異世界転生影縫師の護衛騎士 第13話「第12章」
セイは朝の薄い光を背に受けながら、路地の石畳に映る自分の影をじっと見つめていた。影は、いつもより細く、輪郭がにじんでいる。指先を伸ばすと、石に落ちた黒い影が指の曲線を追わずに、まるで少し距離を置いた別の誰かのように歪んだ。
セイは朝の薄い光を背に受けながら、路地の石畳に映る自分の影をじっと見つめていた。影は、いつもより細く、輪郭がにじんでいる。指先を伸ばすと、石に落ちた黒い影が指の曲線を追わずに、まるで少し距離を置いた別の誰かのように歪んだ。
「気にしすぎだよ、また眠れなかったんだろ」ソランが肩越しに声をかけた。元兵士のその手は太く、朝露に濡れた革のベルトに力を入れていた。ソランは影の薄さに気づいたが、きっと余計な言葉は言わないほうがいいと判断している。
「いや、見てくれ」セイは動かずに、自分の足元にある黒い影の端を指差した。「縫った数が増えると、こうなるんだ。薄く、切り取られていくみたいに」
カエが近づいてきて、路地の石壁に映る二人の影を比べた。情報屋の目は冷静だが、彼女の唇は固く結ばれている。「あなたがやらないと誰もやれない、とみんなが信じている。だけど、信じるってことはどういうことかって話だよね。これからどうするつもり?」
セイは息を吐いた。今したいことはひとつ。路地の人間をもっと守ることだ。裁定が近づき、替え玉にされかねない者たちの名簿は日ごとに膨らんでいる。王都へ連れ去られそうなミラだって、その列に入っている。だが目の前には明確な妨げがある。自分の影が薄くなっていくこと、そして――縫い目が刃になるという厄介なルールだ。能力はひとりの救済にしか耐えないはずなのに、要求は拡大する一方だ。
「聞いてくれ」セイは仲間に向き直った。「俺は、今日も縫う。だが、無制限にはやらない。代償を分ける方法を作る。合意の手順を徹底するんだ。信頼しない相手の影は縫わない。嘘があると……あれは刃になる。皆、忘れるな」
リオが固くうなずいた。若い護衛志望の顔には決意と恐怖が混ざる。「合意の手順って、どうするんですか? 言葉だけで誓わせるのは危険じゃないですか?」
「言葉だけじゃ駄目だ」セイは答えた。「縫う前に、目を見て、名前を呼んで、ここにいる理由を声に出してもらう。それに、証人をつける。嘘がなければ、縫いは『記し』になる。嘘があれば……その瞬間、縫い目が刃に変わる。俺はそれをどうにか出来ない」
仲間の目が一斉にセイに向く。彼らは道具ではなく、判断を持った人間だ。カエが提案する。「私が声を出す。外部との接触を管理する。ソランは物理的に護る。リオは証人として手続きを覚えなさい。セイは本当に最後の切り札にだけ縫う。代わりに、私たちは学ぶ。あなたのやり方を、部分的に真似して、合意の儀式を共有するの」
そのとき、石畳の向こうから物音がした。表示札を掲げた小さな一行が、路地の入り口に姿を現した。三人の役人――裁定騎士団の下位に属する巡査だ。彼らの制服には黒糸で織られた小さなリングの紋が刺繍されている。セイの胸がぎゅっと痛んだ。黒糸の指輪だ。あれが、何かを示している。彼が前に拾った指輪の破片を思い出す。あの指輪は、裁定にかかわる象徴であり、道具でもあった。
「見回りです。噂は聞いたか? この地区で――影の取り合いがあるらしいって」一人の巡査が笑ったが、その笑顔は引きつっていた。彼らは路地の空気を測り、誰かを脅したいだけだ。だが、その中にいる一人が、セイの耳に引っかかる短い語を口にした。「替え玉を……」
噂を嗅ぎつけるのは早い。彼らは去り際に一枚の紙片を残した。黒糸の紋章。脅しだと思った瞬間、リオが紙片をひろい、文字を読み上げた。「『本日、正午、補正局前にて影裁申告』……これが増えていくんだ」
