ネオン街の探偵娘

ネオン街の探偵娘 第22話「第20章」

扉の隙間から漏れる光が、ユイの掌に押し付けられた赤い刻印を縁取った。金属の冷たさと紙の温度が混ざり合い、刻印の赤は彼女の掌を通じてじんわりと鉄に染み込んでいくようだった。回廊の向こう、配色ユニットの低い唸りが規則正しく続き、電子メロディの一節が鋭く増幅される。誰かが一歩、床を踏んだ気配があった。

扉の隙間から漏れる光が、ユイの掌に押し付けられた赤い刻印を縁取った。金属の冷たさと紙の温度が混ざり合い、刻印の赤は彼女の掌を通じてじんわりと鉄に染み込んでいくようだった。回廊の向こう、配色ユニットの低い唸りが規則正しく続き、電子メロディの一節が鋭く増幅される。誰かが一歩、床を踏んだ気配があった。

「よく来たな、灯守の末裔よ」

足音の主は、内側の陰影から現れた。白い光の輪のなかに立つ男は、年の割に肌が白く張り、眼差しは冷たく、胸元のネオンピンが微かに脈打っていた。ルクシア社の代表――その人柄を一言で示すような佇まいだった。高い声で、感情の薄い敬語を交えながらも彼の口元には確信が宿っていた。

「高柳雅仁(たかやな・まさひと)。ルクシア代表だ。君の来訪を歓迎する。灯守の力を知る者として、私は君に帰還を願う」

彼の語る単語の一つひとつに、ネオンの光が薄い波紋を描いた。ユイにはそれが見える。発話の輪郭に沿って、補色が走る。薄い青の輪は小さな偽り、鋭いオレンジは核心に触れる虚偽を示していた。代表の言葉に浮かぶ色は、最初は穏やかな銀だったが、二行目で不意に強い補色を伴った。ユイの胸の奥で、能力が小さく反応する。見れば彼の言葉の裏側が視えすぎる。だが、ここで無造作に「ネオンの裁」を使えば――自分の夜間視力の少しを、その代償を払うことになる。彼女は深く息を吐き、視線を下げた。

「帰還、ですか」ユイの声は乾いていた。扉越しの風が紙片の端を揺らし、電子メロディがテンポをほんの少しずらした。そのずれが、刻印と回路の位相を呼び覚ます。ルミが背後で短く息を飲むのを感じた。森下は指先を器具に置き、最終調整の目を光らせる。カナメは外部回線を押さえたまま、冷たい視線を高柳に向けていた。コトは拳を震わせ、まだ小さな胸を固くしている。

高柳はゆっくりと両の掌を組み、丁寧に笑った。笑顔は宣伝写真のそれのように整っていた。

「君が灯守の力を完全に使えば、街の光は永遠に安定する。混乱は止み、痛みは減る。誰もが均しく明るい夜を手に入れる。代償は――小さい。君が少しの一部を灯りに託すだけでいい。我々は君を崇める、記憶される位置に置く。君は苦しまずに済むだろう」

その言葉に、ユイは途中で吐き出すように笑った。皮肉でも諦観でもない、弱い笑いだった。

「安定、ね。『均しく明るい夜』。それって本当に『安定』なんですか? 誰かの名前を消しても、光の下で全部が『見える』ようにすることが、街を守ることですか」

問いに対して、代表の笑みはさらに重くなる。光の反射が彼の目元で揺れ、補色の輪が鋭く膨らんだが、ユイはそれを見ないふりをする。見ることはできる、だがそこに手を伸ばせば自分の夜はさらに薄くなる。今は選択の時。能力は万能ではない。彼女は自分の言葉にだけは嘘を混ぜないように努めた――自分が嘘をつけば能力は暴走し、周囲の光は反転し、最悪の好機を失う。

高柳の声は柔らかい。だがその内容は訴求力に満ち、彼は言葉の組み立てで彼女の恐れに触れる。

「君が灯りになれば、失われた人々もまた帰って来られるはずだ。光は記憶を刻む器だ。刻めば、忘れない。忘却は悲劇だが、保存は救済だ。君は、自分のためでなく街のために、その役を担ってみないか」

