異世界転生石鹸工の王宮侍女

異世界転生石鹸工の王宮侍女 第4話「第3章」

夕方の光が洗濯場の石段を斜めに切る。マコトは、自分で煮た小さな石鹸片を掌の上で転がしながら、出て行く決意を固めていた。したいことは簡単だ。鉱山町の子どもたちに、どうして手を洗わないのか直接聞くこと。聞けば真実が歪められているか、誤解が解けるかもしれない。だが、妨げは明白だ。王宮の立札、巡回する侍女の視線、そして何より──王宮が定める「衛生に関する規定」だ。守るべきは、灰と煤にまみれながらも自分たちのことを話してくれるかもしれない子どもたち。彼らはマコトにとって、ただの助けを求める存在ではなく、自分が守らねばならない共同体の一端だった。

夕方の光が洗濯場の石段を斜めに切る。マコトは、自分で煮た小さな石鹸片を掌の上で転がしながら、出て行く決意を固めていた。したいことは簡単だ。鉱山町の子どもたちに、どうして手を洗わないのか直接聞くこと。聞けば真実が歪められているか、誤解が解けるかもしれない。だが、妨げは明白だ。王宮の立札、巡回する侍女の視線、そして何より──王宮が定める「衛生に関する規定」だ。守るべきは、灰と煤にまみれながらも自分たちのことを話してくれるかもしれない子どもたち。彼らはマコトにとって、ただの助けを求める存在ではなく、自分が守らねばならない共同体の一端だった。

「行くのかい、マコト?」

背後で声をかけたのは、洗濯場の班長、サエだった。年輪のような皺を顔に刻んだ女は、縦に裂けた麻布を縫い合わせながらこちらを見上げる。彼女の目にはいつも理性と疲労が混じっている。マコトは手の石鹸に視線を戻し、短く頷いた。

「様子を聞きたいだけ。強制されているのか、訳があるのか。子どもたちの言葉を聞きたいの」

「王宮の者がつけているだろう。あの町は規制が厳しい。水の配給も、動きも、労働時間も。簡単に出入りできないよ」

サエの言葉どおり、鉱山町へ続く道は鍵と柵を重ねたように管理されていた。通りの入口には王の紋章の入った木札が打ち付けられ、そこを通る者は必ず許可証を掲げねばならない。水源には番人が座り、桶を受け取る都度、印籠のような小さな札を刻印して渡す。役人の目は、働く者の動き一つ一つを数えるかのように巡っていた。

それでもマコトは行くと決めた。石鹸は小さく、腰の袋に忍ばせる。煮詰めた匂いがまだ指に残っている。自分の作ったものだという確信が、彼女を冷静にさせた。自分で煮た石鹸でなくては、あの泡は現れない。そして、石鹸が働く条件も、代償も、彼女の胸に刻まれている。無実の人間を疑って洗えば、泡は自分の手を焼き、汚れそのものは消えない。思い出すのは、前に一度、安易に手を伸ばしてしまったときのことだ。焦げるような疼きが指の間に走り、そこに刻まれた痕は消えない。だから、マコトは無闇に洗わない。確かな証拠を掴んでから動く。

町の入口で、印章を持った侍従が行き交うのを見た。彼らはマコトを知っていた。王宮の洗濯場の者として、顔は知られている。だからこそ、変装もせずに歩ける利点がある反面、監視の目も厳しい。畏まった口調で役人は訊ねる。「何の用だ、洗濯場の者よ」

「子どもたちの様子を――手洗いをしない理由を聞きに来ました。ささやかでも、何かできるかもしれません」

役人は眉をひそめた。マコトの顔に入った焦げ跡をちらりと見て、それからゆっくりと手を振る。許可は下りないが、特別にここまで入ることを黙認するような、曖昧な合図だった。彼の視線は冷たかった。王宮にとって「不都合な問い」は静かに押さえ込む対象だ。だがマコトが知りたかったのは、押さえ込まれた事実の断片だ。

町の空気は、洗濯場とは違った重みを持っていた。煤と湿気と鉱石の粉の匂い。子どもたちは大人の陰に隠れるように座り、手を見せることを拒む。ある少年は、マコトが近づくと後ずさりして目を逸らした。

