蒼天の雛竜と星喰いの王国 第2話「第一章」
朝の光は、訓練場の硝子窓を金に染めていた。雲の縁が薄く削がれ、竜たちの影が低く伸びる。若い騎士たちの甲高い笑い声が風に乗って届く中、私はいつもの場所──倉庫の暗がりに立っていた。外の世界が誇りを誇示する金色なら、ここは青灰の静けさだった。古い鞍、半ば忘れられた補助具、黄ばんだ図面が棚に重なり、空気には革と油の匂いが満ちている。
朝の光は、訓練場の硝子窓を金に染めていた。雲の縁が薄く削がれ、竜たちの影が低く伸びる。若い騎士たちの甲高い笑い声が風に乗って届く中、私はいつもの場所──倉庫の暗がりに立っていた。外の世界が誇りを誇示する金色なら、ここは青灰の静けさだった。古い鞍、半ば忘れられた補助具、黄ばんだ図面が棚に重なり、空気には革と油の匂いが満ちている。
木箱の中に並んだ卵は三つだけ残されていた。瑠璃色のもの、金属のように鈍く光るもの、そして私の指を止めた浅い鉛色の卵。殻は白でも黒でもなく、光を吸い込むように鈍く沈んでいた。表面には幾筋もの極細の黒い線が走っている。それは亀裂ではなく、皮膚の下を流れる血管のように、くねりながら殻の内部へ沈んでいく線だった。私の観る目には、ちょうど等圧線が重なった天図のように読めた。
「それはどこで見つけた?」隅にいた年老いた職人が、低い声で問うた。彼の目は長年の仕事で鍛えられたもので、卵を一瞥するだけで過去の何を知っているか見抜くようだった。父は私の後ろに立ち、唇を硬く結んでいる。兄たちは訓練場の方を向いて、ここにいることを罰のように感じているらしかった。
私が卵を抱え上げたとき、掌の中で何かが変わった。殻の温もりと確かな脈動が伝わるのは当然として、その脈に私の鼓動がすっと合わせられるような、奇妙に個人的な接触だった。指先が殻に触れた瞬間、極細の黒い線の一つがごくわずかに蠢き、まるでそこに生えていた蔓が私の指へと伸びて来たかのように見えた。視界の端に薄く浮かんでいた糸たち──雲の帯、遠方の鐘の余韻、人の魔力の揺らぎ──が一斉に一つの結びへと集まり、その結びがこの卵へと引き込まれていくのを私は感じた。
選ばれたのだ、と心のどこかが確かに呟いた。卵が私を選んだという表現は、家の慣例や外の世界の言葉では軽んじられるかもしれない。だが掌に伝わる温度と脈と、線が指へ向かって流れた確かな感触は、言葉以上の説得力を持っていた。前世の灯として、見過ごされた徴候を拾い、人に知らせられなかった痛みを抱えて死んだ私は、こういう引きに対して敏感だった。今、その引きははっきりと私をこの卵へと向けていた。
「灰翼だろう。昔から厄介者だ。うちの名にそんなものを抱えるわけにはいかぬ」父の声は重く、家の空気に幾重にもこだまする。アルヴェイン家の威光を守ることは父の生涯の指標であり、その期待の重さが私の肩を押す。兄たちの誇りと笑いは訓練場の風景として外に溶けていく。だが私の中の灯は別のことを囁いた。あのときと同じ後悔をここでも繰り返すわけにはいかない、と。
兄が嘲るように言った。「なぜ、その子を拾ったのかね。お前にできるのか?」
私の答えは簡潔だった。「見過ごせなかったからです。殻の線が、こちらを引いていた。何かを見るべきだと、私に言っているようで──」
言葉は小さく消えた。職人が腕を組み、女中が顔を伏せる。父の顔には苛立ちが浮かんだ。だがその苛立ちの奥には、家名を守らねばならぬ苦悩が混ざっていることも私は知っていた。沈黙は重かったが、卵の鼓動は確かに「ここにいる」と告げていた。
