ネオン街の探偵娘 第6話「第5章」
雨はまだやまなかった。ネオンの縦線が水溜まりに伸び、色が何重にも折り重なっている。ユイはフードの縁に溜まった水滴を舌先で避けながら、路地の入口に立っていた。カナメは肩越しに小型の端末を握りしめ、ルミはいつものように人の気配を探るようにバーの灯の下で目を細めている。コトは小走りに足を揃え、濡れた石畳を蹴って壁ぎわへ身を潜めた。
雨はまだやまなかった。ネオンの縦線が水溜まりに伸び、色が何重にも折り重なっている。ユイはフードの縁に溜まった水滴を舌先で避けながら、路地の入口に立っていた。カナメは肩越しに小型の端末を握りしめ、ルミはいつものように人の気配を探るようにバーの灯の下で目を細めている。コトは小走りに足を揃え、濡れた石畳を蹴って壁ぎわへ身を潜めた。
「情報屋が現れる」カナメが低く言った。「源井(げんい)って男だ。いつもはもっと用心深い。今夜、駆け足だった。多分追われてる」
空気の温度が一段下がる。ユイは自分の胸の中で冷えを感じた。誰かが追われているとき、街の光が真実を明らかにしてくれる──そう信じたい衝動がいつも胸にあり、同時にそれが代償を呼ぶことも知っている。自分を偽れば能力は暴走する。何より、看板の光の下でこそ言葉の色は波紋となって現れる。外套のポケットで紙片がさざめいた。倉庫で拾った、小さな破片。記名札の一片。指先に触れるとざらついた感触が伝わる。そこに残された墨は擦れているが、輪郭はまだあった。
「俺は源井の尾に違和感を感じてた」カナメが端末の画面をスワイプし、近隣の看板の配電ログをざっと見せる。「配電ノードの一つが不安定になってた。そこを経由して外部から同期コードが流れてる痕跡。倉庫の紙片と似た周期がある」
ユイは画面の小さな波形を見つめる。波形の切れ目が、倉庫で聞いた電子メロディの断片と重なる。雨音に混ざって、遠くで電子的な高音が二度、かすかに震えたように思えた。
「影彩連のやり方だ」ルミが呟く。声に怒りや驚きはなく、むしろ静かな憤りが混じっていた。ルミの店「灯下」で何度も聞いた噂の名。光で“存在”を消す取引をする、影のような組織。ユイはその名前の意味を頭の中で噛み締めた。存在を消す──それは記名札に刻まれた名前を抹消する行為だ。その札は、街の記憶の一片だった。
「源井に会って、直接聞けるなら行こう」ユイは口を開いた。言葉は短く、しかし強い。能力の条件は頭のどこかで脈打っている。看板の光の下で相手の言葉を読む。だが、相手が嘘を重ねているとき、色は補色にまで鋭くなる。ひとりずつしか解析できない。録音や文字は無意味だ。物理的に、現場へ行くしかない。
カナメが頷く。「だが気をつけろ。奴らもプロだ。近くに配電の中継所がある。そこを通じて複数の看板に信号を送ってる。源井を狙ってるのは、それと関係がある。見つかったら、奴らは証拠を残さない」
「私が読む」ユイは宣言した。口元で言葉が震えないか確認するように、静かに自分の口を見た。自分の胸を軽く押し、言葉が真実であることを確かめる。嘘はしない。嘘をつけば光は裏返り、暴走してしまう。暴走が起これば、周囲の光が逆色に変わり、視界も能力も制御不能になる。だが誰かが泣いている──それはユイの胸を強く揺さぶった。
路地を進むと、源井はそこに立っていた。中背の男で、濡れたコートを深く着込み、手には古いネオン片の入った紙袋を抱えている。顔は曇り、息が荒かった。すぐ近く、薄紫の看板が小さな雨粒に揺れ、彼の肩を淡く照らしている。
「源井さん」カナメが声をかける。男は瞬間的に振り向き、目が血走っていた。誰かに追われた痕だった。左手首に擦り傷があり、そこにまだ新しい血の筋が光っている。
