銀河ラジオの少年

銀河ラジオの少年 第9話「第8章」

律子が見つけた波形の痕跡を中心に、夜鳴局の一夜はざわめきながら整えられていった。窓から差し込む街灯はまだ昼の名残を引きずり、局の古い木製の床に長い影を伸ばす。結は電波結晶の周囲を回りながら、小さな計器を幾つも取り出しては数値を読み、メモを取る。ロウは帽子を深く被り直して、ポケットの中で縫切の情報を忍ばせた端末を確かめる。ミミは小さな機体を縁の下に滑り込ませ、葉書やログの断片を念入りにスキャンしていた。

律子が見つけた波形の痕跡を中心に、夜鳴局の一夜はざわめきながら整えられていった。窓から差し込む街灯はまだ昼の名残を引きずり、局の古い木製の床に長い影を伸ばす。結は電波結晶の周囲を回りながら、小さな計器を幾つも取り出しては数値を読み、メモを取る。ロウは帽子を深く被り直して、ポケットの中で縫切の情報を忍ばせた端末を確かめる。ミミは小さな機体を縁の下に滑り込ませ、葉書やログの断片を念入りにスキャンしていた。

「条件は守るよね、透」律子の声は機械的な冷静さの裡に、ほんの少しだけ母親のような強さを帯びていた。彼女はモニターの波形を指先でなぞり、古いログの断片と現在の準備状況を照合している。モニターの中、かつての声の断片が黒い波の列を作って微かに震えていた。

透はその声の方に目をやった。ログを保存した磁気テープの箱はいくつも積まれ、その上に置かれた一枚の葉書が彼の目を引く。葉書は何度も手に取られた風合いで、縁は擦れている。薄い青の染みが、文字の横に円を描くように滲んでいた。微かに匂うのは、古い紙とインクの香り、それとわずかな電気の匂い。Aの染みだ、と透の内側で小さなピースが触れ合う。律子の言っていた「証票」という言葉が蘇る。

「午前二時の生放送、ただし今回は範囲を絞る。夜鳴局のサブ送信で、受信圏はこの地域だけに限定する。ログは完全にバックアップを取る。放送は一分を超えない」と律子が続ける。彼女の目は冷たく、しかし決意に揺れていた。室内の空気が引き締まる。

透は口を一文字ずつ動かすようにして答えた。「分かった。やる。でも──」彼は言葉を切った。胸の奥にある、まだ誰にも触られていない不安。大事なものが一つ失われる恐れ。律子はその恐れを見逃さず、静かに頷いた。「無理をしたら止める。代償は我々も受け止める。ただし、規則は守る。過去の事実だけを読み上げること。それ以外は許されない」

結は指先で結晶の表面を撫でた。薄い亀裂が光に反射しているのが見える。Dの劣化は前章で顕在化したばかりで、結の顔はそれを修復できるのかという不安に染まっていた。「同時使用はダメだ。今回の送信は針のテストだ。出力は最小限。だが安心するな、結晶の負荷はゼロとは言えない」

ロウは外套のポケットから小さな切手帳を取り出し、葉書を一瞥してから透に差し出した。「お前、これ持ってたな」――それはかつて透が大事にしていた缶バッジの小さなレプリカと、夜に読んだ絵本の表紙を模した切手だった。透は手を伸ばすが、ひと呼吸おいてそれを受け取らない。彼の手はその代償の実感に震えた。

午後十一時五十九分。局内の時計が針を進める。律子が最後の確認をし、ミミが録音機を二重に起動する。ロウは外部の見張りを始め、隣接する路地を行き交う影を監視する。結は結晶の温度と電圧を微細に調節し、そして彼らは皆、透の顔を見た。

「二時になったら、君が読み上げる。葉書はこれだ」律子は慎重に青い染みの葉書を差し出す。言葉は短い。裏面には、かつての家族の祭りの風景と、誰かの小さな手が描いた花火の匂いが書かれている。透は唇を噛み、静かにそれを抱えた。Bの断片が胸の奥で軋んだ。夢で見た古い放送室、縫い針のような光、誰かの声が言った「夜を、縫え」。それらが、今ここに集まる。

