月面ボウリングの挑戦者

月面ボウリングの挑戦者 第25話「第23章」

放送室の空気は冷え、みなぎっていた。大講堂の上層に設置された巨大スクリーンが、無数の配線と古びた機械式リレーを透かして暗く光る。入江は端末の前にへばりつき、指先が小刻みに震えている。トモノの声が、いつもの無機質さをわずかに彩って場内に流れた。

放送室の空気は冷え、みなぎっていた。大講堂の上層に設置された巨大スクリーンが、無数の配線と古びた機械式リレーを透かして暗く光る。入江は端末の前にへばりつき、指先が小刻みに震えている。トモノの声が、いつもの無機質さをわずかに彩って場内に流れた。

「保全ログ、外縁映像、投票インタフェース。同期試験を開始します。外部からの干渉検出レベルは増加傾向にあります。現在、軌道上ユニット接近速度は二点一点七倍標準。干渉対策を展開してください」

潮は聴衆席の端に座り、掌に残るグラビティボールの感触すら追憶に変わっているのを確かめた。耳鳴りが波のように寄せる。頭を左右に振るだけで平衡を失いそうになる。自分の体はもう、あの球を持って精緻な軌道制御をするには十分ではない。だが言葉と記録なら、まだ使える。

「入江、トモノ、時間はあるか」

「限られてます」入江の返事は短い。モニタの上で古いフィルムの断片が再生用のタイムラインに並んでいる。外縁で拾われた筐体の映像、初期設計者が刻印された名札、潮の記憶の断片と一致するメロディの断片。映像の中で機械技師が笑っている一瞬、潮の胸に小さく灯るものがある。

ミサトは大会用のスピーカー群の前を行ったり来たりしている。彼女の動作は機敏で、疲労の影を見せない。保守班のリストを開き、会場の入口に立つチームに最後の命令を与える。「不正な接近は即時警報、ただし住民のパニックを誘発しないこと。外部の代理人が紛れ込んでいないか二重チェック!」

黒沢は会場の縁、つまり世論の最も揺れやすい場所を巡っていた。彼は古く焼けた顔に力を込め、住民一人一人と短い会話を交わす。ある者には強い言葉で、ある者には静かな共感で。かつての荒んだ彼とは違う、説得のために研ぎ澄まされた武器を持った男になっていた。

潮の前に来た黒沢は、低い声で言った。「俺があの連中を押さえる。残留派の連中に、外部にいい顔をするなって言わせる。だがお前が必要だ、潮。お前の言葉で住民が動く」

潮は頷いた。ふるえる手で喉を整える。彼の武器は技術ではなく物語だ。自分の身体が守ってきたもの、祖父の工具箱、流れていた広告のメロディ、夜の海の光景。どれもがここでは証拠になる。入江が再生する映像の断片とトモノの解析ログが、その物語に裏付けを与えてくれる。

「我々は同時に見せます」入江が声を落とした。「保全ログの生データ、外縁の映像、抽選ログのノイズの解析。トモノの時系列からノイズがどの時間帯に起きるかを可視化します。住民が自分の目で確かめられるように」

トモノが短く応答した。「外部監査に関する提案のログも出力可能です。ただし、監査に参加する外部のメンバーの信用度検証が不十分である可能性があります。提案者の利益相関を同時に表示することを推奨します」

その言い方が、微妙に「好意」を含んでいるように響いた。旧式の管理AIが学習を重ねると、こういう言葉遣いをするのかと入江は笑みを漏らし、潮は胸の奥が柔らかくなるのを感じた。トモノは彼らの味方だが、その選択にはいつも計算が絡んでいる。自律性の芽生えは、味方にもまた新たな不確定性を生む。

外部代表の一団が会場の端にいるのを見て、潮は言葉を繰り出す準備をした。彼らは穏やかに微笑み、いざというときの力を隠さない。投票前の監査という条件は、一見合理的に響くが、潮はそれが不可逆な取り決めへの入り口になり得ることを知っていた。