ユイは足を止め、看板の下へ立つ。紫の光が彼女の頬を撫でる。視界の奥で、いつもの波紋がゆっくりと立ち上がる。言葉の表層が色になって現れると、ユイの胸は小さく痛んだ。波紋は鮮明だ。淡い補色が指の先で震え、そこから強い鋭い赤と緑の補色が交差する。源井の声に嘘が混じっている。だがそれは、彼が今の状況を隠そうとしているのか、それとももっと深い恐怖に押しつぶされているのかを示していた。
「追手がいる」源井は言った。「俺の口は安全だ──だが、奴らは記録を狙ってる。ネオン片、配線図、全部。持ってると──あんたらも狙われる」
彼の声に、ユイの視界に新たな波紋が立った。色は濃く、言葉の核に触れる。だが源井が一気に言葉を重ねる瞬間、背後の路地から三つの影が滑り出した。黒いコート、顔を覆うフード。動きは素早く、無駄がない。影は先にいた店の裏手から出てきたらしく、足跡は一直線だった。看板の光が彼らの方を向いていた。
「逃げろ」カナメが叫んだ。だが声は雨にかき消され、影はすでに距離を詰めていた。
一人が手を伸ばし、源井の肩に掴んだ。源井は叫び、ユイの目の前で引きずられる。言葉が足りない。ユイは看板の光を増幅させるように意識を向け、追手の一人に向けて視線を固定した。解析できるのは一人だけ──制約が彼女を締め付ける。誰を読むか。時間は短く、解答は必要だった。
ユイは躊躇せず、追手のうち一番近い男の言葉を“読んだ”。唇の動き、吐息の方向、声の強弱。その瞬間、紫に混ざる鋭い補色が走った。緑が瞬時に立ち上がり、補色の赤がその中心を刺す。嘘があった。男は言葉で「ここには何もない」と言いながら、色は「ある」と告げていた。男の言葉は組織の指定語──だが彼の声の底には命令と焦りが混在していた。ユイは波紋から断片を拾い上げる。彼が口にしているのは「差し出せ」「持ち去れ」「記録を消せ」という命令語。誰かが彼らを突き動かしている。だがそれ以上の詳細は、短い時間では見えなかった。
ユイの声で、カナメが方向を変えた。「こいつが指示を出してる奴の仲間だ。源井を持ち去るつもりだ」カナメは走り出す。ルミは咄嗟に前へ飛び出し、間に割って入る。コトは隠れていた位置から飛び出し、影の一人の足に小石を投げつけて転倒させた。混乱が一瞬生まれる。
だが、それと同時にユイの体に冷たい衝撃が走った。視界の端で闇が重くなり、暗い部分の輪郭がにじむ。夜間視力の喪失がまた一段進行していた。看板の明るい縁は鮮明なのに、影の奥の顔や足の位置がぼやける。ユイはそれを抑えようとしたが、胸の中で小さな違和感が波打つ。使いすぎた。短時間で複数の人の言葉を追ってしまった影響だ。彼女は自分が一歩間違えれば暗所の中で何も見えなくなってしまうことを思い出す。
追手の一人が源井を無理やり車へ押し込み、コートの内側から何かを取り出した。それは小型の端末のように見え、上面に擦れた刻印が刻まれていた。ユイは走りながらその刻印の形を認めた。夢で見た赤い刻印に似ている。擦れてはいるが、紋の基本的な輪郭は一致していた。ユイの心臓は跳ねる。刻印──灯守の署名かもしれない。刻印が関与しているということは、影彩連がただの野良グループではなく、灯守の痕跡に関わる組織と接触している可能性を示す。
追走は一気に激しくなった。カナメが手の端末を振るい、路地の電柱に仕込まれた小型の干渉器を起動して一瞬だけ看板の配信を乱した。看板の色が一斉に小さく震える。だがその揺らぎは短命で、別の配電ノードからすぐに同期が戻される。ユイは狭い視界の中で、追手の車のナンバーの脇に小さな識別子のようなものが貼られているのを視認した。アドレスタグだ。刻印の隣に刻まれたそれは、ルクシアの正規のものではない。配電網の裏通り、未登録の経由──影彩連のやり方だ。
「無理に追うな!」ユイは叫んだ。喉の奥から出た声は、雨音と混