異世界転生雨傘職人の王都魔導師

異世界転生雨傘職人の王都魔導師 第24話「第22章」

雨が降らない王都の空は、いつもより鉛色に重たかった。風がなく、ただ遠い太鼓のような地鳴りだけが、城下の方角から伝わってくる。カイは店の前で、傘の柄を握ったまま立ち尽くしていた。彼が今、したいことは一つだった──庁舎前で決められる前に、市民たちに「何が行われているか」を伝えること。情報を、目撃を、証言を。評議会の策動は軍に守られている。正面突破は愚かだ。だが時間はもう残っていない。

雨が降らない王都の空は、いつもより鉛色に重たかった。風がなく、ただ遠い太鼓のような地鳴りだけが、城下の方角から伝わってくる。カイは店の前で、傘の柄を握ったまま立ち尽くしていた。彼が今、したいことは一つだった──庁舎前で決められる前に、市民たちに「何が行われているか」を伝えること。情報を、目撃を、証言を。評議会の策動は軍に守られている。正面突破は愚かだ。だが時間はもう残っていない。

「やるなら、今だよ、カイ」とミナが店から顔を出した。黒い頭巾に糸のほつれを残す若者は、傘職人の見習いとして自分で選んだ道を歩いている。ミナの言葉には自分で考え行動する重量があった。誰かの命令で動くのではない。

「軍が通るなら、屋台の列は吹き飛ぶ。配給点は封鎖される」と、トマスが険しい顔で言った。トマスは自警団の指揮を執る男だ。武器を手にすることを嫌いながらも、守る必要のある者たちを前に進むことを躊躇しない。それぞれが自分の判断でここにいる。

カイは視線を黒傘へ向ける。穴のあいた黒傘だ。几帳面に施された修理の跡は、以前よりも幾度も手が入っているらしく、さらなる補強が加えられていた。その傘の内張りには、彼がかつて無意識に縫い込んだ細かな模様がある。格子状の刺し縫いが、ただの補強ではないように見えたのは、自分だけの悪い癖なのだろうか──それでも、今は説明する時間がない。

「カイ、情報はあるのか?」とジョルが聞いた。彼はかつて空制御装置の設計に携わった技師で、評議会から離反した数少ない人物だ。ジョルの手には、折り畳まれた図面の束がある。だが、その図面を公開するには庁舎前で人々が耳を傾ける舞台が必要だ。軍の砦がそれを許さない以上、カイたちは街の現場で直接、証言と実演で市民の信を得るしかない。

「傘を使って見せる。傘があるとないとでは、何が起きるかを」とカイは静かに言った。彼の能力は、直した傘だけが奏功し、その傘を持つ者が自分で開くときに一粒の『恐れの雨』を弾き、安全域を生む。だが規則は厳格で、閉じた傘を自分で開かずに頼ると、記憶が濡れて消える。記憶は濡れると、洗い流されるように消えるのだということを、彼は十分に知っていた。

「開けてもらえなければ、効かない」ミナが付け加える。彼女は手にした一本の補助傘を見せた。人々に傘を開く権利を説き、実際に自ら開くことを促してきたのは彼女だ。だが、戦闘が起きれば、足がすくんで傘を開けない者もいる。あるいは、負傷して手が使えない者も出る。理屈では分かっていても、現場では選択が迫られる。

「もし――」ジョルが言葉を切る。「閉じた傘を使う必要が出たら、僕らはどうする?」

カイはそれを遮るように前へ出た。店の前には、彼が修理した傘が山になっている。直された傘、自分の手で繕った傘、誰かに渡すために用意した傘。今日の夜が終わる頃には、それらが血と泥と汗で汚れるだろうと直感した。

「誰かの命を優先する」とカイは簡潔に答えた。「だが、代償は受ける。覚悟はあるか?」

ミナは黙ってうなずいた。トマスは顎を固めた。ジョルは図面をぎゅっと握る。彼らの目にはもう、個々の意志が燻っていた。市民の声としての行動──それが評価を覆す唯一の武器だ。

夜が深まり、庁舎からの銃声が近づいてきた。評議会の兵が市場への進入を開始したのだ。最初の衝突は子供たちの通る路地で起きた。煙と鉄の匂いが混じり、屋台の棚が吹き飛ばされる。人々は声を上げ、傘を持つ手が震える。

