、見つけた者の合図だって。合図を受けると、近くの仲間が集まるんだ」

「行く」房雄が言った。だが菜緒は彼を止めた。夜の狭い路地は武装した連中にとって有利だ。彼らは人数で押せば大抵の抵抗は沈黙させられる。藤堂は黙って端末を開き、周辺の監視ログにアクセスを試みたが、古いアナログ路地では監視カメラも少なく、ログはあまり頼りにならない。

「ここで賭けをするのは嫌だ」藤堂は言った。「菜緒、継写を使うか、何か他の工夫をするか。どちらにしても、リスクはある」

菜緒は黙ってロクサに近づき、布切れの一つを差し出した。ロクサは受け取り、小さく首を傾げる。菜緒は自分のリスクを計算した。継写を使えば、ユウタが捕まった場合に彼の記憶を導き出して救出の手がかりをつかめるかもしれない。しかし代償は確実に来る。今日の彼女には、もう削れる記憶が少なかった。彼女は自分の笑い方の一部をもう二度と取り戻せないかもしれない。

「ロクサ、外に出て、あの連中が通る路地に行って。『忘れ物を届ける』って行動をして。そいつらの一人がそれに気づくようにするんだ。気づいたら、そいつは手を伸ばして布を取るはず。人は忘れ物を取ると、手元を止める。それを利用するの。ユウタはその隙に逃げる。房雄さん、窓から外を見て、合図をくれ」

房雄は頷いた。彼の目にはあきらめとも言える決意が浮かんでいる。ユウタは小さく笑ってから、すぐに顔を曇らせた。「菜緒、見つかったとき、やつらに名刺を渡すと仲間が寄ってくるって言っただろ。もし誰かが捕まったら、どうする?」

「それでもやる」菜緒は短く言った。声に揺らぎはなかった。誰かを守るために、自分が何を失うかを選ぶのは彼女の仕事だ。だがその決心は、使えないほど無謀ではない。彼女は禁