異世界転生楽器職人の魔導師 第8話「第7章」
朝の光は薄く、路地に差すとほのかな金色の筋を刻んだ。フィオは手にした布切れを額の汗でぬぐいながら、店先に積まれた楽器たちの向きを確かめた。今日は楽譜店を回る日だ。昨夜、噂が飛び込んできた――王宮の検閲がまた動き出し、古い曲の断片が没収されているという。奪われた歌がどこに消えるのか、どうして沈黙が正当化されるのか、自分の目で確かめる必要があった。
朝の光は薄く、路地に差すとほのかな金色の筋を刻んだ。フィオは手にした布切れを額の汗でぬぐいながら、店先に積まれた楽器たちの向きを確かめた。今日は楽譜店を回る日だ。昨夜、噂が飛び込んできた――王宮の検閲がまた動き出し、古い曲の断片が没収されているという。奪われた歌がどこに消えるのか、どうして沈黙が正当化されるのか、自分の目で確かめる必要があった。
「短く、手早くね。」店の奥からテオが声を張った。若い見習いの手はまだ不器用で、古いクラリネットのキーを磨くのに時間がかかる。フィオは笑って首を振る。「そうだ。帰りにここに寄る。おばあさんのヴァイオリン、今日は持ち帰るつもりだ」
テオは小さく頷き、そして訊いた。「でも、フィオさん……検閲って危ないんじゃないですか。大臣の人たちが動いているって――」
「危ないのは確かよ」フィオは答えながらも、棚に並んだ楽器たちに視線をやった。「だからこそ、声を必要としている人がいる。あの子の笛も、昨日のサックスも、黙らされて困っているのは彼らだ。私ができることは集めて守ることと、どうにかして声を戻す手がかりを探すこと。無理に鳴らして代償を払うようなことはしない。約束したでしょう、テオ。『同意を取ること』を」
テオは俯いて、固く頷いた。「はい。おばあさんの言葉も、大きな声にはならなかった。だけど――」声を濁す。フィオは彼の手を軽く握り、励ますように目を向けた。「だけど、私たちのやり方で少しずつだってできる。だからまずは楽譜を見つける」
楽譜店は通りの角にあり、薄暗い窓に古い譜面の断片が貼られている。店主の名はランベルといい、髪白いが目は鋭い。店に入ると、ニスと紙の匂い、長年積もった埃の甘い匂いが混じり合った。客はほとんどいないはずだったが、カウンターの上に置かれた封筒に、見覚えのある王宮を示す紙片が覗いていた。
「やあ、フィオ。こんな朝早くに珍しいね」ランベルは杖を突きながら顔を上げた。声は低く、慎重に選ばれた言葉が裏返ることはなかった。
「ランベルさん。おはよう。楽譜を見せてほしいの」フィオは落ち着いて返す。手にしている布を畳み直し、棚の隙間に目を走らせる。ランベルは表情を一瞬硬くし、すぐにカウンターの下から小さな紙片を取り出した。そこには、切り取られた五線譜の断片。上には奇妙なスタンプと、黒い横線の引かれた文字があった。文字の上には、厚い黒い線が引かれている。削り取られたように見える朱印に、王宮の章紋が染みている。
フィオは息を飲んだ。指先が震えるのを感じながら、紙片をそっと受け取る。音を失った都で、音楽の痕跡がこうして傷つけられているのを見るのは胸が裂けるような痛みだ。
「これは……」テオが囁く。「検閲の痕跡ですか?」
ランベルは無言で頷いた。「そうだ。来た役人が、この曲の一部が不穏だとして切り取っていった。作曲家の名前も、歌詞も、ここにはもうない。だが切り取られ方が尋常ではない。これ、元は一ページだけじゃない。縁の繊維が斜めに切れている。誰かが慌てて引き裂いた形跡がある」
フィオは紙の裏側に目を凝らした。透けて見えるインクの滲み、折り目、そして細い鉛筆で控えめに書かれた記号の並び。役人のスタンプの近くに、手書きの「再検査要」と書かれた小さな印が、消しゴムの擦れた跡で隠れている。見慣れた制度の記号だ。彼らは正規の手続きを装っているが、切り取り方は拙速で、痕跡を残している。
