異世界転生影縫師の護衛騎士 第7話「第6章」
空は低く、町の広場を囲む石造りの建物の壁は冷たく黒ずんでいた。昼の陽は弱く、群衆の輪の中央に組まれた簡素な壇上だけが、灰色の光を受けて白っぽく浮かんでいる。裁定の小審――影裁の手続きだ。誰かの影が「足りない」と判定されれば、替え玉は執行される。替え玉に選ばれた人々は今日、ここで名を呼ばれ、証言と判決を交わされる。
空は低く、町の広場を囲む石造りの建物の壁は冷たく黒ずんでいた。昼の陽は弱く、群衆の輪の中央に組まれた簡素な壇上だけが、灰色の光を受けて白っぽく浮かんでいる。裁定の小審――影裁の手続きだ。誰かの影が「足りない」と判定されれば、替え玉は執行される。替え玉に選ばれた人々は今日、ここで名を呼ばれ、証言と判決を交わされる。
セイは路地の上着を羽織り、端の影に体を沈めた。彼が今したいことは単純だった。壇に上がろうとする者たちの影のほつれを一つずつ縫い、ひとりでも多くが自分の言葉で立てるようにすること。ただし、障壁ははっきりしていた。裁定騎士団の代理で来ている役人たちの列、壇上に座る町の長と判定官、そして何より制度そのものが、被害者の口を閉ざし、替え玉の存在を正当化するためにあらゆる手を尽くすだろうということ。加えて、縫えば縫うほど自分の影が薄くなっていくという代償がある。かつての仕事で幾度も糸を通した指先とは別の、冷たい何かが胸の奥を掠める感触もあった。
「セイ、ここで待っていてくれ。無闇に出ないでほしい」
横にいたイサがそっと声をかける。彼は情報屋であり、今日の段取りを知らせてくれた張本人だ。短く切った髪と細い目が警戒を示している。後ろには傷薬を手にしたトルという男がいて、彼は護衛隊員ではなく治療者だが、縫いの代償が出たときに備えて距離を置いていた。仲間は全員、独自の判断と役割を持っている。セイはそれを信じていた。
壇の祠の前で、判定官が黒い革手袋を嵌めた手を組んだ。手袋の端に、細い黒糸が巻かれた指輪が光った。黒糸の指輪――セイの視線は無意識にそれへ吸い寄せられた。小さな装飾だが、その紋様は冷ややかで、見ただけで制度の牙を思わせた。
最初の名が呼ばれると、人々はざわめいた。替え玉の候補として立たされたのは、年のころなら三十にも満たない女だった。名はハナ、路地で洗い物をして生計を立てていたという。彼女の影は、足元に裂け目のような黒い空白があった。ほつれではなく、欠けた影。セイの胸がぎくりとする。欠けた影――その言葉は、ここに来るまで頭の片隅にちらついていた好ましくない記憶の輪郭を、初めて確かな言葉として取り出した。
「証言を求む。何が起きたのか、順を追って述べよ」
判定官の声は平坦で、まるで既に結論を知っているかのようだ。ハナの唇が震えた。体は小刻みに震え、視線は観衆の顔を泳いだ。多くの者は冷ややかに見下している。替え玉が出れば、彼らの生活は守られたという論理。だがハナは名前を呼ぶ人々の中に、自分の幼子の顔を見た。彼女の胸が引き裂かれそうになる。
セイは足を動かしそうになった。使えば何とかなる。ハナの影のほつれを縫えば、足取りを支え、壇の前まで確実に進めさせられる。彼女が自分で語ることができれば、制度は初めて真正面から語られるかもしれない。だが、縫えば自分の影は一段と薄くなる。ここ数日ですでに薄くなっているのを感じている。何より、彼の縫いは「信頼する相手」にしか効かない。ハナが心の底から助けを受け入れなければ、縫いは成さない。さらに禁忌があった。縫われた者が嘘をつけば、その縫い目は刃へと変じる。
イサが手の甲で小さく合図を送る。合言葉のように、掌を開いて静かに胸へ当てる仕草だった。セイはうなずき、影からそっと体を出した。足元の石畳は冷たく、彼の影が床に落ちる度に、その縁が薄くなっているのが分かる。心の底にあるのは焦りよりも不安だった。影が薄まれば、声も、温度も、他者に触れる実感も薄くなっていくように思えた。
