異世界転生星図師の皇帝

異世界転生星図師の皇帝 第15話「第13章」

月が低く、砂の波皿に冷たい光を撒いている。レンはその光の下で、震える指を押さえつつ古びた帳面をめくった。帳面の端には鉛筆で乱暴に引かれた線と、赤い朱印が並んでいる。朱印のひとつが、彼が一週間前に覚えたはずの通りの名を消していた――とレンは思ったが、思い出せない。思い出すべき音、母の呼び声、家の土壁の匂いが、指の間からすり抜けていくようだった。

月が低く、砂の波皿に冷たい光を撒いている。レンはその光の下で、震える指を押さえつつ古びた帳面をめくった。帳面の端には鉛筆で乱暴に引かれた線と、赤い朱印が並んでいる。朱印のひとつが、彼が一週間前に覚えたはずの通りの名を消していた――とレンは思ったが、思い出せない。思い出すべき音、母の呼び声、家の土壁の匂いが、指の間からすり抜けていくようだった。

「レン、無理しないで。顔が青いよ」
アミナが傍らの壷から水をそっと差し出す。彼女の目はいつもの強さを失わず、しかし今日は紙の上の文字を追うときにだけ、眉間に皺が寄った。遊牧隊の女頭領である彼女には、ここで見つけた証拠がどういう意味を持つかが即座にわかったらしい。

レンは水を受け取り、口へ運びながら首を横に振った。「大丈夫だ。これは――これが本物なら、やられているのは個人の代償じゃない。制度的だ」

「制度的、というのは?」
隣でイリャースが低く嗜める。小柄な学者は、昨日まで皇都の図書館で錆びた書類のコピーを作るために偽の身分で潜り込み、夜通しで書棚を漁った男だ。彼の手にはもう一枚、別の帳面がある。それには地図と日付、数名の名が列挙され、付箋が幾重にも貼られていた。

「日付と位置が一致している。星の消失と、土地の再配分命令。君たちが話していた『儀式』の記録だ」
イリャースが指を滑らせる。そこには官吏の署名と、細かい注記があった。注記の語句は乾いた言葉で、だが内容は冷たい暴力を孕んでいた――「夜間行程の実施により、対象の記憶を収集。星の位相に変動を生じさせ、旧有者の地位を無効化。新天地への配分を許可す。」

レンは声を荒げた。言葉は紙の上で淡々と綴られているが、意味は彼の胸を刃のように切った。星が消える。記憶が薄れる。その作業を帝は、正式な行政手続きとして行っている。

「待ってくれ」アミナが手を打った。「それが本当に『帝のやり方』なら、どうやって――星を消すなんて儀式を、あの連中はどこから?」

イリャースは息を吐いた。「内部文書に、うっすらとした手順がある。夜行の隊列の配置、灯火の有無、徴用名簿。彼らは『合意の示威』を装って、夜間に対象住民を移動させる。そして――」

「――歩かせる。そうか」レンの唇が震えた。能力は彼自身の体験則で明瞭だった。仲間が実際に夜道を歩いたものだけを、星図に安全な帰路として記せる。だが皇帝は、その「歩行」を体系的に操作していた。徴用された群衆、あるいは監視下の移住者たちが夜に歩かされることで生まれる軌跡が、いつのまにか『囲い』として機能する。囲えば星は消え、記憶は消え、土地は移る。

レンは一度目を閉じた。頭の中を空洞が這い回る。何かを失った痛みが、冷たい圧として胸にのしかかる。幼い頃、砂に指で描いた円が消えるのを見たときの感覚――それが胸の奥にあるのに、肝腎の輪郭がつかめない。彼は思い出を失う度に、どうしても空白を埋めようと、指先を目の前の空気に這わせたくなる。

「レン、無理はするなって言っただろう」アミナが、言葉よりも先に足で帳面を押さえつけた。彼女の動きには、彼女の民を守るために鍛えられた合理があった。だがその合理を越えて、彼女の瞳は怒りに燃えている。怒りは、すぐに行動へと変わった。

