ちいさな牙で竜を噛む

ちいさな牙で竜を噛む 第2話「第一章」

朝の帳が港町リュネの屋根を浅く撫でるころ、登録所の前にはすでに列ができていた。鉄と古い木で繋がれた建物の扉の隙間からは、事務員たちが紙をめくる音と、時折大きな獣の低いうなりが漏れてくる。獣境に端を接するこの町では、魔獣の評価がそのまま人の価値を測る物差しだ。背に角や牙を浮かべる者たちの胸は誇示の舞台であり、日々の敬意がその重さに託されていた。

朝の帳が港町リュネの屋根を浅く撫でるころ、登録所の前にはすでに列ができていた。鉄と古い木で繋がれた建物の扉の隙間からは、事務員たちが紙をめくる音と、時折大きな獣の低いうなりが漏れてくる。獣境に端を接するこの町では、魔獣の評価がそのまま人の価値を測る物差しだ。背に角や牙を浮かべる者たちの胸は誇示の舞台であり、日々の敬意がその重さに託されていた。

ルカは小さな木箱を抱えて列の最後に立っていた。箱の端布は擦り切れ、煤の点がいくつか残る。蓋の隙間から見える小さな瞳が、薄い橙色に光っている。抱えた手のひらはぬくもりを確かめるようにポロの胴に触れ、そこから微かに火の匂いが立った。彼は深く息を吸って、前世の夜の記憶を重ねる。毛布を縫った指先、寄付の通知を押すだけの夜、画面越しに見た細い羽根に胸を痛めた日々。それらはここへ至るための静かな習慣になっていた。

「次、登録番号三百四十四番。お名前と適性を申告してください」

窓口の声は事務的だ。ルカは自分の名を短く言い、書類を差し出す。事務員の女は紙を受け取ると、無遠慮に箱の蓋を開けるように促した。彼女たちにとって、個体はまず性能であり、可愛らしさは売買の値札にすぎない。

「この個体の――能力は?」

箱の隙間から、ポロが小さく鼻を鳴らした。胸の端で一閃、橙の火花がちらつく。音は高く細く、まるで小さな打楽器の一撃のように耳の奥で残った。ルカは手を伸ばしかけて、しかし止めた。ここで強制するのはやめようと、自分に言い聞かせる。触れ合いは成立するために、相手の自発が必要だ。彼に与えられた“耳”は命令を下すためのものではなく、願いの端を聞くためのものだった。

事務員は嘲るように眉を寄せる。「戦闘向きかどうかを見せてください」。場の空気は一斉に戦力を求める色へ傾く。隣の男が大獣の胸を叩き、鎖が鳴ると皆が喝采を送る。ルカの胸に冷たいものが落ちて、屈辱が鋭く刺さる。だが彼は膝を折らず、静かに答えた。

「戦闘向きではありません。翼膜を損傷していて、飛べません。火は一度に一つ、短くしか出せません。ですが、安全だと感じられれば、行動は安定します」

事務員の鉛筆が止まる。受付の奥で、誰かが「保護申請か」と漏らした。獣商会の者が紙片を丸め、興味深げにこちらを覗き込む。価値ある獣を見抜いては取引する目だ。ルカはそれを避けようともしなかった。ただ、目の前の小さな命を優先するだけだ。

「性能を示せ」と、女が促す。ルカは手袋越しに蓋をそっと開け、指先を差し入れる。触れた瞬間に世界が変わった。

視界が薄く青緑に染まり、周囲の音が遠景へと退いた。脳裏に規則的な脈動が入ってくる――短く、短く、少し長い、三拍の節律が波形として波打ち、胸の奥がそれに合わせて震えた。ポロの恐れが熱になって掌に返る。翼の焼け跡から滲む熱は生の火傷のように指先を刺し、膝が一瞬折れそうになる。痛みは肉体だけではない。相手の見られたくない思い、誰にも知られずにいたいという願いの鋭さが、とがった針のように刺さった。

