異世界転生影縫師の護衛騎士 第15話「第13章」
「今、やらなきゃいけないのは、個別の救済じゃない。制度を動かすために、人と力を繋ぎ合わせることだ。」
「今、やらなきゃいけないのは、個別の救済じゃない。制度を動かすために、人と力を繋ぎ合わせることだ。」
セイはそう言って、地下の小さな会合場の灯りの下で布の端をつまみながら目を上げた。彼の声は低く、切迫している。周囲には織り手、薬師、行商人、そしてかつて街役人だったらしい年寄りが座っている。誰もが夜の空気を固くして聞き入っていた。外では裁定騎士団の巡回が増え、路地の明かりは半分以上消されている。近くの通りを渡る足音と甲高い命令が、今この会議を妨げる可能性を常に孕んでいた。
「妨げるのはあの連中だ。月のない裁判所からの圧力が来ているって、今日は市門に立て札が回ってた」薬師のリナが小声で言う。息を呑む者が数人、手元の布に視線を落とす。彼女の指先は微かに震えていた。
「それでも、守るのはここにいる──ミラや、先週助けたあの子らだ。君たちが今夜話し合ってくれるだけでいい。行動は分担する。私一人に押し付けないでくれ」セイは自分の影を下に確かめるように視線を落とす。影は、そこに居るはずなのに薄く、いつもより頼りない輪郭で床に沈んでいた。それが今の彼の妨げでもあり、代償でもある。
「セイ、君はもう一度縫えるのか?」織り手のマルが訊いた。声に恐れが混じる。縫いは一度で相手の動きを支えられるが、そのたびにセイ自身の影が薄くなる。嘘があれば縫い目は刃となり、人を傷つける。最近の使用で、彼の影は明らかに薄まっていた。
セイは布を握り直した。「できる。だが、もう無闇には使えない。次に縫うときは、合意と手順の中で、記録を取って、誰も嘘をつかせない場に限る。僕の影を、僕だけの犠牲にしないために」
話は静かに始まった。彼らはこれまで、セイの縫いで幾人もの命を一時的に救ってきた。だがそれは瞬間の救済に過ぎず、裁定騎士団の制度そのものは健在だ。連中は、影で身分を裁く理屈を使い、欠けた影──不完全に印された者たち──を安く扱い、替え玉として差し出す市場をも運営してきたのだ。
「市場の連中は怖がってる」と商人のケイドが言う。彼の眉間には深い皺が寄り、店の帳簿を握った手が硬い。「騎士団は、通行証の発行を止めて、移動税を高くしてきた。夜毎に尋問がある。把握されたら、店も人も危ない」
年老いた元役人、ハンは小さな箱をテーブルに落とした。その中には、黒い糸でできた指輪が一つ、淡い油気を帯びて光っていた。指輪には小さな紋章が刻まれている。見る者の顔が一斉に変わる。セイの胸の奥で、冷たいものが膨らんだ。
「これか」ハンが呟く。「これが彼らの儀式具だ。月のない裁判所の紋章だ」
指輪は小さなものだったが、その存在感は不穏な重さを放っていた。誰かが遠くで息を詰める音がした。セイは指輪に手を伸ばしかけて、やめた。距離を置くようにして肘をつき、唇を噛む。
「どうしてそれがここに?」リナが尋ねる。声に怒りと恐怖が混じる。「誰が持ってきたの、隠してたの?」
ハンは小さく笑って首を振った。「持ってきたのは密偵だ。奴は昨日、裁判所近くで捕まっていた。尋問にかけられる前、隠し袋からそれを僕に渡してくれた。『忘れられた町の証拠だ』とだけ言ってな」
ケイドが短く舌打ちした。「それだけじゃない。彼は紙片も持っていた。文字が少しだけ残っている。裁判所の用語が並んだ書類の破片だ──合図、紐、被告の移動、記憶の定着……」