「何が怖いんだ。洗いたくないだけか?」

短く投げかけた言葉に、近くにいた小さな少女がぽろりと声を漏らした。「洗うと、……連れて行かれるんだよ」

その一言が重く落ちた。少女の指先は黒く、台所用の鍋にでも触れたかのように煤が張りついていたが、不自然なまでに爪の周りが赤く荒れている。顔には恐怖が刻まれ、瞳は大人びていた。

「連れて行かれるって、誰に?」

「侍医さん。……来た日に、洗ってはいけないって、言ったんだって。洗った人は神に罰されたって。父さんがそう言った」

「侍医? 王宮の侍医がか?」

「うん。回るんだよ、鉱山に。『神が怒った』って言って、洗うなって。洗ったら病が広がるから、みんな耐えろって。それで、洗った人は隔離されるって。帰ってこない人もいるって」

言葉は幼いが、その内容ははっきりとしていた。王宮の医師が鉱山で直接言説を振るい、洗浄を禁じることで人々の行動を制限している。だが「神が怒った」という説明は方便だ。真実が何かはわからない。だが、役人の印があちこちに転がり、人の移動や水の管理が厳しいことは確かだった。

「どうして水をくれないのか、聞いた?」

「……水は少ないって。券がないと洗えない。券は仕事場でもらうんだよ。働かないと貰えない。洗う時間に離れたら怒られるから、洗わないんだって」

誰かが肩越しに付け加える。彼の声はざらついていて、本心を吐露するほどには柔らかくない。「券を出すのは鉱山の上役だ。王宮側の人間だ。水を与えるとき以外は、ここで水を使うなって言われてる」

言葉の端々から制度の形が見えてきた。水の供給を刻印で管理することで、王宮は実際に人々の自律を削いでいる。働く時間を逸脱して洗うことができなければ、手はいつまでも黒く、病のサインは目に見えるままになる。見えるままにしておけば、「神罰」だと言えば済む。見えなくするには、洗わせないのが一番だ。そうして責任をすり替え、問題の所在を曖昧にする。マコトは胸が詰まるのを感じた。

「侍医さんが来たとき、何を言ってたの?」

少女は考えて、唇を小さく震わせる。「病は神の黙示だって。だから、祈ることが大事だって。触るなって。洗うと神がもっと怒るって。病人は隔離するって。隔離場所は王宮が決めるって」

その「隔離」という言葉に、マコトの指先が無意識に石鹸片の形を確かめた。隔離される者が帰ってこない。洗うことがタブー化される。そして、それを王宮の侍医が正当化する。すべてがつながっていく。だが、まだ確証にはならない。何か具体的な証拠が欲しかった。言葉だけでは、噂と祈りの混じった民話に過ぎないかもしれない。

手を洗えない理由のひとつは、外形上は「神への恐れ」だった。しかし、その背景にあるのは明らかに「移動と労働の管理」だ。券で水を配り、許可なく移動する者を咎め、洗うという行為自体を制限することで、人々の自由な判断を封じている。マコトはそれを頭の中で整理しながら、問いを続けた。

「王宮の医者は、鉱山に何を持ってくるんだ?」

「薬とか、小さな布とか……封筒に字が書いてあるけど、よくわからない。徴収の紙もあったって、母さんが言ってた。支払えないと、働くのを増やすって」

徴収の紙。支払い。医療を理由に資源を動かし、返礼を求める――それは利益の回収の匂いがする。衛生を理由にした統制が、いつしか経済的な圧迫に繋がっている可能性がある。だがそれを突き止めるには、もっと「物的な証拠」が要る。言葉は揺らぎやすい。布や記録、王宮の所作が何を意味するのかを確かめたい。そこで、マコトは静かに提案した。

「君たちの持ってる布や、手についた煤のついた端切れを見せてくれないか。触らせてもらっていい? 洗うわけじゃない。検査をするだけ。これは私が煮た石鹸でなきゃ効果が出ない。もし有害なものがあるなら、泡として見えるはずだ」

提案に、子どもたちは互いの顔を見合わせた。一瞬の沈黙の後、少年がためらいながら薄汚れたハンカチを差し出す。布の匂いは鉱石と油の混