ラジオ劇団の音響師

ラジオ劇団の音響師 第8話「第7章」

臨時会議室は冷えたコンクリートの匂いが満ちていて、窓の外では雨がまだ続いていた。蛍光灯が薄く唸り、テーブルの上には解析中のUSB、再生機、そして乱れたメモの山が無秩序に積まれている。春野美夜が椅子の背に寄り掛かり、白い手で濡れた髪を拭いながら皆の顔を見渡した。

臨時会議室は冷えたコンクリートの匂いが満ちていて、窓の外では雨がまだ続いていた。蛍光灯が薄く唸り、テーブルの上には解析中のUSB、再生機、そして乱れたメモの山が無秩序に積まれている。春野美夜が椅子の背に寄り掛かり、白い手で濡れた髪を拭いながら皆の顔を見渡した。

「ここで話をまとめる。やるべきことは三つ——証拠を守ること、被害に直結する聴取者を守ること、そして公開の段取りを作ること」春野の声はいつになく低く、しかし動かぬ芯を持っていた。舞台の上で鍛えた声は、安定した指示に変わっている。

河合瑠衣はラップトップを開き、局内からのメールログを表示した。「局の内部には協力者がいる。だが、スポンサーや上層部に繋がるルートはまだ断定できない。リークすればスポンサー撤退、さらなる圧力が来る。手順を踏むしかないわ」

三浦葵は肩越しにキャスターの地図を指差した。「旧回線の地図なら、私のコネで一つ掘り出せるかもしれない。倉庫で見つけたのと同じ中波の残滓が、隣町の廃止された送信所に残ってる。そこなら活動の痕跡があるはずだ。侵入しても記録だけ取れればいい。シグナルの解析ができれば、向こう側が使う合図の構造を逆算できる」

中田舵は粗い手を組み、疲れた顔をしかめた。「侵入はリスクが高い。佐伯の件もある。誰かを失うわけにはいかない。だが、これを放置すればもっと多くの声が歪められる。守るべきは劇団だけじゃない。聴いてる人たちだ」

霧島透は、テーブルの端に置かれた小さなラジオの割れ目を指で撫でた。祖父から受け継いだ真空管ラジオのひび割れが、目に見えない時間の厚みを宿している。倉庫で見つけたテープの波形とその歪みが、まるで古いラジオの割れ方と同じ断片模様を刻んでいることを思い出した。

「まず優先順位をつける」透は静かに言った。彼の声は控えめだが、その言葉には余韻を読む者の冷静さがあった。「誰を先に守るか。全員を同時には助けられない。能力で浅く総体を読む。深い精査はしない。禁止していることだから、ここでの読み方は“層の推定”だ」

春野が眉を寄せる。「浅く、って?」

「本当に必要な情報だけ、声の残響から輪郭を掴む」透は置かれた再生機から、昨週の未編集試写の音声を引き出した。小さなスピーカーに流れるのは、春野の台詞のテイク、空調のノイズ、そして遠景で笑い声のように聞こえる生活音だった。透は耳を澄ます。条件は整っている――人の声が録られた閉鎖空間、残響がある。彼の“余音読む”が働き始める。

彼の内側に波形が生まれるようだった。声の輪郭、それに触れた聴取者層の感情のざわめきが、眩暈のように透の意識に浮かぶ。だが彼は禁を守る。個人の秘密を引き裂くような「精査」はしない。聞こえてくるのは群としての感情、未発言の不安の傾向、恐れの立ち上がりの時間差だけだ。

「高齢者層に共通するのは、孤独と依存のラインだ。夜間の放送を頼りにする人が多い。島村光子さんのような人たちは、強い安心感を欲している。一方、若年層は操作に気付きやすい。拡散力は中年層——地域の情報を広める役割を担う年代が鍵になる」透は淡々と伝えた。「優先順位は、まず固定リスナーの中で“夜間に一人で聞く層”を守る。次に、地域で人の輪を持つ層。公共の場で流れる影響は最後だ」

