異世界転生雨傘職人の王都魔導師

異世界転生雨傘職人の王都魔導師 第9話「第8章」

朝の市は、いつもの喧騒よりもひどく静かだった。屋台の布がぱたぱたと風に揺れる音はあるが、足音が途切れがちで、通りの端に設けられた評議会の配給点へ向かう行列が市場の間口を塞いでいる。配給点の幟には「安全装置」――そう書かれた布が外套に貼られ、兵士たちは無言で並ぶ者の持ち物を点検していた。カイは自分の店先で、まだ乾かない布を広げたまま立ち尽くしていた。手元には、直し終えた傘が三つ。黒い革手袋をはめた手のひらに、彼はそれらの重みを確かめるようにのせた。

朝の市は、いつもの喧騒よりもひどく静かだった。屋台の布がぱたぱたと風に揺れる音はあるが、足音が途切れがちで、通りの端に設けられた評議会の配給点へ向かう行列が市場の間口を塞いでいる。配給点の幟には「安全装置」――そう書かれた布が外套に貼られ、兵士たちは無言で並ぶ者の持ち物を点検していた。カイは自分の店先で、まだ乾かない布を広げたまま立ち尽くしていた。手元には、直し終えた傘が三つ。黒い革手袋をはめた手のひらに、彼はそれらの重みを確かめるようにのせた。

「行かないといけない、だろう?」と、隣の屋台の女が言った。ミーヤは果物を並べている。彼女の顔には土と朝露の跡が残っているが、声はいつもよりきりりとしていた。「行って、説明して。あなたならわかってくれる人がいるかもしれない」

カイは傘の縁を指先で撫でた。縫い目は固く、油紙の匂いが残る。直した傘だけが働く。持ち主が自分で開く。そうでなければ、彼は何もできない。閉じた傘を頼ることはできない。もし、自分がそれに頼れば、記憶が濡れて消える。消えた記憶は、彼の頭の中から静かに漂い出て、戻ってこない。先月、路上で見たあの少年を思い出すと、胸の奥がひりついた。少年は、閉じた傘を抱えたまま走って来て、兵士に押し戻され、翌日には別人のように彼の母の名すら忘れていた。

「私たちの市場は、雨の管理の前にある」とカイは言った。声は低かったが意思ははっきりしている。「壊れた屋台を直すのも、子どもを守るのも、ここで商いを続けるのも、全部、市場にいる人たちの選択で決めるべきだ」

ミーヤは頷いた。「でも評議会は『安全』と言って配ってる。人が減れば、誰もここを通らない。商品は腐る。あんたの店もそうだろう」

カイは歩き出した。配給点までは五分もかからない。評議会の兵士たちの列に近づくほど、布の色が青く見えた。彼らの立つところだけ、通りに余計な湿りを作らせないようにとでも言うような、きちんとした空気の溜まりがあった。

配給点の前には、小さな木製の台があり、そこに評議会の役人が紙と羽根ペンを持って座っている。彼は目を上げ、カイを見た。顔には、政策書類に書き連ねられた言葉を読むような無表情がある。兵士の一人が、カイを観察するようにじっと立っていた。

「傘修理人カイ」と役人は名札をめくるように言った。「ここは配給のための手続きです。市場へのアクセスは一日一回、配給カードをお持ちの方のみ許可されています。ご理解ください」

「理解はしている」とカイは答えた。「だが、あなたたちが言う『安全』は、誰の安全だ? 配給を受けるために並ぶ人の安全か、それともその人たちがここで商えなくなる安全か」

役人の目がわずかに細くなった。「政策には理由があります。制御されない雨は、混乱を生みます。私たちは市民を守るのです」

「制御する場所を増やすと、同時に誰が入れるか決めることになる」カイは目をそらさずに言った。「それが本当に守ることとどう違う?」

兵士の一人が咳をし、後ろで控えていた女が列を整理するために腕を伸ばした。そこへ、一人の母親が子を抱きかかえて現れた。子どもは薄い布を頭にかぶせて震えている。母親はカイを見つけると、近寄ってきた。

