異世界転生税関吏の迷宮攻略者 第13話「第12章」
昼の陽が迷宮口の石段を平たく照らす頃、ダンはいつもの半袖の制服のまま、書類の束に肘を突いていた。彼が今したいのはただ一つ——薬を持たぬまま震える子供を救うことだ。だが目の前には手続きの山と、命税を徴収しようと舌鋒鋭く立つ徴収者の列があり、彼を妨げているのは「規則」と「資金」の二つであった。
昼の陽が迷宮口の石段を平たく照らす頃、ダンはいつもの半袖の制服のまま、書類の束に肘を突いていた。彼が今したいのはただ一つ——薬を持たぬまま震える子供を救うことだ。だが目の前には手続きの山と、命税を徴収しようと舌鋒鋭く立つ徴収者の列があり、彼を妨げているのは「規則」と「資金」の二つであった。
「お願いです、ダンさん。薬を返してくれませんか。あの子が…」
母親の声が掠れ、薄汚れた掌を差し出した。小さな背中に時計ほどの大きさの布袋が縛られている。中身はわずかな乾草、空の瓶。命税を支払うために、薬は取られ、代わりに渡されたのは空の通行札一枚。白い札は風に揺れて、ひんやりと輝いた。
ダンは手元の古い懐中時計に触れた。前世の港で拾ったものだ。蓋を開けると、長年の手入れで軋む音がした。あの時計には、彼がここにいる理由の一片が詰まっている。だが今、それを抱えている自分がどれほど無力かも知っている。
「説明をしてください。何がどうしてここまで…」と、近くにいた保健婦マラが言った。マラは迷宮に入った人々を看取って戻ることが多く、顔には疲れと決意が交互に刻まれている。彼女は子を抱き上げると、その熱を額で確かめてからダンの目を見た。「時間がないの。あの薬があれば体温を抑えられる。外で手に入るものじゃない」
「申告がなければ、迷宮内への搬入は認められない。申告された荷物に限り、その持ち主が本当に必要とする道具を一つだけ迷宮内へ通す。それが俺の能力の範囲だ」ダンは低く、正確に言葉を並べた。周囲が静まる。能力の規則はいつも彼の胸を締め付けた。だが今は、それが現実を変える唯一の道具でもある。
マラの視線は真剣だ。「申告が真実なら、その子の『必要』は通るの?」
「そうだ。だが、嘘の申告は荷物を石にしてしまう。さらに嘘をついた申告者の、大切な物も同じ重さになる」ダンは手の中の懐中時計を意識した。規則は冷たかった。嘘の代償は、常に誰かの重みになる。彼はその重みをよく知っていた。
母親が嗚咽を漏らす。徴収者の中の一人が鼻を鳴らした。「そんな抜け駆けは許さん。税は税だ。道理は通らぬ」
「税は命より重いのか」ダンの声が、坂の上の列に向けて小さな波紋を作る。徴収者の一人、灰色の羽織を着た男は、書類を掲げて言い募った。「ここは法で動く。法に従え」
マラが前に出る。「法にも人がいるはずよ。彼女の子は、48時間もたないわ。あなた方が望むのは罰ではなく秩序なのかしら」
徴収者たちは黙り込んだ。秩序と罰の間にある曖昧な線を、誰もはっきりと越えようとはしない。
ダンは深く息を吐いた。選択の時が来た。規則と人命の間で、彼はどちらを取るかを選ばねばならなかった。彼は時計を胸の内ポケットから取り出し、手のひらで温めるように握った。あの時計は、彼にとってただの時間計測器ではない。前世の記憶をつなぐもの、約束を刻んだものだった。失えば痛む。それでも彼はやると決めた。
「私が申告する。一つだけ通す」ダンの声は穏やかだったが、周囲を固める空気が引き締まる。「だが、条件は明示する」
灰色羽織が眉をひそめる。「誰のための申告だ」
「この子のためだ。薬を迷宮内に通す。申告者は私だ」ダンは懐中時計を差し出した。「私の申告で、薬を持つべき対象を通す。必要なら、私の持ち物に代償が生じても構わない」