河合がコーヒーを一口飲み、スクリーンのログを指でなぞった。「島村さんと直人君のことは把握してる。だが具体的な防御策は?」

三浦は画面を覗き込み、細い唇を噛んだ。「旧回線のノードを監視すれば、どの回線に合図が乗るか予測できる。そのときにこちら側で逆位相の信号を出せば、干渉で合図を相殺できる可能性がある。ただし精度が必要。周波数の位相とタイミングを一致させないとただのノイズにしかならない」

中田が拳を握る。「それをやるには放送回線にアクセスしなきゃならない。局の外部でやるのか、内部の協力を得てやるのか——どっちだ。無茶は許されない」

透は喉の奥で軽く痺れる感覚を覚えた。耳鳴りはここ数日で増している。倉庫でテープを解析した夜、幼い頃に祖父と口ずさんだ旋律の一節がふっと消えた。能力を使うたびに、彼の中の音が一つずつ薄れていく代償が現実味を帯びている。今日も浅い読みで済ませるつもりだったが、彼の胸の中にはもう一つの判断が渦巻いている――多くの人を守るために自分の記憶を削るのか否か。

「俺は協力する」春野が言った。「劇団を盾にしてほしくない。私が舞台でカバーする。演目の一部を使ってリハーサルを名目に局付近で公演を行う。その間にミヤが旧回線に入ればいい。河合は局内で味方を押さえて。中田は現場の安全を。透は——」

春野の目が透を止め、期待と不安が混じった光を向ける。透は一瞬、昔の安心して聴いたラジオの音を思い出す。祖父の長椅子、夜の温度、ラジオの柔らかいバリバリというノイズ。記憶は薄れていくが、守るべき像ははっきりしていた。

「俺は逆位相の調整を担当する。だが一つ条件がある」透は言葉を慎重に選んだ。「精査はしない。聞くのは“合図”の位相だけだ。合図の設計者の心を暴くようなことはしない。代わりに、俺がやるために必要な録音を入手する。位相を測れる生のフィードだ。局のテスト回線か、旧回線の中継点。三浦と組めば可能だと思う」

三浦が小さく笑った。「それなら私が動く。明日の夜、廃送信所に入る。旧中波の機器はまだ残ってる。スチール録音機と同じフォーマットで“整合性を崩す”要素がある。俺たちがそこで録音を取り、位相を解析すれば逆位相信号の雛形は作れる」

河合はログを見つめ、やっと顔を上げた。「法的リスクは考えなければいけない。だが内部の味方に接触して、正式に録音の持ち出しを認めさせる筋道を作れるかもしれない。局で証拠保全の申請を出す。私がやる」

中田は鋭い声で付け加える。「しかし、もし組織がそれを察知したら、逃げ場はない。相手は放送回線を使う。こちらも放送回線で対抗する。そこまでやれば、向こうも攻勢を強めるだろう。覚悟はあるか?」

春野は視線をまっすぐに返した。「ある。私たちは舞台で人を揺さぶることを仕事にしてきた。今回も違わない。ただ、それが本当に“人を消耗する”ものであってはならない。誰かを道具にしてはいけない」

会議は静かに進み、役割が固まっていった。三浦は旧送信所への夜間接近の準備を始め、河合は局内の連絡網を慎重に動かす。中田は劇団の安全確保、搬出入経路の整理、そして佐伯の治療と証言管理を指示した。春野は公演のスケジュールを調整し、劇団内に外部への露出を装った動きを作る。透はそのすべてを聞きながら、自分がどこまで代償を払うのかを測っていた。

夜が静かに落ちていき、会議室の窓に映る自分たちの輪郭が滲む。透はラジオの割れ目に手を当て、微かな振動を感じ取った。倉庫で拾ったテープの断片に、ほんの短い泉堂の台詞がかすかに残っていた。それは、「──私はやらない」といった簡潔な否定の言葉のように聞こえた。削られた台詞の断片は、泉堂が実験に抗った証拠になりうる。しかしそれだけでは法的に強いカードとは言えない。

「これでいいのか?」中田の問いに、透は首を振らない。「いい。それで勝てるとは思わない。ただ、やらない