異世界転生氷菓子師の辺境伯 第25話「第23章」
朝の光が赤い氷河の断面を切り取った。斜面の色は夕べの噂通り、鮮やかな錆色を帯びている。冷たい風が谷を抜け、仕事着の裾を震わせる。レナは手袋を外して、掌の先で壊れそうな小さな果実を受け取った。果皮が薄く、甘い香りがほんの少し漏れている。それは、村の子どもたちが遠征の途中に見つけた山苺だった。
朝の光が赤い氷河の断面を切り取った。斜面の色は夕べの噂通り、鮮やかな錆色を帯びている。冷たい風が谷を抜け、仕事着の裾を震わせる。レナは手袋を外して、掌の先で壊れそうな小さな果実を受け取った。果皮が薄く、甘い香りがほんの少し漏れている。それは、村の子どもたちが遠征の途中に見つけた山苺だった。
「はい、レナさん。これ、みんなで分けようって」
手渡したのはミカ。泥だらけの顔に小さな決意が滲んでいる。隣のエレナや鍛冶屋のユスフも、小さな手に一粒ずつ載せて差し出していた。誰もそれを自分で食べようとしない。食べれば体の熱を一時的に下げられることは知っている。だが、独り占めすれば人の心が凍ると知る者もまた増えていた。
「ありがとう。あなたたちがくれたんだね」
レナは果実を胸に押し当てるようにして、目を細めた。――能力の発動には、その“分け与え”が必要だ。自分で摘んだものは効かない。誰かが自分に託すことで、甘みが凍り、そこに熱と腐敗を吸わせる。だがその代償は、吸い取った分の熱が彼女自身の体温を奪うこと、そしてもし氷菓を独り占めするような運用をすれば、氷菓は人の感情まで鈍らせることだ。今朝の彼らの行動は、その条件を満たしていた。
「先に言っとく。今日は分配をきっちりするよ。ひとり一つ。食べ過ぎたら、心まで冷たくなる。私だってそれを止められない」
レナは手の中の果実を指で押し潰すようにして、息を吐いた。指先には甘酸っぱい汁が滲む。能力は静かな感覚とともに始まる。甘みが殻をはがれ、冷たい絵の具のように形を成していく。彼女がそれを鋳型に落とすと、光を受けた透明な菓子が瞬く間に白い霧を帯びて固まった。
「暖かさを──もらうね」
レナの声は低くなり、指先の震えが少し大きくなる。吸い取った熱は確かに消えた。氷菓の表面が浅い水滴のように汗をかいている。だが胸の中には重い冷たさが満ちてゆく。顎が小刻みに震え、息が浅くなる。
「レナ、大丈夫か?」
ユスフがすぐに前に出る。鍛冶屋の腕は力強く、作業袋から布を取り出して彼女の肩に被せた。仲間は彼女を守るために役割を分担している。子どもたちは一つずつ氷菓を受け取り、それを口に含んで目を丸くした。冷たさが喉に落ちると同時に、彼らの頬がほんの少し色づいた。熱を失った身体に安堵の息が漏れる。
だが、その横で男がひそりと二つ、三つと詰め込むのをレナは見逃さなかった。顔色は青く、唇は乾いている。彼は、遠征で使い果たした自分の分を取り戻すように、氷菓を手にしていた。
「やめて!」
レナの声は思わず鋭くなり、身体の奥で新たな冷えが走る。独占の影が既に氷菓に匂い立ち、それが人の心を鈍らせる危険性の兆候だった。男は驚いて氷菓を落とした。雪に触れて砕けるように消えた菓子のかけらは、その男の顔を一瞬、無表情にした。目の奥の光が薄くなる。
「ミカ、周りの班は見て。誰かが二つ以上持ってたら教えて」
レナは肩を押さえながら指示を出す。手が震えるのは、体温が奪われているからだけではなかった。能力を行使する者としての責任、そして目の前で起きた「感情の鈍化」を再び引き起こさないための必死の気迫だ。
「わかった!」
ミカはすぐに走り出し、子どもたちに声を上げる。小さな目がきらきらと輝く。彼らは指示に従い、配分に関する小さな自律を示した。氷菓は一時の救済になり得るが、その運用は共同のルールにかかっている。レナはそのルールを今、ここで強化しようとしていた。
