牧場スライム先生の終戦記 第6話「第五章 平和維持の監察官」
監察官という肩書きは、王国の瓦版に載るような英雄像を背負わせる。清潔に刈り上げられた髪、折り目の入った軍服、胸の徽章は「復興局」と刻まれていて、どの田舎の派出所よりも安心感を与える。それを知って、村の人々は彼を歓迎した。あるいは歓迎しているふりをすることが、安全な選択だとまだ信じていた。
監察官という肩書きは、王国の瓦版に載るような英雄像を背負わせる。清潔に刈り上げられた髪、折り目の入った軍服、胸の徽章は「復興局」と刻まれていて、どの田舎の派出所よりも安心感を与える。それを知って、村の人々は彼を歓迎した。あるいは歓迎しているふりをすることが、安全な選択だとまだ信じていた。
セドラムは、それらをすべて計算のうえで演じていた。礼節は説得の前提であり、穏やかな声は命令の前触れである。彼の笑顔は相手に自らの正しさを思い込ませるために用いられる。今日、彼がこの辺境の牧場に来たのも同じ理屈からだった。復興の速度を上げるため、利用可能な資源は――人も、土地も、そして生き物も――整理整頓されなければならない。戦争は終わったが、戦後の混乱は別の秩序を必要としている。セドラムはそれを実務として信じていた。
名の知れた復興官が訪ねてくると聞けば、村人は自在に取り巻く。老人は施しを期待し、働き手は補助金を夢見、役場の者は書類の為に細かく礼を言う。セドラムは丁寧に受け答えをしながら、心の中でパラグラフを組み立てていた。まずは信頼の確保。次に現状の把握。最後に法的手続きと、安全を名目にした管理計画の提示だ。
牧場の門をくぐると、歓迎と警戒が一緒に匂った。透と名乗る男が出迎えた。見れば、制服ではないがどこか教師のような佇まいがある。目は穏やかで、礼は欠かさない。セドラムは内心で微笑んだ。説得すべき相手としては格好のタイプだ。彼らの会話は外向きには柔らかかった。
「監察官のセドラムです。復興局から参りました。まずは、この地の状況を――保護調査のために、少し見せていただけますか」
彼の言葉は公式文書のように整っていた。村の人々は息を潜めた。透は静かに首を振る。
「ここは私の管理する場所です。見せることは出来ますが、勝手な採取や拘束は認めません。スライムたちにも――同意があります」
セドラムの笑顔は残ったが、額にわずかなしわが寄る。相手の「同意」という言葉は、彼の計画にとって煩わしい障害だった。だがそれを公然と非難するわけにもいかない。公務員としての体裁を維持しつつ、彼は別の角度から取りにかかる。
「我々の目標はこの地域の安全と復興です。記録と保護はその重要な一部です。――貴方のスライムたちが、この辺境で起きた事の記録媒体になり得るという話を耳にしました。もしそうなら、保全のための一時的な検査は、皆さんの利益になります」
「検査の目的が『保全』なら意味は通じます。でも保全は、彼らの意思を尊重することから始まる。あなたが言う『検査』が、つまり誰かの都合で記憶を取り出す作業なら、同意を得られない限り私は認められません」
透は穏やかに言ったが、奥の瞳に警告の光があった。セドラムはその光に不快感を覚えた。彼にとって「誰かの都合」は往々にして共同善の名の下で正当化されることだ。時として強引な手段も必要になる。彼は世の中をそうやって動かしてきた。
だが透には、強制が効かない特殊なものがある。セドラムはそれを事前に知らなかった。或いは、知っていても軽視したのかもしれない。だが今は、目の前でそれを確かめる術がない。どうあっても、同意のない相手に手を掛けることは政治的な自爆を招く。
「私は同意しません」──透の言葉は短かった。だがそこには揺るぎがなかった。彼は教師のように相手を導くことが信条であり、暴力ではなく対話を選ぶ者だった。セドラムはその姿勢を軽蔑と見なすこともできただろうが、彼は別の言葉を選んだ。
「判りました。それなら正式な手続きを踏むことにしましょう。保護調査の申請を出します。許可が下り次第、必要な保全作業を行い、皆さんの安全を確保します」
申請書という言葉は、田舎の者にとっては紙切れ以上の意味を持つ。許可が下りれば官の力は動く。地方の人は容易にその力に従う。セドラムはそう知っている。だからこそ、彼の最初の動きは条文と期限を動かすことだった。
「ただし、その間の安全確保は我々の監視下で行わせていただきたい。井戸と、主要個体の所在は臨時監視対象とする。調査とはいえ、保全努力は我々に委任していただいたほうが迅速です」
透は眉をしかめた。だが彼は言い争いをする気はなかった。彼の立場ははっきりしている。スライムを守ること。仲間である彼らの意志を尊重すること。監視は厳格な管理に変わりかねない。それを政務の力で押し通されるのは、元教師として容認できない。
「監視なら、村人と私の合意なくしては受け入れられません。彼らは道具ではなく、感情を持ついきものです。あなたの言う『保全』は、彼らの選択を奪うことには使えませんよ」
ここで言葉は微妙に硬さを増す。セドラムは透の言葉を聞き、じっと相手の顔を見た。彼は微かな遺恨を抱えている。自分が正しいと思ったことを、感情を楯にして否定されることに耐えられないのだ。だが彼は公的な人物である。顔を崩すわけにはいかない。
「私は個人に危害を加えるつもりはありません。復興局は平和維持のために行動します。貴方の牧場が地域に貢献できると判断されれば、我々はその手助けもします。だが、戦後復興は待ったなしです。人々は食べ、働き、国は再建されねばなりません」
セドラムの語る「待ったなし」は、彼の内部で二重に響いた。一つは純粋な行政的焦り。現場を早く安定させる必要性。もう一つは、記録の管理を早めに取り込まなければ、国家の再生ストーリーが一部の人間に制御されてしまう恐れだ。彼はその恐れを誰にも悟られぬように押し殺した。
見れば、彼の随兵の一人が畜舎のそばで箱を降ろしている。木箱には油の匂いが染みついており、古い金具が組み込まれている。セドラムはわざとらしくその箱を目立つ位置に置かせた。誰が見てもそれは単なる作業具に見える。だが透と、牧場に紛れていたバルドという魔族の薬師の視線は鋭かった。バルドは箱に触れ、指先で金具を確かめた。表情が一瞬変わる。
セドラムはそれも織り込み済みだ。箱の中身は古い魔力井戸に使われた器具ではあったが、それは単に「復旧用の調査機器」として説明できる。証拠は書面で作るものだ。箱は演出であり、彼は演出のうまさを政治的道具に変えることを恐れなかった。
村人の一人が、かすかに声を上げた。「灰谷の名前が、調査票に……」
セドラムはその声に反応して、胸ポケットから小さな冊子を取り出す。復興計画書と題された形式的な資料。色分けされたページに、復興優先地域、監視区域、そして「無人区域」として灰色に塗られた地名が並んでいる。灰谷もそこに含まれていた。「無人区域」——その四文字が持つ力をセドラムは知っている。領有と無視。消去と管理。どちらも国家の手の内にある。
だが彼はあくまで丁寧に説明した。
「灰谷は現在、復興優先地域の外と定められております。無人区域の指定は現状の安全判断に基づくものです。だが、もし当局が必要と判断すれば優先順位の変更は可能です。まずは我々による調査を認めてください。資料を精査した上で、貴方達と協議を重ねられると考えます」
透は瞳の奥で、わずかに冷えた光を見せた。村や牧場を守るつもりがあるなら、書類と協議だけでなく、面と向かった決断が必要