星祭りの槍姫

星祭りの槍姫 第10話「第9章」

夜が深く、瘤の周囲は異様な静けさに包まれていた。焚き火の炎は低く、風は谷間を滑るように通り過ぎるだけだ。しかしその空気の静寂を割るように、瘤の向こう側から微かに、しかし確実に空気が震える音が聞こえてきた。鳥は鳴かず、犬も鼻をひくつかせて低く唸る。星々はいつにも増して鋭く瞬き、その輪郭が地上の景色を冷たく切り取っていた。

夜が深く、瘤の周囲は異様な静けさに包まれていた。焚き火の炎は低く、風は谷間を滑るように通り過ぎるだけだ。しかしその空気の静寂を割るように、瘤の向こう側から微かに、しかし確実に空気が震える音が聞こえてきた。鳥は鳴かず、犬も鼻をひくつかせて低く唸る。星々はいつにも増して鋭く瞬き、その輪郭が地上の景色を冷たく切り取っていた。

リンナは布に包んだ符を胸に抱き、槍の柄に手を置いたまま立っていた。掌の下で文様は眠っているように見えるが、時折布越しに小さな震えが伝わってくる。前節で石座に触れたときに走った電流のような痛みが、まだ指先に残っている。ミルナは古書のページを指で辿りながら、唇を噛んで何度も旋律を口ずさんでいた。カイロは地図の上に指を走らせ、ベロは夜の縁で影を細めながら遠方を見張っている。アサムは部隊をひとまとめにし、すぐに動ける隊列を保ったまま、焚き火の蒸気の向こうで黙っていた。

「瘤が、動いている」ミルナの声は紙一重の震えを含んでいた。古譜の断片に描かれた記号と、夜空に浮かぶ奇妙な光のパターンが、彼女の目の前で一致しつつある。瘤の稜線から緑白色の光が立ち昇り、波紋のように夜空に広がった。光は星の配置を乱すわけではない。むしろ、星そのものの瞬きが地上から見た時に周期をずらされるように、一点から震えを放っているように見えた。

「位相が、ずれている」ミルナは低く言った。「昨日の水の泡立ち、家畜の交配期のずれ、全部が同じ振幅の増幅だとしたら……ここで起きているのは、星の写因だけじゃない。俺たちがこれまで写してきた星座と、草原の季節周期が共振している。位相が引っ張られて、雨季が遅れる。草の芽吹きがずれて、繁殖が狂う」

カイロは地図をたたみ、立ち上がる。顔にはいつもの冷静さがあるが、その瞳は鋭く光った。「高固がこの情報を手にしたら、口実にして押し寄せてくるだろう。だがそれ以前に、こいつは連合の生命線に直撃する。動かすなら、逆に返す道しかない。封印だけじゃ——遅れた位相は戻せない。少なくともこちらが得られる手筋は二つ。封印して進行を止めるか、位相を逆に動かすか。どちらも代償がある」

ベロは煙草のように擦った葉を指先で弄びながら、冷笑を滲ませる。「妙だな。高固は燈火隊で夜空を汚すことを学んでいた。だが瘤が自ら光るなら、彼らの術も役には立たん。問題は時間だ。位相ズレは累積する。三回、五回と続けば──家畜は繁殖率が致命的に落ちる。民が餓え始める。連合が瓦解する前に手を打つ必要がある」

アサムが拳を握り締める。「ならば、守る。だが守るとは何だ。君の言う『返す』ってのは本当に可能か? この瘤の側で術を行うってことか」

ミルナは古書の頁に指を置き、そこに刻まれた低音符号を指差した。「ここの部分。歌が二層になっている。『引き』と『返し』。補強する者と緩める者。石座が示したのも同じだった。石座は結び目を補うか、或いは結びを緩めることもできる。符が石と結びつけば、位相の方向をある程度操作できるかもしれない。しかし──」彼女はそこまで言って言葉を切った。目が潤み、古い恐れと好奇心が交差している。