フィオは記憶をたどった。あの夜の密やかな合奏、逃げるように箱に詰められた楽譜、耳に残る断片的な旋律――消されたのはただの音符ではなかった。歌詞として詰め込まれていた小さな言葉、隠されていた記憶、場合によっては人々の不満の記録さえある。王宮はただ音を消すのではなく、過去の痕跡をも切り取っているのかもしれない。そう考えると、血のように赤い検閲印が恐ろしく輝く。
「これは――重要だ」フィオは低く言った。「ただの切り取りじゃない。破れ方が人為的だ。誰かが急いで隠そうとした跡がある」
ランベルは薄く笑った。「そうだろうよ。ここ数ヶ月で、こんな断片が増えた。最初は古い旋律の保存のためだと言っていた。だが最近はもっと『秩序』に関わると言われる。人々の声を巡る記録まで触り始めた」
テオの顔が青ざめる。フィオはテオに向き直り、静かな口調で言った。「私たちで集めよう。ここにある断片だけじゃないはずだ。街角の譜面屋、教会の古い書庫、個人の箱――誰もが捨てたくないものを、誰かが奪っている。破片を組み合わせれば、何が隠されているか見えてくるかもしれない」
テオの目が光った。「でも、どうやって? 検閲が回っているところで、楽譜を集めるのは危険です。見つかったら――」
「見つかったら逃げる」フィオは肩をすくめた。「それだけじゃない。やり方を間違えれば、私たち自身の声まで危うくする。楽譜をただ集めるだけでは駄目だ。同意を取ること、持ち主の意志を尊重すること。それがあるからこそ、私たちの行為は反撃になりうる」
ランベルは慎重に周囲を見回し、レジの下から小さな地図の断片を取り出した。数年前に廃業寸前だった、路地裏の古い師範の倉庫の位置だ。「ここに、古い祭典で使われた楽譜が山積みになっているという話がある。あの祭典は王宮が権力を固めた頃から封印されたものだ。もしそこに眠っているなら……」
フィオは手の中の紙片を見つめたまま、決意を固めるように息を吐いた。「手分けしよう。私は倉庫を当たる。テオは南区の小さな譜面屋を回る。ランベルさんは教会の管理人に口利きを頼めないか。だが、気をつけて。無理に聞き出すようなことはしない。楽譜は人の記憶だ。勝手に鳴らせば、フィオの耳が失われるってこともある」
その言葉がチクリと胸を刺す。テオはその危険性を思い出す――フィオが自身の能力で楽器に預けられた「言えなかった一言」を鳴らすことで、持ち主の同意が無ければフィオの聴力を失ってしまうということを。街に沈黙をもたらすものと同じくらい冷たい代償が、彼女個人に課せられている。テオは黙ってから、慎重に言った。「フィオさん、私たちも同意の方法を考えましょう。もし誰かが怖がっていたら、無理に取り上げたりしないで。あなたの耳は、みんなのための道具じゃない」
フィオの喉が熱くなる。「ありがとう、テオ。だからこそ、今回は楽譜そのものを集める。音を鳴らすかどうかはその先の話だ。まずは証拠。何が消されたのか、何が切り取られたのか。王宮の検閲の仕方を暴く手がかりを見つけるんだ」
ランベルが頷き、目を細めた。「だが一つ、気をつけなさい。最近、検閲官のやり方が粗雑になっている。手際よく、だが粗雑だ。つまり、痕跡は残る。私たちはその痕跡を利用するしかない」
フィオは指先で紙片の縁をたどった。ざらついた感触、切り離された繊維、そこに残ったインクのかけら。まるで誰かの息づかいが紙に残っているようだった。彼女は小さく笑い、自分の決意を仲間に告げる。「今日の夕方、ここに戻ってきて。集めた断片を並べる。見つけたものをつなぎ合わせれば、何かが見えてくるかもしれない」
外へ出ると、午後の空気が少し暖かく、街の静けさはいつになく重かった。店の扉を押