午前は速く過ぎる。仲間たちは各自の役割を再確認し、合意の儀式の稽古を短時間で行った。儀式は無骨だ。対象者は名前を、出自を、裁定の意図を告げ、目の前の複数の証人がそれを繰り返す。嘘は音として感じられる、とセイは言う。嘘は空気の振動ではなく、人間の体内でこもる違和感で、それに触れた針先が化ける。
午前の終わり、セイは本当に少数の影を縫った。ひとつは子ども――裁定の手が伸びそうな粗末な服の少年だ。少年は震えていたが、嘘をつく理由などなかった。セイは針を取り出し、言葉をかける。「名前を言って。理由を言って。ここにいるのは本当にあなたの意志か?」
少年は震えながら、自分の名前と、親を守るために外へ出たことを告げた。カエが短くうなずき、ソランが腕を通した。証人三名。セイは指先で影の縁に触れた。針先はほそい糸を通すように黒い隙間に入っていき、軽く弾かれるような感触があった。縫った瞬間、少年の動きが整い、足が突破しようとしていた石段を滑らかに上った。庭を曲がった先にある隠し道へと導く。救出は成功した。
その瞬間、セイは自分の背の内側で、何かが抜け落ちるのを感じた。息が浅くなり、足元の影がさらに細くなった。石に落ちる黒が薄れていく。仲間たちはそれを見た。リオが手を伸ばし、セイの肩に触れた。「大丈夫か?」とだけ。
大丈夫ではない。だが"守る"という約束は守らねばならない。次の対象はミラだ。彼女は今日、王都関係の職員に目をつけられているという情報が入っている。ミラは小さな物音で裏口から姿を現した。彼女の影は欠けている。左の膝から下の影が、何かにかじられたように丸く欠けていた。「欠けた影だ……」セイはつぶやく。欠けた影という言葉が、以前から胸の奥にあった違和感を呼び覚ます。欠けた影は、ただの比喩ではなかった。制度による改変の痕跡なのだ。
「ミラ、来るか?」ソランが低く言う。ミラは首を振り、かすれた声で答えた。「来るよ。だけど、私を王女だって言わせないで。私、自分の人生を取り戻したい」
合意の儀式を準備していると、路地の入口から慌ただしい足音がした。見張りが叫び、二人の男が駆けこんできた。ひとりは顔に泥を塗っていた。もうひとりは濡れた毛布を抱えている。二人とも息を切らし、ひどく怯えていた。
「助けてくれ! 役人が来る! 影を探してるんだ!」泣き叫ぶ男の目は血走っていた。カエが素早く彼らを囲んで、名前、出自、今ここにいる理由を問いただす。彼らは言葉を重ね、証言はばらつきがあった。ソランが眉をひそめる。リオがメモを取りながら、証言を天秤にかける。
セイはその男の影に目を向けた。その影は妙に濃く、輪郭の中に別の薄い線が走っている。縫うべきか。縫うならば何が起こるのか。合意の手順は踏まれていない。だが、外を見ると遠くで馬の蹄音が高くなっている。裁定騎士団の巡回だ。
「嘘が混じっている」カエが低く言った。「ひとり、話を盛ってる。逃げる理由をでっちあげている。裏切り者かもしれない。あの男は――」
その言葉を聞いた瞬間、セイの指が勝手に動いた。誰かの命を奪わせるためではない。彼は縫うとき、相手が嘘をついているかどうかを確かめるセンサーとして、自分の針を使うことができる。だが、それは危険な方法だ。嘘があれば縫い目は鋭利な刃に変わる。刃は人を切る。だが、刃で威嚇することも出来るだろう。
セイは呼吸を整え、針を静かに取り出した。彼は男の目を見て、自分の胸の中で確かな念を立てる。――この者の影を縫う。だが、もし嘘なら、刃になる。覚悟はあるか。自分はその覚悟を持っているか。
針先が影に触れる。薄い抵抗のあと、針は黒の隙間を縫うように進んだ。次の瞬間、空