リンナは符を取り出し、指先に文様を撫でた。冷たい金属の感触が指に伝わって、その紋様が薄く光る。彼女は自分の胸に浮かぶ前世の断片の声を押し殺す。あの声はいつも、術を使えと言わず、むしろ警告した。「忘れよ」「代償を数えよ」──しかし同時に、返す方向の旋律の断片が、夢の中で微かに彼女を誘っていた。石座の反応は、本当に位相を「返し得る」可能性を示していたのか。もしそれが真実ならば、術は救済の道具になり得る。しかし、代償の行先は未だ記されていない。

「規則は変わらん」リンナは低く言った。「星写因は共同体の同意の下でのみ行使される。無断使用は星断だ。これは俺が一番恐れることだ。けれど今、ここにいる全員がこれを知らずに見過ごしたら、連合は死ぬ。だから選択は、封印か、逆位相か――だがどちらを選んでも、俺一人じゃ決められない」

カイロは黙ってリンナの顔を見た。「同意を得る。だが連合会議を開く時間はない。君が言った通り、これ以上の遅延は連合を蝕む。俺たちは二つの動きを同時に起こす。君は民の合意を先に得に廻る。俺は高固に働きかけて、外的圧力を弱める。ベロは情報を掴め。アサムはここで防御を固め、もし術が暴走した場合の最悪の被害を局地化する」

ベロの瞳が暗く光る。「高固に知られれば、やつらは何かと交換条件を出してくる。だが内戦を避けるためなら、俺は駆け引きもする。連合の同意を得る間に、俺が高固の一派に遅延を工作する。だが約束はできん。奴らは自分の得を最優先する」

アサムはうなずき、草地を見下ろした。風が草の穂を撫でるたびに、色が変わるのをリンナは見逃さなかった。谷の奥の牧場では、小さな群れが辺りを落ち着かなく歩き回り、数頭の子羊がいつもより遅れている。村に伝わる老人の話す「雨の到来が遅かった年」の話が、現実味を帯びている。位相の狂いは数字や伝承だけではなかった。匂い、空気、草の色、動物の腹の膨らみ――すべてが変わっていた。

「だが、夜天が重要だ」ミルナが続ける。「星の視界が塞がれれば、写因は働かない。厚い雲や煙、燈火隊の妨害は致命的だ。瘤が光を発し始めている今、夜天がどう変わるかは分からない。もし瘤が星の光を吸うか、あるいは歪ませるのなら、逆位相の術は条件を満たせない」

「ならば、星の見える場所へ移動するしかない」カイロが言った。「瘤の近くに儀式場はある。石座はそこにある。そこを中心に位相を逆転させるなら、星の視界は殺さずに済むかもしれない。だがそれは瘤の鼓動に我々を近づけることでもある。増幅するか、制御不能になるかの紙一重だ」

リンナの胸にまた、幼い女の笑い声が刺さった。幻影は彼女を突き動かすが、同時に縛る。彼女は一歩下がり、風に乗って流れてくる遠い村のランタンの灯りを見た。そこで夜通し、何百という小さな火が家族のために保たれている。誰かが吹雪に備え、誰かが炉辺で子どもを抱いている。選択は理屈ではなく、その暖かさへ向かうべきだと、リンナは思った。

「同意を集める」彼女は決めたように言った。「だがここでひとつだけ条件をつける。皆がこれを理解した上で合意しなければならない。星写因の使用は共同体のものだ。私はそれを破るつもりはない。封印すべきだという者が多数なら、封印に従う。逆位相を選ぶなら、代償の可能性を全員に告げる。私の記憶、私自身の何かが失われるかもしれない。だがそれでも民を救うなら、私はその代償を引き受ける覚悟はある。だが、それは私の一存で決められない」

ミルナの目が光った。「リンナ……あなたがその覚悟を持てるなんて、私には到底計り知れない。だけど、私たちはあなたをひとりにしない。解読を急ぐ。合唱の反拍を完全に組めるように準備する。私が歌詞を完全に再構築するまで、あなたの中の声を頼る。だけど無理はしないで。前世の幻視が強まると、あなたの自我が危うくなる」

アサムは短く笑って言った。「俺は実務をやる。避難路の整備、食糧の貯え、術が暴走した時の火点の封鎖。君がやるべきは槍を持つことと、歌に身を委ねることだけだ。勝手な行動