ロボット修理屋の少女

ロボット修理屋の少女 第18話「第16章」

夜の海は鈍く光り、波はゆっくりと埠頭の古い杭を撫でていた。菜緒は工房の扉を締めたあと、いつもの場所にある小さな椅子に座っていた。手のひらで青いジャケットの裾をつまみ、布の匂いを鼻腔に押し込む。匂いは薄れているが、そこにあるだけで静の声が、遠いところから掠れたように届く気がした。ラジオの小さなノイズはいつも通りで、LP盤の針が微かに擦れる音が部屋の片隅で反復している。彼女はそのノイズに耳を傾けながら、ユウタが出た夜を反芻した。

夜の海は鈍く光り、波はゆっくりと埠頭の古い杭を撫でていた。菜緒は工房の扉を締めたあと、いつもの場所にある小さな椅子に座っていた。手のひらで青いジャケットの裾をつまみ、布の匂いを鼻腔に押し込む。匂いは薄れているが、そこにあるだけで静の声が、遠いところから掠れたように届く気がした。ラジオの小さなノイズはいつも通りで、LP盤の針が微かに擦れる音が部屋の片隅で反復している。彼女はそのノイズに耳を傾けながら、ユウタが出た夜を反芻した。

「向こうで何か見つけたら、すぐ連絡して」藤堂が言った。彼は簡素に組んだ通信ビーコンの稼働ランプを指でなぞると、説明用の図面を菜緒に見せた。「ビーコンは偽ログを撒きつつ、海上の小さな半径をカバーする。ユウタの位置が特定できれば、地元の協力者に連絡を回す。外部の監視を撹乱する必要がある」

菜緒はうなずき、その図面の角を指で押した。自分の「一回」を使わない選択は、ここ数週間、幾度も味わった重みのある判断と同じだった。能力を使えば遠くの音を拾い、手を触れれば相手の癖を引き出せる。だが代償は毎回、確実に何かの欠落を連れてきた。名前が抜けることもあれば、台所での匂いの記憶が消えることもある。一度ならまだしも、続ければ自我の輪郭がぼやけると藤堂も房雄も繰り返し言った。菜緒は手の赤いペンチを膝の上で握りながら、その刃の微かな欠けを見ていた。あの傷の由来を房雄がぼやかしていた理由が、彼女の胸の底で静かに重くなる。

夜明け前、ユウタは小さな舟で海へ出た。波の匂いと潮風の冷たさが彼の頬を刺す。港から遠ざかるにつれて町の灯りが細くなり、やがて見えなくなった。彼はロープを脇にまとめ、房雄から渡された小さな金属箱を膝に抱いた。箱の中の鍵を確かめると、紙片の端に描かれた逆回転の歯車の図案が目に入った。何度見てもその図は彼の不安を掻き立てるが、同時に何かを掴ませる。ユウタは舌打ちし、船べりに手をかけて漕ぎ出した。

現地は想像よりもずっと粗末だった。倉庫群の一角に設けられた臨時の作業場は、プラスチックのテントと古い木製のパレットで囲われ、裸電球がぶら下がっていた。複数の人影が話している。ラジオから流れるのは安っぽいカセットのBGMで、そこにLPのような微かなノイズが加わっていた。ユウタは岸に隠れて息を潜め、相手の様子を窺う。取引相手はネオ・クレストのロゴを嫌うように、吉祥紋のようなマークを隠し、世界中を渡り歩く「買い手と売り手」の顔をしていた。彼らの目的はただ一つ、古い記憶部品を装置化して高値で売ることだ。

ユウタは静かに近づき、箱の鍵を使って倉庫の片隅に積まれた箱を開けた。中には古い電子基板、錆びた歯車、そして小さな金具が整然と収まっていた。その中に、青い布の小片が折り畳まれて差し込まれているのを見つけた。指先がその布に触れると、彼の胸にすっと何かが疼いた。だが躊躇は許されない。背後で金網が擦れる音がし、誰かが気づいた。

「そこに何がある」低い声がした。ユウタは振り向く間もなく拘束され、後ろ手に縄で縛られた。口を塞がれ、地面に押し伏せられる。彼は抵抗しようとしたが、相手は手慣れていて、短時間で動きを封じた。ライトが彼の顔を照らし、汗と海風が混ざった匂いが鼻をつく。ユウタは息を呑みながら、船と工房の灯りを思い出した。もしこれで工房の存在が明らかになれば、仲間たちにどれだけの危険が及ぶか分からない。彼は咄嗟に口を歪めて笑い、それが彼なりの冷静さだった。

