異世界転生硝子工の発明王

異世界転生硝子工の発明王 第9話「第8章」

「もう少し、火を弱めて。まだ表面が引き締まってない。」

「もう少し、火を弱めて。まだ表面が引き締まってない。」

ユイは吹き竿を置きかけた若者の肩越しに声をかけ、柔らかく手を添えた。丸い窓のたまが赤く光る。工房の小さな炉の前は熱で揺れ、硝子職人たちの息が重なっている。窓の向こう、外通りはいつもより静かだった。朝の市でさえ人影がまばらだ。王都からの回状が貼られて以来、町の空気に緊張が生まれていた。

「判った、兄さん。今度は上手くいきそうだ」

青年が吹き竿を離し、ユイは手早くその端を受け取った。自分で吹かない作業を増やしたのは、手の痛みを避け、代償を分散するためだ。自分の肺から硝子を成形した窓だけが、光と熱と色を一度別の場所へ送る力を持つ。だが、その代償と条件はいつも胸の奥で重く響いている。怒りや恐怖で心が曇れば、送られる光は清めではなく毒を濃くしてしまう。窓が割れれば、痛みが手に残る。だから自分で吹くことは、最後の最後に残すべき仕事だった。

「ユイ、外に役人が回ってるって。大元通りで掲示を読んでる人がいたよ」裏方のソウが、低い声で近づいてきた。彼の目は不安で揺れていた。

「見に行って来い。だが、声を荒げるな。子どもが聞いてる」ユイは答えると、手元の窓の湯気に顔を近づけて、表面の結晶具合を確かめた。窓はまだ薄いベールに覆われていて、彼らが望むほどには光を分けていない。だが、この微かな光でも、夜中に咳が止まったり、台所の黒ずみが和らいだりする。下町でそれは充分な希望だった。

ソウが戻って来たとき、手に一枚の紙を広げていた。王都の紋章が刻まれた大きな宣告書。金糸のリボンが打ち付けられている。

「『毒霧結界事業』。工務卿がこれを一手に取り仕切るってさ。王都の安全のためだって。」

ユイは紙を受け取る前に、言葉の端にある光景を想像してしまった。役所の馬車が下町を巡り、浄化作業は許認可制になり、工費は徴収され、どの窓をどの家が持てるかは名簿で管理される。今ここで彼らがやっていることは、小さな救済であり続けられるのか。ユイは紙の端を指でなぞり、文字がまだ湿ったインクの匂いを含んでいるのを感じた。

「彼らは正義の名を借りて、何かを独占しようとしている」ソウの声は小さかったが、憤りが滲んでいた。

「独占なら、もっと手のかかる仕事に押し付けられるだけだ。窓が金になると、人が窓を持つために全てを差し出すかもしれない」ユイは冷静に言った。だがその冷静さは自分への戒めでもあった。曇った心で硝子を吹いたとき、たった一枚でさえ下町の命を濃くしてしまう。自分の怒りや絶望を硝子に注ぐことは、許されない。

「どうする? ここを畳むか、それとも——」

「続ける。だが公にしない。秘密を守りつつ、証拠は残す」ユイは窓の縁に指を滑らせ、冷えた手のひらで微かな突起を撫でた。そこには、先月割れた窓のときに残ったひとつの薄い痛みがまだ残っている。瞬きするたびに針のように疼く。それが、彼の体で現れる代償の形だった。

午後になり、工房の前で一人の役人が立ち止まった。市役所の小間使いに見える、まだ若いが背筋の伸びた女。仕事着の裾を気にしながらも、彼女は下町の人々に公文を配っていた。ユイは戸口に出て、手を拭いながら冷静に挨拶した。

「おはようございます。お客様?」

女は宣告書とは別の小さな封筒を差し出した。封筒には丁寧な字で「説明会の通知」とある。ユイが受け取ると、彼女の視線が硝子の棚に落ちた。棚の上で、まだ光を分けきれていない窓がいくつか、灰色の朝陽を淡く返している。

