異世界転生氷菓子師の辺境伯 第6話「第5章」
雪解けの風が、いつもの冷たさを忘れてしまったかのように村を撫でた。昨夜と違って湿り気を帯び、鼻の奥に異物のようにひりつく。井戸端に立つ人々の顔は──子どもでさえも──少しばかり硬くなっている。レナは暖簾の向こうの小さな厨房で、掌を擦り合わせながら見張りのように戸の外をうかがっていた。
雪解けの風が、いつもの冷たさを忘れてしまったかのように村を撫でた。昨夜と違って湿り気を帯び、鼻の奥に異物のようにひりつく。井戸端に立つ人々の顔は──子どもでさえも──少しばかり硬くなっている。レナは暖簾の向こうの小さな厨房で、掌を擦り合わせながら見張りのように戸の外をうかがっていた。
「今日も熱いってさ。旅商人の話じゃ、辺境伯のところで熱風が強くなっているって」
「それだけじゃない。摂政が、労働の割り当てを出すってさ。夜の移動も制限するって役人が言ってた」
村の若者アーロが、配給の紙片を握りしめて入ってきた。肩に木の削り器をぶら下げ、顔には焦りと苛立ちが交じる。ミラは井戸で手を洗いながら、表情を隠すでもなく困惑を露わにした。レナはその視線の先に、今日守りたいものがあるのを知っていた――子どもたちの小さな体と、まだ凍っているはずの井戸の水面を。
「何をするつもりなの、摂政がそんなに口を出し始めたら、自由に働けなくなるよ。井戸の番手だって減らされるかもしれない」
ミラが言う。言葉の向こうに、夜に起きて子を抱く母の影が見える。
レナはうなずき、首の後ろにある寒暖計の紐を触った。肌に触れる紐は、最近拾った古い製氷の道具の一部だ。彼女が今したいのは、子どもたちを外に出させないことでも、ただ単に水を守ることでもない。疫を運ぶと言われる熱風から、辺境の小さな体を守り、濁りかけた井戸を凍らせて腐敗を食い止めることだった。しかし、その手段は、彼女の体温を奪い、長く使えば使うほど心まで冷たくさせる――能力の代償がある。
「今日は果物がない」
アーロが床に落としていた袋の中を探りながら言った。袋の底には、乾いたビスケットが数枚と小さな林檎が一つだけ残っている。リンゴは傷だらけで、茎が折れていた。レナはその小さな果実に視線を落とした。能力の発動条件はいつも同じだ。誰かが自分のために分けてくれた果実の甘みを、彼女が凍らせる。分けられた「甘み」でなければ、彼女の触媒は働かない。誰かの「分ける」という行為が共同性を生み出す規則でもあり、暴走を防ぐ鎖でもあった。
「ユン、あの子にあげて」
小柄な記録係のユンは、見習いの子どもたちの一人を肩に乗せていた。子どもは腕に擦り切れたマフラーを巻き、寒さに震えている。ユンはためらいながらも、リンゴを差し出した。小さな手がリンゴの一部をちぎり、それをレナの掌に差し出す。レナはその瞬間、条約のように深く息を吸った。触れられた甘みを感じる。能力は静かに目覚めるが、いつもと同じく小さな警告音が胸の奥で鳴った――熱が吸われる音。氷になる前の透明な破片のように、甘みが張り付く。だが、その代わりに彼女の体温が少しずつ奪われる。
「一つだけね。今日は外へ出さないで」
レナは子どもに笑いかけ、氷菓を渡した。手渡されると同時に、冷たさが内側から広がった。掌の微かな震え。言葉で説明できない、骨が締め付けられるような冷え。隣にいたミラがすかさず毛布を差し出し、子どもの肩に掛けてやる。子どもの目は、受け取った直後に輝いた。小さな口が冷たい砂糖を噛みしめると、咳き込んでいた喉が一瞬楽になるのが見えた。