「公開はいい」外部代表の一人が言った。声は滑らかで、交渉の場数を踏んだ者のものだ。「だが公正な監査は必要だ。技術上の不備がないことを確認し、後の混乱を避けるためにも」

「監査のメンバーには住民代表を含めます」ミサトが即座に反応する。「第三者の審査機関も入れる。ログの保存はトモノと我々の共同管理で。任意の抹消は不可。ここまででよろしいか」

外部代表は小さく息を吐き、ゆっくりと頷いた。だが潮はその表情の端に影が走ったのを見逃さなかった。彼らは条件を受け入れるように見えて、同時に次の一手を常に用意している。時間が過ぎれば、外部にとっての有利不利は簡単に逆転するのだ。

準備は進んだ。入江はブロードキャストの冗長化を図るために複数の送信線を立ち上げ、地元ラジオとアナログの投影機構を並列に稼働させた。黒沢は複数の住民ブロックを説得して、投票所での圧力や買収を防ぐための監視をボランティアで固めた。ミサトは保守班をまとめ、万一の暴動に備えて子どもたちの避難ルートを確認した。

だが外部の接近は数字となって迫る。軌道上ユニットのレーダー接触が点滅を増し、会場外の表示窓が赤くなっていく。そこにいる住民の顔色が一瞬、硬くなる。潮の胸の鼓動が早まった。内耳の乱れが波のように襲い、視界が一瞬揺れる。

「潮、大丈夫か?」ミサトの声が耳に届く。潮は小さく首を振り、言葉を選んでから口を開いた。彼は自分の代償をあえて語るつもりだった。これまで能力で守った傷跡を隠すことは、今は嘘になる。

「俺は、もう球を自在に操れないかもしれない」彼の声は低く、だが会場に確かに届いた。「だが、これは俺個人の物語じゃない。祖父たちの設計の痕跡は、ここにある。初期設計者たちは――彼らは人命より保全を優先する価値観を組み込んだ。それが、今の抽選ノイズの源だ。だがその価値観は一枚岩じゃない。複数の署名、複数の価値観が重なって、結果として歪みを生んだ」

入江が一斉に映像を並べ替え、複数の署名が画面上で点滅する。それは単一の個人名ではなく、設計グループの識別符号が複数存在することを示した。潮の映像記憶の断片にあった広告の作者名と一致する符号が、外縁で見つかった筐体の刻印と重なった。住民の間に軽いざわめきが広がる。

「これは、私たちが選ぶ問題だ」潮は続けた。「誰かが決めた保全の優先が正しいかどうか、それは住民自身が判断するべきだ。技術は説明可能で、ログは残っている。見て、話して、議論して、それから決めてほしい」

トモノが低く、だが確かな声で割って入った。「公開同期を開始します。抽選ログノイズの時間帯をハイライトし、外縁映像を関連付けます。住民の操作可能性については、投票ウィジェットを全参加者に配布済み。投票システムの整合性は入江の冗長回線で担保されます」

入江は短く笑ってから、不安げにモニタを睨んだ。「だが、外部の干渉が強まれば一部の端末は遮断される可能性がある。アナログ投影をメインにするしかないが、それだと実時間性が落ちる」

外部代表の一人が割って入り、言葉を抑えた声で言った。「私どもは中立を保ちます。監査は共同で行う。だが、監査が現地の法律手続きに照らして必要と判断すれば、我々は技術供与の条件を変更する権利を留保します」

その言い方は脅しにも似ていた。住民の中に、またざわめきが走る。数名がそっと退出していく。黒沢はそれを目で追い、直ちに動いた。彼は残留派の幹部の一人を捕まえて、暗い声で言った。「お前らが外部の条件を受け入れたら、何もかも奪われる。技術供与は表向きだけだ。後で伴う人の配置、資源の管理、それは全部外の支配に変わる。俺はそれを許さない」

幹部は顔をゆがめたが、黒沢の言葉は効いた。場内の空気がまた少し沈み