取引の場は一時混乱した。箱に入っていた部品が一台の試験装置に載せられ、試験者が軽くスイッチを入れる。基板は唸るように微動し、古い家事ロボの片眼が半透明の姿で点滅した。その動作はぎこちなく、だが確かにかつての「癖」を匂わせる小さな動きだった。周囲の買い手は興奮してざわめく。ユウタはそれを見て心底怒りが湧いた。彼らは「癖」を商品として扱い、願いを値札に変えようとしているのだ。

拘束されたまま、ユウタは周囲の会話を盗み聞く。彼らは新たな装置を試作しており、旧式の癖を抽出してデータ化する方法を確立しかけていると言った。だが彼らは素人だった。装置は完全ではなく、抽出の際に部品が熱を帯び、元の癖が歪む場合が多い。ユウタの胸は締め付けられた。もし彼らが成功すれば、旧式ロボの願いは市場に流れ、誰もがコントロールする側になってしまう。

そのとき、外から金属の擦れる音が聞こえた。最初は単なる足音のように思えたが、次には数台の小型ロボットが土煙を上げて現れた。古色蒼然とした外見、ボロボロだがどこか愛嬌のある顔つき。彼らは正面の鉄扉を突き破るようにして滑り込み、甲高い音で独特の「癖」を発動させる。それはひとつ、またひとつと、持ち主の置き忘れを届ける真似をする音楽のような行為だった。壊れた家事ロボが一列に並び、忘れ物の真似をして口に物を咥え、傍らの男たちに向かって歩み寄る。小さな混乱が生まれ、買い手たちは咄嗟に対応を迫られた。

侵入者たちは地元の旧式ロボ愛好家の一団だった。藤堂が以前にやり取りをしていた、海外の古物店主や修理好きの集まりだ。ユウタは驚きと安堵で思わず息を漏らす。縄をほどかれ、彼はすかさず動いて一台の機械を蹴飛ばした。だが彼を捕らえていた男が短く叫び、場は一触即発の空気になる。愛好家たちは、彼らのロボットの癖を文字通り武器にして場をかき乱した。忘れ物を届けるフリをして足元の配線を引き剥がすもの、歌う癖で注意を引きつけるもの。古い癖が逆説的に現場を混乱させると、買い手たちの手が止まった。

「こっちだ!」誰かが叫び、ユウタは庇を突き破って薄暗い通路を駆けた。外へ出ると、月明かりの下で小さな舟が用意されていた。半ば壊れたロボがその縁に跨り、小さなランプを点滅させていた。ユウタは立ち止まると、振り返りざまに一枚の写真が壁に貼られているのを見つけた。写真の中央には古ぼけた倉庫の内部が写り、そこに散らばる部品とともに、青いジャケットの袖口が無造作に映っていた。ジャケットの色は海風に洗われて色褪せていたが、その縁には見覚えのある縫い目と小さな焦げ跡があった。

「それ、見つけたのか」若い女性の声。彼女はロボ愛好家の一人で、目の端が笑っていた。「この辺りにも静の痕跡が残っているって、ずっと噂になってたのよ。あなた、ここから来たの?」

ユウタは写真を指でなぞりながら息を切らした。「いや、俺は……いろいろ手伝ってもらってるだけだ。向こうの連中が部品を集めてる。もしあそこで何か動きがあったら、工房が危ない」

女性は頷き、写真の隅にメモ書きがあるのを指差した。手書きの小さな数字列と、地図の一点を示す丸い印。言葉は彼の海辺の記憶と重なった。ユウタはそのメモを懐に押し込み、舟に飛び乗った。ロボたちは彼を押し出し、波間に揺られながら岸へ向かって漕ぎ出した。後ろからはまだ、倉庫内の怒号や踏みならす足音が聞こえたが、遠ざかるにつれて小さくなった。

工房へ戻ると、朝焼けが港の水面を朱に染めていた。菜緒は窓際に立ち、ユウタの帰還を待っていた。彼女は赤いペンチを膝に置き、触りたくなる衝動を抑えた。藤堂のビーコンは彼の位置を捉え、偽ログはうまく外へ撒かれていた。ロクサは洗浄され