「お願い、カイさん」母親の声は震えていた。「配給で私たち、許可されるかどうか分からない。私の店は小さいけれど、ここで朝を待っているだけで客が戻るかどうか……」

カイは傘を差し出した。直した傘の一つだ。布は彼の手で最後に塗られた油で光っている。だが、彼は渡すときに条件を付けた。「自分で開いてくれ。誰かに開かれてはいけない。自分で、だ」

母親は戸惑った。兵士がちらりとこちらを見たが、手は出さない。配給点の規則は、外から来るものには厳しいが、個人の小さな所作までは監視していない。だが、母親の口元は固く結ばれている。配給カードがないと列の最後尾に並ばねばならない。列に並べば、売り子に売り物を置き去りにはできない。彼女の店は、露地の端にある小さな灯りを頼りにしていた。

「自分で開くって、どういうこと?」と母親は尋ねた。

カイは傘の持ち手を指で示して、呼吸を整える。「恐れる雨粒を思い出して。自分が一番恐れている一粒のことを、その傘の中に向けるんだ。開いたら、その粒を、傘ははね返す。だけど、それは一粒だけだ。走る時間を稼ぐだけだ」

母親の瞳に、何かが浮かんだ。小さな顔を抱きしめる腕がぎゅっと縮まる。ふいに向こうの列から、評価らしき声が上がった。兵士のひとりが、「規則に従え」と低く言うのが聞こえる。配給点の係官は、何かを書き写していた。外套の布がひらりとめくれて、幟の「安全装置」という文言がちらつく。

「その『一粒』で足りるか?」と母親は言った。「ここの雨は、普通の雨じゃない。人が配る雨だ。量だって時間だって違う。あなたの傘一つで、皆を守れるの?」

「一粒があれば、誰かが屋根まで走って運ぶ時間は稼げる」カイは答えた。「だがそれだけじゃ足りない。だから話をしたい。ここに並んでいる人たち、一人一人に、開く権利を持ってもらう。配給点の代わりに、自分で一歩を決めることを認めてもらうんだ」

母親の顔に迷いが残る。そのとき、列の端で小さな口争いが起きた。年配の商人が、配給カードを持つ者を先に通すべきだと主張し、若い行商がそれに抵抗している。ちょっとした怒声が上がり、男たちの間に押し問答が生まれた。そうしたささやかな不安定さが、評議会の計画には好都合だった。誰かが秩序を叫び、他の者が安心を選ぶ。配給点はその隙間を埋める。

カイは母親の手を握らずに、隣の男に向けて傘を差し出した。男は粗末な外套を羽織った行商だ。彼の顔は疲れていたが、目だけは冷たく光っている。「もし、あなたがそれを開いて、自分の決断で走れば、この路地の誰かが屋根へ誘導する時間はできる」カイは言った。「それが合意になるように、声を上げてくれ。あなたの一つの『開く』が、他の人の一つの『閉じる』を防ぐ。配給だけが解決じゃない」

行商は傘を抱え、簡単に開く真似をした。だが兵士の一人が踏み出し、「ここで傘を開くのは規則違反だ」と制止する。声は低いが、鉄の冷たさが含まれている。数人の人が振り向く。母親は身体を硬くした。カイは顔を向け、からりと笑った。

「規則を破れとは言ってない」と彼は言った。「ただ、ここに並んでいる人たちに話をする権利をくれ。あなた方の『安全装置』が一部の人にしか行き渡らないなら、その安全に代わる選択を提示するのが私たち市民の権利だ」

役人の顔が険しくなる。近くにいた女兵士が歩み寄り、役人の耳に何か囁いた。評議会の作戦は地方的であっても、指示はこういう瞬間に効いてくる。だが、列の外側にいた老人が、背を曲げながらも声を出した。

「私はこの市場を四十年見てきた。安全は誰かに与えられるものじゃない。守るのは、自分たちだ」

老人の言葉はそっと周囲の空気を動かした。若い母親の目に、わずかな光が走る。カイはそのとき、自分が恣意的な行動に出る必要がないと実感した。規則を破ることは簡単だ。夜に兵士の見回りが鈍いとき、傘を配って人々に開かせれば、いくつかの屋台は救えるだろう。だが、それは短期の解決に過ぎず