午前二時。夜鳴りの時間が来た。透はブースに入り、マイクの前に座る。外部送信は地域内に限定され、受信は最小限の反応を返すよう設定されている。律子がランプを見つめ、「送信開始」の指示を出した。結晶の中で微かなビートが走り、古い放送機器が喘ぐように唸った。ミミが微弱なシグナルを拾い上げ、律子の合図で回路が閉じた。

透は葉書の文字をじっと見た。自分の手元から遠い何かが呼吸しているように感じる。そして、ゆっくりと目を閉じ、声を震わせずに読み上げた。

「夏の夜、母が作った綿飴は、かじると星のように崩れていった。僕らはそれを持って、川べりで火を見ていた──」

声はモニターを通り、局の低い帯域を滑っていった。返答は冗談めいたノイズではなく、遠くで誰かが小さく息を飲むような波形だった。律子の指がモニターの波形を押さえている。ロウは外で足を止め、結は計器の針を凝視した。

その瞬間、透の内側で見えない何かが解けた。暗闇の向こうに、古い放送室の木の匂い、針の光、縫い糸のように繋がれた声たちが一斉に動き出す。幻視だ——副作用の兆候が、彼の視界を満たした。南向きの窓から差し込む月明かりが、別の時代の窓の光と重なる。透はほんの一瞬、前世の手さばきを真似るように指先を動かした。だが同時に、胸の奥にあったある感覚がふっと薄れていく。左手の指先にあった、母が縫った古いセーターの起毛した感触が、そこでぱたりと消え去った。

「……っ」透は声を詰まらせ、マイクに寄せた体を少しだけ引いた。律子がすかさずブースのランプを赤から点滅に切り替え、送信の出力を抑えた。結は即座に計器の負荷を下げるためにレバーを操作する。だが代償は既に起きていた。透の顔に、失われた「個」の縁が静かに消えかけていた。

「何か見えた?」律子の問いに、透は小さく頷いた。「前の、放送室が……あと、針のような光。けど、左手の感触が──母さんのセーターのふわふわが分からなくなった。匂いは分かるのに、触り心地だけが消えたみたいで」その言葉は、皆の胸に寒さを落とした。結はメモリを切って透の手に触れ、鼓動を確かめるように指を置いた。「それは小さな代償だ。だが無かったことにはならない。透、聞け。君が今したことは、過去の事実を照射したに過ぎない。未来を変えたわけじゃない。だが代償は確実に体に刻まれる」

律子は波形を食い入るように見つめた。古いログの断片と、今読み上げられた言葉が重なり、奇妙な同調を見せている。画面の隅で、古いメタデータと新たな波形が薄く光った。「読み上げで反応が出た。これは確かに『縫い』の一端だ」と律子は呟いた。「だが、完全に再現されたわけじゃない。もっと多くの『確かな思い出』が必要だ。透、君が次に読むなら、もっと慎重に選ぶ」

透はマイクを手から離し、こわばった左手を握りしめた。それは自分が失った感触の空白を必死に埋めようとするような動作だった。ロウは外を見張りながら、低い声で告げた。「送信を開始した直後に、周辺で不穏なノイズを感知した。暗号的に見える。縫切かもしれん。反応が早すぎる」

律子は画面を切り替え、ミミが拾った受信ログをズームした。波形は規則的なノイズではなく、意図的に組まれたような乱れを伴っている。何者かが、彼らの送信に干渉し、ログを攪乱しようとしている。しかも、そのパターンは葉書の署名に似た小さな印を模しているようにも見えた。

「縫切だ」結の声は低く、怒りと冷静さの混じったものだった。「彼らは我々の試みを見つけると、すぐに情報攪乱を始める。放送を続けられないほどにログを壊して、葉書や記録の痕跡を消し去ろうとする」

局の空気が一変する。ロウは即座に扉を閉め、外の街灯の下に浮かぶ影を睨んだ。「俺が外に出て探る。保存派と接触できる可能性がある。だが、今はここに残る奴で守れ」ロウの言葉に、透はわずかに眉を寄せた。「行かないでくれ──まさか、俺一人にはさせな