セイは息を呑んだ。指輪は象徴であると同時に道具だった。噂だけではなく、実物がここにあるという事実が、抵抗の根拠を与える。彼は長年、服のほつれを見つめる目で人を見てきた。それは否応なくこの土地の傷を見せた。欠けた影はただの詩的表現ではない。人の一部が、制度の都合で切り取られてきた痕跡だ。
「欠けた影って──」マルが言葉を詰まらせる。「人をどうやって欠けさせる?」
ハンは指輪を手に取り、古びた記憶を掬い上げるように語り始めた。「ここに書かれているのは、移動と定着の儀式だ。人を別の場所に移す際、印を付ける。影の一部を切り、登録番号に紐づけてしまう。記憶の一部も同時に固定される。しかし、うまくいかないと影が欠ける。動きと記憶が食い違い、存在が薄れる。そういう者は市場で価値が下がる。替え玉に出されるんだ」
その説明は、部屋の空気をさらに重くした。リナがぐっと唇を嚙む。誰かが小さく腫れ縫いされた指を撫でる。セイは胸の中で何かが割れるのを感じた。ミラの影のほつれ、あの少女の瞳にあった空洞。彼がそれを縫ったとき、確かに動きを取り戻したが、縫い目の代償として自分の影は薄くなり、数時間の記憶の抜け落ちを経験した。記憶の欠落は治療の副作用かと思っていたが、あれは制度の仕組みとつながっていたのだ。
「ならば、これを見せられればいい」ケイドが言う。「民の前で。仕組みを暴いて、奴らの儀式が何をやっているか示せば、支持を失う。商会も巻き込める。裁定騎士団は力で押さえるが、力は限られている。経済と民意を失えば、その支配は脆い」
「そう簡単には行かない」と別の声が割り込む。薄汚れた外套を羽織った女性、リサは街の運送業を取り仕切る顔で、膝を抱えている。「奴らは書類を偽造する。地位を買える連中だ。公開すれば、反証で墓穴を掘るように見せかけて我々を糾弾するだろう」
「だからこそ同盟が要る」セイが割って入る。「法廷で勝つとか、彼らを剥がすとか、そんな大仰なことじゃない。まずは連帯を作るんだ。商人、運送、薬師、守り手──人の流れを押さえる連中を味方につければ、裁判所は人材と情報で縛られる。最終的には市の公衆の場で証拠を出し、被害者に語らせる。それが政治的戦術だ」
「被害者の語り、ねえ」とリナが呟いた。「でもその人たちを守れるの?」
「守る」ケイドは即座に答えた。「護衛隊だ。僕らがやる。だが護衛は武力だけじゃない。ルートを確保し、偽造証拠を暴き、証言を公にするための場を確保する。セイ、あなたの能力はそのときだけ使う。合意のある場で、しかも術後に記録を取っておけるやり方で」
セイはかすかに首肯した。自分の能力を「儀式化」する。合意、記録、複数の立会人。嘘を防ぐために、前段階で質問と答えをすり合わせ、誰が嘘をついても縫い目が刃と化さないようにする。彼はその設計図をすでに脳裏に描き始めていた。だがその代償は現実で、彼の影は確実に薄くなっている。今夜、灯りの下に座る彼の姿は、他の者たちにとってどこか現実味を欠いて見えた。
「指輪を持っているってことは、儀式の器具を盗めば、裁判所の儀式そのものを再現して見せられる可能性がある」ハンが続ける。「だが、それを公にするには誰かが裁判所の内部に入らなきゃならない。密偵の出した破片だけでは不十分だ」
「内部告発者を見つけるんだ」リサが絞り出すように言った。「あの騎士団にも不満分子はいる。贈収賄で入った連中もいる。一人でも内部から手を引けば、我々は有利になる」
会議の空気が少し緩む。希望と恐れが混ざる瞬間だった。連帯とは蜂起ではなく、糸を手繰るような作業だ。セイはその言葉に胸が熱くなった。前は自分の手でほつれを一つずつ縫い合わせてきた。だが一人の手で縫い続ければ、本人が薄くなってしまう。今必要なのは、複数の手で布を扱う