一瞬の沈黙のあと、徴収者の一人が笑ったように見せた。「面白い。自らを賭ける役人だな。だが申告に虚偽があれば、荷物は石となり、申告者の大切な物も同じ重さになる。覚悟はあるのか?」
ダンは時計を握り直した。「覚悟はある。税の前に、命がある」
手続きは形式的に進められた。彼は申告書に自分の署名をし、荷札に「医薬品」と記載した。誰もがそれを見た。だが重要なのは、申告が真実であるかどうか――本当の所有者の申告ではない。母親はその場に賭ける勇気を持てず、はじめての選択を他者に託してしまった。ダンはその事実を呑み込んで、ペンを置いた。
「これで…行けるのか?」マラが囁いた。
「行く。だが発動の条件は守られる。申告された荷物があれば、中でその持ち主が本当に必要とするものが一つ、現れる。俺が管理する以上、それは必ず実行する」ダンの声には確信が混じっていた。だがその確信は自分が支払うだろう代償の予感とも同居していた。
荷物の検査台の上で、ダンは布袋を指差した。徴収者は書類に目を通し、荷札を確認して頷いた。「では通してやる。だが虚偽があれば…」
「虚偽の責任は私が負う」ダンは言い切った。
手が触れたとき、冷たい振動が走った。周囲の空気が一瞬だけ割れるように静まり、布袋から小さな石の粉が舞った。誰もが息を呑む。次の瞬間、ダンの掌にあった懐中時計が鈍い光を放ち、ぐにゃりとした重さを持ち始めた。
「嘘の申告は…」灰色羽織が言う前に、規則が示した通りのことが起きた。布袋の縫い目が硬く固まり、布は石のように錆びついた。布袋自体が、光沢のない灰色の鞄へと変化していく。母親の目からは、逃れられない恐怖と同時に救いの光が浮かんだ。彼女は鞄を抱き締め、薬が戻ることを祈る。
ダンは懐中時計を握りしめながら、その重みに顔を歪めた。いつもの柔らかな重さが、違うものへと変わっていた。金属の表面はざらつき、針は止まった。掌に伝わるのは時間ではなく、石の冷たさだ。
「申告者の大切な物も同じ重さになる……」誰かがつぶやいた。マラの顔は真っ青だ。だがダンはそれを受け入れた。自分の大切な物が石になることと、子供の生命が救われることの秤は、彼にとってはもう決まっていた。
徴収者が厳しい目で言った。「申告は処理された。だが荷物は既に石化している。通常ならこれで中に入れない。だが…」
灰色羽織が一瞬考え込む。規則書に記された曖昧な一行を指でなぞった。「通関吏の判断、か。あなたが申告者なら、その裁量で荷物の運用を指定できる」
ダンは一歩前に出た。「鞄は石になった。だがそれは証拠として残す。中にあるものが変化することは、俺の権限で確認できるはずだ。もし中で必要な薬が出せるなら、迷宮内から持ち出して、その子に給付してくれ」
徴収者たちは喧々囂々となる。税の取り立てに慣れた連中は、こうした判断を嫌った。だが群衆の圧力と、目の前の小さな命が彼らの良心を揺さぶり、最終的には一人が肩をすくめて命令を下した。「ならば手続きを。記録に残す。石化した鞄は押収物として保存し、その代替として中で必要な物が現れるかを確かめる」
迷宮への門が重く開かれると、二人の若い探索者が駆け出した。彼らは試作品の容器を抱え、鞄を慎重に抱えて奥へと進む。群衆の息が詰まり、誰もがその後を見送った。母親は祈るように手を合わせ、子の額に指を当てる。ダンは石の懐中時計を握りしめたまま、目を閉じた。胸の奥に拡がる喪失感は深かったが、その代わりに誰かの微かな吐息と温もりが戻るのを期待していた。
二時間ほど経っただろうか。探索者たちが戻ってきた。鞄はそのまま、石のまま抱えられている。だが一人が手に小さな木製の箱を持っていた。箱の蓋を開けると、中には液体の入った小瓶が二本、布に包まれて眠っていた。薬だ。群衆から歓声ではないが、安堵の