「ここだ!」トマスが叫んだ。彼は一列に並ぶ屋台の隙間を突いて進み、子供たちを抱えて後退を促した。ミナは傘を手渡しながら、一人ずつ「自分で開いて」と促す。何本かは人の手で開かれ、雨の一粒が弾かれた。そこに生まれる小さな乾いた空間が、逃げるための足場を作る。カイはそれを見て、短く息をついた。彼の能力は、直した傘が「自らの手で開かれたとき」にのみ働くのだ。自分が開く傘は対象外だ。だが戦場では、誰もが思い通りに動けない。

銃撃は市街の中心へと波及した。市民の不安は膨れ上がり、誰かが密告するような気配が何度も聞こえた。評議会は、情報戦と軍事的圧力を同時にかけてくる。カイは「誰にいつ開いてもらうか」を決めるために、ミナやトマスと短い合図を交わしながら前へ進んだ。傘は開かれる。狙撃手の弾道がいくつか逸れ、人々は走り、また傘を開く。

だがあるとき、負傷者が現れた。屋台の下で動けない老女が、指を骨折していて、柔らかい布も掴めない。彼女のそばにあった傘は畳まれていた。ミナが駆け寄るが、老女の震えた声は傘を開くことを許さない。狙撃が近くをすり抜ける。あの短い安全域がなければ、老女は救えない。誰かの判断が必要だった。

「ミナ、行けないか?」カイは短く命じた。言葉には重さがあった。ミナは目を見開いた。自分で傘を開けさせようと促す余裕はない。老女は今、恐怖で動けない。

カイは傘に手を伸ばした。彼は自分の手で畳まれた傘の骨を掴み、強く開こうとした瞬間、背後でジョルが叫んだ。「カイ、だめだ! それは――!」

だが声は届かなかった。カイの手は既に畳まれた傘を開いていた。金属の軋みとともに、空間が一瞬だけ乾いたように感じられる。老女の顔に安堵が広がり、ミナは泣き出しそうな声を押し殺して彼女を抱きしめた。だがカイの胸は、冷たい穴が開くように空いた。

記憶が濡れ始める感覚だった。水がゆっくりと脳髄を伝って抜けていく。不意に、幼いころの店の戸の匂いが薄れていき、父親の足音のリズムが遠のく。名前が指の間から滑り落ちるときのように、固有の音が消えていく。カイは顔をしかめて、膝をついた。周囲の声が遠ざかる。ミナの手が自分の腕を掴んでいるのが分かったが、彼女の名前が――

「ミナの声がする……ミナ?」と、彼は必死で呼んだ。だがその音はどこか空ろで、自分の耳に反射しない。彼は自分の口から出た言葉が、どの程度真実であるかすら分からなかった。記憶が一つ、また一つ、消えていく。閉じた傘を自分で開いた代償だ。

傍らのトマスが低く唸った。「誰も責めない。君は助けたんだ、カイ」

だがカイの中で、もっと重要な何かが抜け落ちた気配があった。断片的な夢のように、彼は若き日の議会の図面を見ていた記憶があった。逆さの雲──天を逆巻くような装置の図面。誰かと交わした会話、何処かに隠された言葉。それらは薄くなり、指の隙間からこぼれていく。カイはそれを必死に留めようとするが、濡れた記憶は掴めなかった。

戦闘はやがて熱を帯び、暴行と抵抗が入り混じる。カイはその夜、三度、閉じた傘を自ら開いた。負傷者を救うため、子供たちを引き離すため。三度目の後、彼は立ち上がることさえ辛くなった。記憶という小さな島が、次々と海に飲み込まれていく。

翌朝、街は静まり返っていた。闘いは一区切りついたが、市場の路地は瓦礫と血と、湿った布の臭いで満ちている。人々は互いに傷を確かめ、助けを呼ぶ声があちこちで響いた。ジョルは疲れ切った顔で、図面の束を広げた。しかし彼の目は不安げに停まった。カイの姿が見当たらない。

ミナは小さな紙切れを握り締めていた。そこには、カイが昨夜急いで書き付けたメモがあり、何度も読み返された形跡がある。メモの文字