異世界転生紙芝居屋の救世主 第22話「第20章」
昼の光が薄く差し込む倉庫の一室で、ナギは指先に残る硝煙の匂いを嗅ぎながら、どうしても今したいことを声に出した。仲間を助け出すこと。足元で折り重なる子どもたちの紙芝居を抱え直し、彼女はすぐ隣にいるミコトに向き直った。
昼の光が薄く差し込む倉庫の一室で、ナギは指先に残る硝煙の匂いを嗅ぎながら、どうしても今したいことを声に出した。仲間を助け出すこと。足元で折り重なる子どもたちの紙芝居を抱え直し、彼女はすぐ隣にいるミコトに向き直った。
「アキは今、どこにいる?」
ミコトは唇を噛み、煙草の灰を指で落とすようにしてから答えた。「南の検疫柵。旧式の監視所の地下に押し込まれてる。連れて行かれたのは昨夜。軍の車列が二つ通ったって、見た者が言ってる」。
ナギは目を閉じた。アキの手を握る感触を思い出す。彼が笑ったとき、掌にできる小さな線まで覚えているはずだったが、そこに空白があるのを感じた。消えてしまった頁。舞台の稽古場で誰かとぶつかった夕暮れ、楽屋の薄いカーテンの匂い――思い出せない一瞬が穴のように口を開けている。
「救出だ」と、周囲の一人が声を上げる。手元にいるのはリオ、かつて荷運びをしていた男で、今は巡回隊の先遣だ。「今行く。銃を担いで突っ込めばいいだけだ」。
ナギは首を振った。拳をぎゅっと固める。目の前の子どもたちがじっと彼女を見ている。顔に泥の擦り傷、母の匂いを知らない者、夜中に小さく震える者。彼らの記憶を軍に奪われたら、今助けても意味は薄れるかもしれない。ナギには、奪われた記憶と結びついた制度そのものを揺るがす材料を曝す方が、アキを含む多くを救えるとの確信があった。
「証拠を外に出すの。ここで一人を奪い返すのはできる。でも、実験の痕跡を晒さなきゃ、同じことが繰り返される。研究記録、監督の名、逆さの拍子木の使用記録――それを流して、式典の意味を変えるところまで持っていくのよ」
リオの瞳が赤くなる。「それって……今すぐアキを見捨てることになるんじゃないのか」
「見捨てるわけじゃない。救出は後でもできる。まずは、誰かがあの部屋から出てきたときに、彼が語る言葉が『改竄された記憶だった』と誰もが知る状況をつくる。そうすれば、軍の正当性が露になる。捕まってる仲間を、ただ一人の英雄行動で取り戻しても、次の実験は止まらない」
ミコトはじっとナギの顔を見て、うなずいた。「やろう。でも、方法はあなたの紙芝居で。あんたの見せ方なら、人を誘導して『続きが欲しい』と自ら言わせられる。無理に怖がる者を煽らないでくれ。あんたがそうしたとき、幻は敵に変わるって……前に知ったことになっちゃうから」。
ナギは息を吐いた。あの日のことが胸を締め付ける。恐怖の声を使って幻を誘導しようとした瞬間、紙の頁に触れた記憶が一枚、さらりと消えた。劇団の稽古で笑い合った誰かの名前。そこが白紙になってしまった痛みは、思い出というより身体の一部を失ったように冷たい。あの代償を繰り返すわけにはいかない。だから彼女は、怖れではなく「知りたい」という声を場から引き出す術を選んだ。仲間を一人取り返す勇壮さより、未来を変える一手を──今、選ぶ。
夜の街に出ると、軍の色が濃かった。夜襲の名残か、建物の壁には式典で使われた逆さの拍子木を象ったポスターが貼られている。拍子木は上下逆さまに描かれており、その白い部分に小さな黒い刻印が施されている。ナギはそれを見て足を止めた。あの刻印を見たという囚人の証言も、数日前に漏れていた。逆さの拍子木はもはや単なる楽器でなく、記憶を揺り戻すか書き換えるかの起動札だったのだ。
