遺失物課の鑑識員

遺失物課の鑑識員 第12話「第11章」

朝の空気はまだ硬く、駅外郭の古い施設は鉄のにおいで隙間を埋めていた。薄曇りが屋根から落ちる水滴を淡く光らせ、遺失物課の小さな一隊は無言で車の扉を閉めた。石神が金具を確かめるように手を伸ばし、葵は端末の画面を最後に凝視する。凪はいつもの軽口を忘れて、拳をぎゅっと握りしめた。鳴海はバッグを肩にかけ、紬は左手の痣に視線を落とす。痣の縁がわずかに赤んじ、内側で冷たい振動が伝わった。紬の胸の奥に、昨夜再生がかすめ取った別層のイメージが鋭く突き刺さる。

朝の空気はまだ硬く、駅外郭の古い施設は鉄のにおいで隙間を埋めていた。薄曇りが屋根から落ちる水滴を淡く光らせ、遺失物課の小さな一隊は無言で車の扉を閉めた。石神が金具を確かめるように手を伸ばし、葵は端末の画面を最後に凝視する。凪はいつもの軽口を忘れて、拳をぎゅっと握りしめた。鳴海はバッグを肩にかけ、紬は左手の痣に視線を落とす。痣の縁がわずかに赤んじ、内側で冷たい振動が伝わった。紬の胸の奥に、昨夜再生がかすめ取った別層のイメージが鋭く突き刺さる。

「連絡は二方向で取る」石神は低く、だが明確に指示した。「葵は端末で監視とハッキング、鳴海は外回り経路の確認、紬は待機。凪は潜入担当だ。合図が出たら即援護。無理はするな」

紬は目で頷いた。言葉に出せば震えてしまいそうな臓物のような緊張を押さえて、彼女は自分に課せられた鉄則を反芻する──触れた物の「最も大切にした瞬間」を一度だけ再生できる。だがそれを「私情で判定」して用いれば、彼女の個人的記憶が一つ、確実に奪われる。既に一つを失っている。失うことの重さは肉の痛みよりもずっと深く、記憶は穴となり他者からも埋められない。

凪は小さく笑って見せた――演技のような明るさだが、そこに見えたのは覚悟の影だった。「俺が行く。俺の得意技だ、暗がりで靴紐直してるフリしてるやつ。こっちは留守電でフォローする」

通話が一斉に鳴り、四方の端末に地図と図面が映し出される。葵が既に旧設計図の暗号を解除しており、示された座標は旧プラットホームの脇にある、地下の維持管理通路。幻市の小規模な拠点がかくまわれているという情報は、凪の人脈が得たものだった。だが「得た」と言っても、そこに足を踏み入れれば相手が用意した罠を踏む可能性は常にある。

凪は一人、暗い作業着に身を包み、改札口脇の古い配管に忍び寄った。彼の足取りは軽く、現場で培った「拾得癖」は本領を発揮する。彼は小さなポーチを胸に当て、耳に装着した通話機器越しに淡い声で状況を伝えた。「中に人の気配……なるほど、品物の山、焦げた切符の束。奴ら、これを中心に回してるな」

「動くときは三人一組で」石神の声が静かに返る。「出口を塞がれたら、すぐに撤退。凪、目標を取れたら合図を。紬、葵、準備を」

凪はコントロールされた呼吸で通路を進み、薄暗い空間に拡がる棚に手を伸ばした。そこには、想像したよりもずっと多くの記憶商品が積まれている。袋詰めされたブレスレット、無造作に置かれたUSB、そして、小さな紙片の束──焦げ跡と黒い縁が付いた切符が山のように積まれていた。掌に取ると、紙の端が微かにぼろぼろと崩れ、灰の匂いが舌先に届く。

凪ははっと息を呑んだ。そこに混じって、見覚えのある焦げ跡。紬が最初に触れたあの切符と同じ、微細な焼け方。彼はすぐに小さなメモリスティックを手に入れて袋に押し込み、静かに後退しようとした――その瞬間、背後の薄闇から人影が落ちた。

動きは速かった。鉄製の棒が凪の背中に当たり、首に回された紐が締まる。彼は咳をして膝をつきかけ、反射的に投げた拳は、応対した男の覆面に届かない。「捕まえたな、小僧」と低い声。暗がりの向こうに複数の影が集まり、凪は押さえつけられた。通信は途切れ、凪の口からは小さな声で「やべえ……」とだけ漏れた。