そこへ、カナメが割り込んだ。静かだが切実な声だった。カナメの手には、ルクシア内部から持ち出した断片的な映像と数行のログが収められた小型端末があった。彼はそれを高柳の前へ突き出す。

「それが君の救済のやり方か。高柳。こいつらの家族を『安定』の名の下に移動させた理由を説明してくれないか。記名札を集めて『再配置』を実行したのは君たちだ。ルクシア社が『保存と再配置』と呼んだ作業は、実際には市民の立場を奪うための合理化作業だった。君はその計画を承認した。映像に残ってるぞ。君が指示している」

カナメの言葉と同時に、端末の小さなスクリーンに古い会議の映像が映り、そこに高柳が映っていた。高柳は画面を一瞥して、微かな動揺を隠せなかった。ユイの視界の端で、彼の言葉は薄い青と鋭い赤の混合を描く。嘘の色は明瞭だ。だが映像は事実だ。真実が高柳の言葉を無力化していく。

「それは……誤解だ」高柳は即座に否定した。だが彼の声に乗る色は重く、輪郭は鋭かった。ユイはその色を見ないように、ただ自分の呼吸に意識を集中した。もし彼に嘘を言わせ、その嘘に彼女が反応するならば――闘いは色で始まるが、代償も深くなる。

ルミが小さく前へ出た。彼女の手には黒手帳がある。ページの端は擦り切れ、文字は何度も擦られてきた痕跡を残している。ルミは低く、静かな声で言った。

「安定、ね。私の知ってる『安定』は、夜に息を潜める人々の肩を叩いて『もう大丈夫』って言うことじゃない。あなたは『もう大丈夫』の代わりに名前を取っていった。それをどうして『保存』なんて呼べるの?」

その言葉に、高柳の口元に一瞬の硬直が走る。彼はカナメの端末をちらと見て、視線をそらすように仰ぐ。外の回廊にいる群衆が小さなざわめきを起こす。コトはまだ拳を固めているが、その目は確かに震えている。全員の視線が、扉の向こうの男と、そこで提案される慰めと代償へと向かっていた。

高柳は一度、深く息を吸った。そして、柔らかな声でユイに向けて語りかける。彼は最後のカードを切ろうとしていた。

「君が私たちに加われば、君の名は永遠に残る。個々の記憶は安定し、市民は安心する。灯守を一人犠牲にすることで、何百という記憶が救われる。君は英雄になれる。あるいは、拒絶する。だが拒絶すれば、混乱が起きる。君はそれを望むのか」

ユイは震える手で刻印に力を込める。扉の鉄板が微かに震え、電子メロディが不協和音を含み始めた。彼女の内面では灯守の古い声が囁き、暖かく手招きする。その声は誘惑に満ち、帰還を促す。灯守としての「務め」に戻れば、確かに街は整えられるかもしれない。だがその整え方は――人の名前を光に縛り、個別の自由を光の下に再配置することではないか。ユイはふっと目を閉じる。暗闇の縁で、彼女の夜間視力がまたひとつ薄れていくのを感じた。能力を無闇に使ったこれまでの報いが、静かに忍び寄っている。

「私が嘘をついたら、どうなるか知ってるでしょう?」ユイは小さく言った。誰に向けたのか――自分への問いでもあった。彼女は代表の言葉に響く補色を見ずに、ただ胸の中にある真実を確かめる。

高柳は一瞬、眉を寄せた。「何のことだね?」

「私は嘘をつけない。嘘をついたら、能力が暴走する。周りの光が反転する。あなたがその代償を私に求めるのなら、私は……」ユイは言葉を切った。胸が締め付けられる。もしここで「受け入れる」と言ったら、それは本当に自分の意志か? 灯守の囁きが『受け入れろ』と甘く応えるのが聞こえる。だが彼女はそれに背いた。

「私は、あなたの方法は受け入れない」とユイは静かに言った。声には確信があった。真実であることを、彼女は確かめていた。どれだけ代償を支払おうとも、それは嘘ではない。

高柳の顔に、薄い苛立ちが走る。だがすぐに彼は微笑んだ。敵が否定した時の、あの整った笑みを取り戻す。

「ならば残念だ。だが君に別の選択肢は残している