しかし、その効果は束の間だった。日が高くなり、村の中を横切る熱風が強くなってくると、子どもたちの数が急に増えた。遠くの牧草地から逃げてきた兄弟、荷車の陰で震える新しい迷子の子、母親に抱かれた三歳の子。レナは自分の手の感覚が薄くなるのを感じながらも、次々と果物を受け取っては小さな氷菓に変えた。誰もが自らの意志で果実を割き、レナに差し出した。能力は発動し続け、その場にある熱を吸い取った。井戸の水を凍らせるために持ってきた小さな樽も、彼女は凍らせた。腐敗の匂いが薄くなり、水面は一時的に透明さを取り戻した。
「よくやったね、レナ」
アーロが背中を叩く。だが叩かれた場所の彼女の反応は鈍い。温かい応援のはずが、彼女の口元は動いても目元がいつものように潤まない。小さな井戸端の歓声がいつもより薄く聞こえる。ミラはそれを見逃さなかった。
「無理しないで。今日は私たちも手伝うよ。あなたが全部抱え込むことない」
ミラの声には厳しさがあった。仲間はツールではない。誰もが自分の判断で参加している。だが、レナ自身は、短期的な安全を取ることを選んでいた。役人が割り当てを持ち出してきたという噂が、村人の動揺を増幅させている。摂政は秩序の名の下に動きを封じ、労働力を再配分しようとしている。動けない時間が増えれば、井戸番も少なくなり、疫風は更に広がる。彼女に残された時間は少なかった。
能力の代償は確かなものとして体に現れた。冷えは骨の芯にまで届き、息遣いは浅くなる。前章で感じた微かな違和感が、今は重い鉛のように肩に鎮座している。だがそれでも、子どもの咳が止まり、目に力が戻るのを見ると、レナは手を止められなかった。
正午が近づき、役人が村の広場にやってきた。摂政の徽章を掲げた旗が風に鳴り、村人は自然と後ずさった。役人は分厚い帳簿を抱え、目は冷たく鋭い。近寄った若者の一人が、小さな呟きを漏らす。
「水の割当表だって。俺たちの分が減るってさ。摂政の手はどこまでも伸びるな……」
役人は停まり、帳簿を開いて誰にでも見えるようにした。文字は整然としていた。しかし、ユンが帳簿に視線を落としたとき、その額にしわが寄る。ユンは摂政側の記録係と親しいわけではないが、村の帳簿を仕切る立場にあり、数字には敏感だった。
「これ……」
ユンがつぶやき、ページを指でなぞる。帳簿には、確かに先月まで記されていた水利の記録が欠けている場所があった。特に、昔から村が仲間の集落と分け合っていた水の割り当てが、役人の手で短く改竄されているように見えた。文字の筆跡も微妙に違う。慣れない人の書き癖がある。
「どうしたんだ?」と近づいた役人は、ユンの指差す場所を一瞥した。顔がピクリと変わる。彼は笑みを作るが、その笑みは冷たかった。
「伝達ミスだ。摂政の名に反して村が混乱するのを防ぐための調整だよ。これ以上、無駄に騒がない方が良い」
何かが、辺境の空気を鋭く切り裂いた。その瞬間、アーロの手が拳になり、ミラの顔が青ざめる。村人たちの胸に、見えない縄が一つ一つ巻かれていくのを感じた。記録を改竄するという行為は、資源だけでなく、この村の未来と声をも再配分するということだ。レナは唇を噛みしめ、手の震えを抑えた。自分の能力で守れるのは一時的な体と水だけ。だが、制度に手を入れられれば、長期の安全は危うくなる。
「忘れないで。ここは私たちの井戸だ。私たちの水だ」
ミラが力を込めて言った。誰かがそう言わなければならない。空気が不穏に波打つ。役人は何も言わず、帳簿を閉じた。旗がはためき、太陽が今までより鋭く村を照らす。人々の影が長く伸び、歩みが重くなった。
午後になっても熱は治らず、レナの体温は確実に下がり続けた。氷菓を作るたびに、掌の温もりが抜けていく。ミラは暖かい飲み物を差し出そうとするが、レナは微笑んで首を横に振る。自分が飲めば、力が戻るかもしれない。しかし、それは目の前の子の手を離すことを意味していた。誰かを救うために自分を犠牲にするのは美談かもしれない。だが、