赤い氷河の麓では、一斉に作業が始まっていた。古びた導水路の残骸を掘り出し、鉄錆で固まったゲートを外し、詰まった土と酸化した鉱物を取り除く。遠方から来た者たちは金属の匂いと酸っぱい水の匂いに鼻をしかめた。赤い色は単なる景観の異常ではなかった。そこに混じる鉄分と有害な鉱毒が、融雪水を汚して流下している。摂政が長年にわたって埋め、管理してきた貯水施設の残骸がいくつも顔を出した。
「ここをこう切って、流水を一旦堰き止める。で、氷のブロックを入れてスラグの上澄みだけを回収するんだ」
隊長格の女性技師、サラーが地図を差し出しながら指示する。彼女はこの地で一番の水利に詳しい。レナはその図面を見て、冷凍保存技術の観点から補助を考えた。急ごしらえの堰に氷のブロックをはめ込み、濁りを一時的に凍らせてから除去する――レナの能力はそこに有効だが、短時間しか保てない。氷菓をぶつけるようにして汚れを吸わせることもできる。だがどれだけ使ってもよいわけではない。
「ここの水は酸性が強い。私の氷菓で表面の腐敗臭や熱を吸わせ、上澄みを掬う作業を繰り返す。けれど、同じ者が大量に使うと、その者とその周囲の心が冷える。私一人でやるべきじゃない」
レナは図面に指を置き、仲間たちを見渡した。ユスフは土嚢を運ぶ。サラーは測定器でpHを確認し、老職人のマエルは昔の貯水槽の構造を思い出していた。子どもたちは空の水瓶を列にして、集めた雪と溶け水を入れる係だ。空の水瓶──あの象徴──がここでは作業単位になっていた。誰が何を出し、何を受けるか。瓶を回すことで合意が形成される。
「瓶は合図よ。瓶を受け取ったら、その場に留まって作業を続ける。瓶を渡すとき、その人はどれだけ氷菓を使ったかを申告する。隠し事はできない」
サラーが言う。制度的ではなく、ただ目で見えるルール。人々は頷いた。これは摂政が編み出した空の水瓶の役割を、逆手に取る行為でもある。かつては水を奪うための象徴だったが、今は共同の合意を表すメカニズムになろうとしていた。
最初の一連の作業で、レナは彼女の能力を分配で運用した。子どもたちが果実を渡し、複数の手によって作られた氷菓を堰に添わせる。氷菓は表面の熱と腐敗臭を吸い込み、直後に白い汚れの膜を帯びる。作業を終えた菓子は溶けかけて小さな泥の塊を残した。サラーが網でそれを掬い取り、あらかじめ用意した袋に詰める。数回の繰り返しで、上流の澄んだ部分を再び流すことができた。
だが、レナの体温は確実に削られていく。手足がしびれ、言葉が少しずつ鈍くなる。胸の奥に、氷の粒が貼りついたような鈍痛が走った。仲間はそれを見て、作業を分担していく。レナはそれを強く求めたわけではない。だが彼らは互いの弱さを見て動く。ミカは大きな袋を運び、エレナは彼女の手を温めるために湯を汲んだ。誰かが代わって氷菓の配分を管理し、誰かが証拠の記録を取る。レナは自分の居場所を「場」に置いた。技術者であり、教師であり、ただの菓子見習いのままではいられない。
午後、堰の一部が崩れた。赤い氷河からの突発的な融雪で、土留めが予想以上の圧力を受けたのだ。水は低い方へ一気に向かい、細い導水路を逆流した。数人の青年が滑り、荷物を落とした。レナは本能的に飛び込もうとしたが、胸の冷えが身体を止めた。視界の端が白み、視力が揺らぐ。氷菓をさらに作れば助けられただろう。しかし、その選択は一つの命を救うと引き換えに、いつものように感情の凍結を生む可能性がある。
「ここは私が抑える。あなたたちは人を出せ」
サラーが叫ぶ。彼女の指示は短く、的確だ。鍛冶屋のユスフとマエルがスロープに走り、滑った青年を安全な場所へ