「ここは、貴方もこの町の方ですか?」

「ええ。ここで働いています」ユイは短く答え、彼女の目をまっすぐに見た。役人の表情には、どこか迷いが混じっていた。職務の言葉を続けるには十分にやわらかく、しかし命令の影を落としている。

「工務卿の事業は、王都の安全を確保するために必要なのです。技術を統一し、安全基準を徹底することで、毒霧の被害を最小化する予定です。皆様の安全のために——」

「安全のためなら、説明をするのは当然だ」ユイは相手の言葉を遮らずに続けた。「だけど、統一と規制がすべての選択を奪う理由にはならない。技術は共有してこそ、より多くの人を救えるはずだろう?」

女の唇がわずかに震えた。彼女の立場では、個人の思いを声にすることは危険だ。だが彼女は紙を差し出す手を引かなかった。ふと、封筒の表に小さく付けられた言葉を彼女が読み上げる。

「……『黒い曇り』の局所的除去と結界再構成のための統一処置、という表記があります」

その言葉が、ユイの胸に小さな震えを起こした。「黒い曇り」——役人の口から出たそれは、いつもの「毒霧」とは違う響きを持っていた。紙面の墨は乾いているが、言葉が薄暗いひだを作る。彼が今朝感じていた、王都の手の伸び方の本当の色が、その一言で輪郭を得たようだった。

「具体的には?」ユイは訊いた。

女はためらいながらも、返信を引き出すための定型文を読み上げた。「公的結界は、既存の民間浄化技術を統合し、監視網に接続することで全体の安定を図る。本事業は速度を優先するため、迅速な実装が求められる。詳細説明会にて、住民代表を募る。代表は名簿に登録され、作業の分担と補償について協議する」

名簿。登録。監視網。ユイは言葉を飲み込んだ。共同の工房を守るという彼らの選択が、外からの名簿制度によって外形だけの民主性に変えられてしまう危険性がある。住民の声は形だけの「代表」に集約され、本当の意志は記録されないままに消えていくかもしれない。

「説明会には行けるのかい?」ユイは問い返した。

女は首を振った。「私たちは上からの指示で回っているだけです。私もここに住んでいるから分かります。……でも、仕事は仕事ですから」

彼女の目に切実さが浮かんだ。ユイは一瞬だけ、自分の拳に残る薄い痛みに気づいた。誰かの事情を知るとき、硝子を通る光はより複雑に変化する。彼は自分が吹く代わりに記録を残し、それを街の外へ出す仕事を選ぶと、静かに腹をくくった。

夕方、工房では住民たちが集まって話し合いをしていた。老女が額のしわを寄せ、幼い母が赤ん坊を抱いて膝を震わせている。工務卿の役人が来るという噂に、店の前には見知らぬ人影が増えた。誰もが未来に不安を抱いていたが、同時に自分たちの生活を守る覚悟も見ていた。

「どうして誰かに任せなきゃいけないんだ。俺たちの窓が一番効いてるって、誰も知らないわけじゃない」鍛冶屋のハルが声を荒げた。怒りが人々の唇に火をつける。ユイはその声を止めるように、静かに手を上げた。

「怒るのは分かる。だけど怒りで吹くわけにはいかない。そうすれば、窓は毒を濃くしてしまう。私たちは怒りで自分たちの家を汚すわけにはいかないんだ」ユイの言葉は冷たい針のように響いた。彼は自分の内側にある暗いものが、硝子を通じて外へ出るのを恐れていた。

「じゃあどうするんだよ!」ハルの額に青筋が立つ。そこにいた誰もが自分の立場と選択を問われている。

ユイは立ち上がり、工房の奥の古い木箱を引っ張り出した。箱の中には、彼が密かに作りためた記録ノートと、汚れたがまだ形を保つ小片の硝子、そしてひどく擦り切れた一枚の新聞の切れ端が入っていた。新聞