証拠の入手そのものは、地味で泥臭い仕事になった。ミコトが短刀で引き裂いた封筒から出てきたのは、項目がびっしりと詰まった手書きの帳面。そこには「手技」「対象群」「拍子木の回数」「補助音」といった記録があり、実験対象の年齢・出身地・前記憶と改竄後の記録が並んでいた。何枚かは子どもの走り書きのように見え、「白紙の頁を入れ替えることで抵抗を抑制」という記述もあった。さらに、破れた赤い布の切れ端――それは式典で使われていた赤い幕の焼け残りだった。真っ赤な色が焦げて黒ずんでいる。ナギはそれを指先でなぞった。燃え残る赤い幕の匂いが、心のどこかに灯る小さな炎を思い出させた。
「外に出すんだな?」とミコトが言う。声は静かだが決意がある。二人は計画を詰めた。まず帳面のコピーを作る。次に、確実に外へ持ち出せるルートに配る。商人、巡回隊、隣接する村の教員──可能な限り多くの目に触れさせる。ただし、目に触れるだけでは弱い。人々の「欲しい」という能動の声を呼び起こす形で、証拠が広がらねばならない。紙芝居は、その公共的な行為として最も有効だ。だが、ここで大事なのは手段だ。群衆に恐怖を植えつけるような演出は絶対にしない。怖れが先に立つと、幻は敵の筋書きへ変わり、ナギの失うものは増える。
深夜、ナギは小さな広場に幾つかの紙芝居を並べ、子どもたちと数名の大人を招いた。配布するのは演出のテンプレートと、帳面の要約を絵にしたもの。ミコトが作ったのは、薄い線で描かれた一枚の絵で、そこには逆さの拍子木が台に置かれ、その下になぜか子どもたちの顔が並んでいる。周囲には赤い布の破片が散らばり、遠景には監視塔がささやかに描かれていた。絵は事実を隠蔽せずに、しかし押し付けがましくもない。ナギはそれをめくると、静かに語り始めた。
「昔々、この街には、お祭りの拍子木がありました。けれど、あるとき誰かが拍子木を逆さにしてしまった。すると……人々は、目に見えない線に沿って歩き始めた。自分で選ぶことを忘れてしまった。けれど、小さな子どもたちは覚えていました。赤い布の匂い、夜の風の温度、兄妹の笑い声。でも、その記憶は、記録係が書き換えようとした。誰が決めて、誰が変えたのか? それを見せます」
ナギの声は低く、震えはなかった。聴衆には子どもたち、夜働く行商人、疲れた農夫、白髪の女教師がいた。目は尖り、顔には色々な疲弊が刻まれている。だが、恐怖はなかった。もっと深い、知りたいという疲れがあった。
「続きが欲しい!」
その声はどこからともなく上がった。若い行商人の一人が手を前に差し出し、ええ、と言うように続いた。誰かが小さな拍手をして、それが連鎖した。ナギは肩の力を抜いた。これだ。誰かの意志が発火点になる瞬間を見つけた。
彼女は箱を開けた。紙芝居の絵が、薄い光をまとってゆらりとふるえる。約束されたように、幻は現れ始める。だが、今回の幻は避難路や隠れ家だけを示すものではなかった。短い、しずかな案内だった。帳面の一部のページに合わせて、幻は古い記録庫の位置を示した。道の曲がり、屋根の色、一本の腐れた樋の描写。見ている者たちはほとんどが地元の者だから、幻の示す風景は彼らの記憶と重なり、細い糸のように場所を結ぶ。誰もが自分の口で確かめた。誰かが「続きが欲しい」ともう一度声を上げる。その声は恐れからではなく、真実を知ることの欲求から出た声だった。だから幻は敵の筋書きにはならなかった。
ナギは次の頁をめくる。幻は、赤い布の焼け跡と、そこに押された軍の印を示し、誰にでも見える形で証拠のありかを指した。広場で寝起きしている人々の何人かは震えたが、恐怖ではない。怒りと、やっと掴めるかもしれない糸への期待だ。ナギは見逃さず、その場で紙に写し取りをし、数枚を手渡した。ミコトは外へ出て連絡網を動かし、リオは近くの商人に証拠を託し