そこへ書記が息を切らして駆け込んできた。汗で額を湿らせ、封蝋のついた羊皮紙を震える手で差し出す。彼の声が震え、言葉が紙の重さと共に倉庫の空気へ落ちる。「当主様、王廷より――灰翼種に関する通達と、処分許可書が到着しました。発見された灰翼は王権の名の下に処分され得る、との文面です」
羊皮紙の縁には王家の紋章が押されていた。封蝋は深紅で、「処分の権限を行使する」という王の公式署名がそこの縁に刻まれている。書面は公的で、容赦のない文言で満たされていた。発見後は直ちに王家の審査の下で「適正な処置」が施される──すなわち、民の安寧と王の命令が必要と認めれば、卵は廃棄され得る。読むほどに、その羊皮紙は私の胸に冷たい重石を置いた。ここにあるのは、家の慣例だけではない。王権の明確な命令だ。卵は、家の手で守れるかどうかすら問われる。
父の手が震え、彼は紙を見下ろした。私の胸もまた震えた。灯としての記憶は、知らせることの遅れがもたらす喪失を知っている。簡単な選択──箱に戻し、役人に引き渡すこと──それは家の面目を保ち、父の重荷を軽くするだろう。しかし同時に、それは誰かを見捨てることでもあるかもしれない。殻の線が示すものが、ただの瑕疵ではなく、天の裂け目の予兆である可能性を私は捨てきれなかった。
窓辺に立ち、卵を光にかざす。薄い光が鉛色の殻をすべり、黒い線がほのかに蠢く。すると一筋、まるで殻の内部から引かれる糸のように、線の一本が私の手の甲に向かって微かに光を漏らした。その瞬間、私の中に言葉が浮かんだ。――ここを、見なさい。誰かが、私に告げたのだ。告げる声は竜のもののようでもあり、古い風の囁きのようでもあった。
職人が前に出る。「家の決まりでは、異端を見付け次第、報告し――場合によっては即時隔離か処分を行わねばならん」
父は顔を顰める。封蝋の縁を指でなぞりながら、小さく呻いた。「王の権威が出ている。仮にお前が調べたいと言っても、手続きは免れぬだろう。だが……お前が責任を持つというのなら、我が家に汚名が付くかもしれん」
私はじっと卵の鼓動を聞いた。灯の思い出が胸の奥で疼く。あのときも、私はもっと早く知らせればと呪った。今、それをまた許すわけにはいかない。卵が私を選んだのなら、その選択に応えるのが私の役目だ。
「汚名でも構いません」と私は言った。声は小さく、けれど揺るがなかった。「もし何かが起きる前に見つけられるなら、それが私の役目です。灯の時の私がそうすべきだったように、今度こそ知らせます」
父はしばらく沈黙してから、重い息を吐いた。書記は羊皮紙の端を掴んだまま戸惑い、職人は額の汗を拭った。倉庫の隅で、兄が軽く鼻を鳴らし、女中は顔を伏せた。だが父は最後に一度だけ、私の肩に手を置いた。その手の温度は冷たく、なにかを諦めたようでもあり、見守る覚悟のようでもあった。
「お前が責任を持つならば、我が家の名に汚名が付くかもしれぬ。だがそれでも、お前がそれを選ぶのなら、私は……お前の背を押す。だが忘れるな、リュネ。王の許可書は容易には消えぬ。いつでも役人が来る。公的な審査が入るということだ」
私は卵を胸に引き寄せ、窓の外の空を見た。天輪の縁が遠く白く光り、雲の帯が柔らかく流れる。卵の殻からはほんの少し、藍色の微光が滲んでいる。掌に残る脈と、殻の線が私を呼ぶ感触。家名と王権、そして私の記憶の欠片──それらが今、この小さな鉛色の殻を巡って交差している。
倉庫の扉がゆっくり閉じられ、外の金色が一度だけ影を撫でる。私は深く息を吸い込みた。準備は、いつでも間に合うとは限らない。だが今はただ、見える糸を編み始めるしかないのだと、私は知っていた。手の中の脈は、私を選んだかのように、確かに鼓動していた。