「これが本当なら、奴らは夜間行動を『手段』にしている。強制移住を計画して、星図で正当化しているのよ。あたしたちの歩行を記録して安全経路を作るレンの力を、まったく逆手に取っている。人々に夜歩きをさせて、記憶を奪い、土地を掠め取るつもりなのよ」

イリャースが小さな笑いを漏らした。「言葉が直接過ぎる。しかし事実だ。これらの書類には、昨年の『北部再編』の具体名と、消失した星々が列挙されている。被害者の証言もある――消えたのは人の記憶だけではない、彼らが大切にしていた祭の歌や、境界の石の位置、土地を耕した年の順序まで。すべて欠落している」

「欠落はどう証明する?」レンは低く問い、ふたたび帳面を覗き込んだ。そこに並ぶ数字と地名は、冷たいファクトの束だが、確証というにはまだ脆い。人々の証言は散発していた。だがイリャースは書類の角から一枚の薄紙を取り出した。それは封筒の裏に貼られたもののようで、墨で走り書きのように記された短い文があった。

「――長官、今夜の行程により三つの星が消滅を確認。旧有者の一部は記憶の蒸発を示し、境界に関する口伝の欠落を報告。配分準備完了」
署名は判読しにくかったが、その下に押された赤印は宮廷のものと酷似していた。

レンは指先が震えるのを押さえられなかった。その震えは単なる恐怖ではない。彼自身の能力の禁止が胸に冷たく響く。誰かの土地を勝手に線で囲むと星が消え、レンの故郷の記憶も薄れる――その規則は誰が作ったのかは知らない。だが今、彼はその「禁止」が国家の武器として用いられている証拠を手にした。自分の力の論理が、目に見えない形で国を動かし、人々の過去を剥ぎ取っている。

「もし――もしこれを広めたら、どうなる?」アミナが尋ねる。彼女はもう一人の選択肢を示した。反乱だ。武力で止める。だが彼女は自分の手で人々を戦場に送ることを躊躇している。そのための決め手を求めているのがわかった。

イリャースは首を振った。「単純な武力では解決しない。彼らは『星の正当性』をもって正当化する。公的星図と儀式の名のもとに、何千もの書類を持っている。軍の差し込みも彼らの文言で正当化されるだろう。だがここにあるのは事実の軌跡だ。夜行の徴用、識別票、星の消失と再配分。もしこれを公にできれば、正当化の根拠を崩せる」

レンはページ越しに見えない地平線を見つめた。彼が今したいことはひとつだ。証拠を公にして、制度の正当性を剥がす。だが妨げがある。彼ができる星図の仕事は、仲間が実際に夜に歩いた道だけを安全な帰路として記せる。囲って奪うやり方を、そのまま逆手に取ることはできない。しかも、封印に似た官吏の手法は、彼の胸に新たな代償をもたらす。既に幾つかの故郷の断片が消えつつある。文書を公にすることで皇帝の側が逆襲し、もっと多くの星を囲んでしまえば、レンはさらに多くを失うだろう。

「つまり、直接的な反撃は危険だ。だが放置もできない」レンは声を絞り出した。言葉の最後に、小さな決意が湧いた。「俺は、この仕組みの起源を見つける。どのようにして『囲い』が公式文書上で成立するのか。俺の能力のルールが、帝のやり方とどう噛み合うのかを。なにより、これがただの地方の暴走でないと証明する証拠を見つける」

アミナは短く笑った。「見つけるのね。やっぱりレンは星図師だ。歩くことでは与えられない記録を、目で拾うのね」

イリャースは帳面を再び押さえつけ、地図を指で滑らせた。「図書館の起票文書の一つに『二重の地平線』という語句がある。儀式の起源を記した伝承に現れる用語だが、もっと重要なのはその適用法だ。二層の境界を人為的に作り、外層で住民の移動を制限し、内層で記憶の収奪を行う。書類は断片的だが、これが中央で意図的に設計されているなら、証拠となる軸があるはずだ。帝宮の古い指令書――それを見つければいい」

レンは深く息を吸った。帝宮に近づくというのは死の香りを伴う