基地では、その断片が端末に届いた。葵の指が即座にスクリーンを叩く。「凪の通信が途切れた。位置情報は最後にこの通路を示している。敵のジャマーか、物理的拘束だ」声に焦りは抑えられていたが、目は鋭かった。鳴海が電話を掴み、外回り経路の映像を探る。石神は短く指示を出す。一秒でも遅れれば、凪は危険にさらされる。

「助けに行く」凪の声が通信にぶつ切りに戻った。「だが奴ら、こっちに何か持ってる。硬いのを……俺に殴らせる気か、ふざけんな」

紬の手がかすかに震えた。目の前に広がる映像が、彼女の内側で二つの欲望を引き合う。ひとつは、仲間をすぐにでも救い出したいという純粋な衝動。もうひとつは、もし自分が触れて再生を行い、私情で判断したならば、記憶をまた一つ失うという恐怖。今、彼女が触れるものは何か――凪か、現場にある物か。そこにある可能性の一つ一つが、彼女の過去の一部を奪い去る刃のように見えた。

葵の声が近くで響く。「紬、ここの映像よく見て。凪が撮った可能性のある最後のスニペットを解析してる。ジャマーは近くにあるが、彼の最後の信号強度はここで切れている」画面に示されたのは、維持通路の一角、鉄柵と薄いコンクリの破片が散らばった場所。そこに小さく、黒い包みが映っている。

石神が短く言った。「物だ。まずは物を確保する。再生は最後の手段。凪の身体は優先だが、私情で再生を使って位置を割り出すのは──我々の規定に抵触する。例外は認められない。だが人命救助の範囲なら検討の余地はある。紬、君に決断を任せる」

紬は歯を噛みしめた。人命を守ることが職務であり、仲間を救うのは当然の義務だ。だが彼女の中のもう一人が冷ややかに囁く。代償を払えば、それは後戻りできない。凪の笑い声、些細な会話の断片、石神の注意深い説教――彼女は既にこれらのいくつかを失っている。失ったものは穴となって残り、彼女自身のアイデンティティに小さな裂け目を作る。

「アイテムは確保できるか」葵が訊く。画面には暗がりの棚から掴み出された小さな封筒が表示されている。封筒の端には、あの焦げた切符の断片と同じ模様が覗いていた。葵の解析は続き、端末のテキストが流れる。「封筒内に記録媒体と、タグが付いている。タグの刻印が焦げ跡と一致。さらに、名簿っぽいファイルの一部──そこに固有名詞が混じっている。表示する」

画面に浮かんだ名は、紬の胸を強く突いた。小さな活字体で「鷹見(たかみ)産業 再開発顧問 久野 慎也」とある。鳴海が一瞬、硬い表情を作った。紬は鳴海の机の引き出しで見たあの古い写真を思い出す。あの写真に写る人物の輪郭が、今ここで名として結びついたのだ。鳴海はわずかに息を吐いた。「久野……この名前は私の古い顧客名簿にもあった。旧駅の関係者だ」

葵は更に端末を叩く。「それだけではない。封筒の中には焦げ切符の山の他に、旧構内の座標が記された小さな金属タグがあった。焦げ跡のパターンと、我々が以前に押収した切符の焦げ跡が一致する。これは幻市の取引タグだ。Aの焦げ跡、ここで確定」

紬の左手の痣が疼いた。昨夜、再生が弾いた「別層」のノイズを引きずるように、痣が不意に熱を持つ。触れもしないのに、彼女はけだるく力が抜ける感覚に襲われた。痣が触れた物の一部の再生に影響を与える──それは鳴海が「回路」の兆候として示唆したことだ。もしこれが本当に再生に介入するなら、紬の能力は単なる媒介以上のものを孕んでいる。だが今は考える余裕がない。

基地の外から、急ぎ足の足音が近づいた。凪の映像が途切れた後、彼が拘束された現場の別の出入口から男たちが出てきた。彼らは凪を手荒く押し込み、車いすのようにして移動させる。その手際の素早さは、単なる路上犯罪者のそれではなかった。誰かが計画的に人手を配し、捕獲・搬送の段取りを組んでいる。

「奴らはプラットホームに上げるつもりだ」鳴海が静かに言った。「旧構内の一角で