壇の周囲には、被害者たちの家族や同胞が押し寄せていた。彼らの顔は複雑だ。恐れと諦観、希望と恨みが入り混じる。セイはハナの横に滑り込むと、すっと手を差し出した。これは無理に力を行使するための動作ではない。彼はまず、条件を告げねばならなかった。
「ハナ、俺の力を受けるか?」
ハナの眼が瞬間的に鋭く光った。目にはまだ泣き物の赤みが残るが、答えは確かだった。
「――あなたを信じます」
信頼。セイの能力はそこからしか生まれない。彼は指の先に静かに黒い糸を引き出すような感覚を覚えた。糸は見えるものではない。影の繊維の隙間に、彼の意志が差し込まれるようにして入っていく。ハナの影の欠けた縁に触れると、そこに小さな白い光の点が一つ灯った。糸は縫い目になる訳でもなく、風景の一部として影を縫っていく。ハナの一歩一歩に添うように、縫いは働き、体の動きが滑らかになる。
「行け。自分の言葉で」
セイはそうだけ告げ、影の縫いを最小限に留めた。一本の縫いで消耗は起きる。糸を引くように、自分の影の密度が几帳面に薄くなるのを感じる。胸の奥が冷え、まるで影の一部を自分の手で剥ぎ取られるような痛みが走った。視界の周縁が暗く、音が遠くなる。イサの声が、遠い所で紙を叩くように聞こえた。トルの手がすぐに脇に来て、薬を差し出す。彼は手押し車の薬瓶を差し出しながら、言葉を添える。
「使ったね。回復は遅い、だが少し休め」
だがセイは座り込むことはしなかった。ハナが壇の上で言葉を紡ぎ始めたからだ――自分の意志で語り始めた。最初は小さかった声が、次第に広場に届くようになった。彼女は替え玉の手続きについて、どのように取引が行われてきたか、何が奪われたかを口にした。証言は粗削りながら生々しく、聴衆の心をじわりと搔きむしった。替え玉にされた者たちは、裁定によって人の移動と記憶さえ管理されること、欠けた影がそうした操作の痕跡であることを語った。口にされた「欠けた影」という言葉が群衆に反響して、空気の色が変わった。
「欠けた影は、私たちがどこにいたか、誰だったかの一部を持って行かれるんです。あの夜、役人たちは私たちを――」ハナは言葉を切った。震える指が胸元に触れた。壇の向こうで判定官の手が微かに動いた。彼の黒糸の指輪が、目に止まる角度でちらりと光った。
証言は次々と続いた。隣の男、老人、そして子ども。泣きながら、怒りながら、事実を重ねる声が広場に重なった。セイは自分が縫ったのは一度だけだと数えた。だがその一度で、彼の影はさらに薄くなっていた。体の輪郭が、人々の視界に入るときに少しぼやけて見えるようになった。ちぎれた布のように。寒気が縫合部から全身へ走り、視界の縁がもっと暗く沈んだ。
すると、壇上にいた役人の一人が声を張り上げた。「虚偽の訴えだ! 証人の証言は矛盾している。替え玉は秩序維持のための必要な手続きである」と。彼の言葉はあさっての方向を向いていたが、群衆の一部には響く。民衆の安全という仮面は、この手続きを正当化するための常套句だ。
だが、ここで問題が起こる。壇の側に立っていた、一人の被害者が小さく口を歪めた。彼女は事前にセイと短い約束を交わしていた。真実を語るということ。それが縫いを受ける条件でもあった。だが恐怖が彼女を捕らえ、両親への害を恐れて、一部の事実を隠してしまう。言葉は微妙にすり替わり、嘘になった。
その瞬間、縫い目が石畳の空気を裂くような音を立てた。鋭い光の一線がハナの足元の縫い目に走り、細い刃の形を取りかけた。周囲の人間がそれを見て息を呑んだ。刃は実体を持たないが、鋭い痛みを振動として空気に刻