だが同時に、もう一つの感触が混ざる。消されずに在りたかったという、静かで切実な望み。命令を求めるのではなく、そこにいてほしいと願う声。ルカは息を詰め、手を引かずにいることを選んだ。痛みが増すほど、相手の痛みもはっきり届く。それがこの“耳”の代償だと、彼は白い砂上で教えられた通りに知っていた。

「痛いか?」

声がどこから出たかもわからない。ポロは驚きより先に安堵を示すように鼻を鳴らし、もっと頭を押しつけてきた。信頼は押し付けるものではない。与えられるものだ。ルカは小さく、低く告げた。「大丈夫だよ。無理はしなくていい」――それは命令ではなく、選択の誘いだった。ポロはゆっくりと目を閉じ、火を胸の中で揺らした。橙の色が灰色の毛並みにぽつりと宿る。

接触を切ると、青緑の視界は戻り、音は流れ出す。掌には熱の痕が残り、膝の奥に軽い震えが残った。事務員の顔には冷たい笑みが戻る。

「……これでは戦力にならん。登録はお断りだ」

その言葉は刃のようだった。群衆の視線が再びルカを飲み込む。だが彼は諦めない。選択肢としての「保護」がまだある、と知っていた。

「登録が無理なら、保護申請をお願いします」とルカは言った。行政手続きの冷たい説明が返ってきた。保護には管理費がかかり、公共区画に置けない場合もあるという。だがルカは頷いた。金も名声もない。必要なのは安全だ。彼はポロの頭を自分の胸に寄せ、破れた布を直すと温かな声音で言った。「ここで、待とう」

そこへ重い金属の音がして、扉が押し開かれた。金色の徽章を胸に付けた騎士が入ってくる。背には強力そうな魔獣が何頭か鎖に繋がれている。人々の顔に渦巻く好奇と期待。彼はヴァルドと呼ばれ、討伐隊の名を誇る男だ。

ヴァルドは足を止めずにルカの方へ歩み寄り、目を細めて言った。「その灰色は何だ。名獣の隣に置けるような代物か?」

声には軽蔑が混じる。ルカは胸の奥が締めつけられるのを感じた。背後で人々が笑う。だが彼は俯かず答えた。

「戦場向きではありません。ここにいさせたいんです」

ヴァルドは高く笑い、帽子をちらりと弾きながら冷ややかに返す。「情に流される子どもよ。名を上げたければ、強い獣を連れてこい。それがこの国の掟だ」

嘲りが群衆を一巡する。だがその時、箱の中のポロがごく小さな火を吐いた。音はまた、あの高い打楽器のような一撃。場の嘲笑が一瞬、切り裂かれる。誰かがそれに眉をひそめ、受付の老人が古いファイルの頁をめくる音を立てた。そこに彼が忘れかけていた言葉が、紙の端に小さく記されていた――「地下振動・未確認」。

ルカはポロの髪に指を這わせ、掌に残る痕を確かめた。目の前の策略や侮蔑は変えられない。けれど自分にできることは、小さな命に安全を作り続けることだと、彼は静かに決める。保護申請の手続きが進む中、獣商会の男は紙片に細かな字で何かを書き込んでいる。値札を付ける目が離れない。夜になれば、価値のないとされた個体ほど闇で高く取引されることを彼は知っている。

外は日が高くなり、港の喧噪が戻ってきた。ルカは木箱をベンチに置き、布を丁寧に直す。ポロは薄く目を細め、橙の瞳が朝の光を受ける。彼らの間を流れる三拍の心音が、まだ波形としてルカの胸で残っている。

そのとき、登録所の床の奥深くから、かすかな振動が返ってきた。最初は遠い地鳴りのようだったが、次第に明瞭に、短く、短く、少し長い。三つの節がリズムを刻む。振動は木箱の角を軽く震わせ、受付のペン先が紙の上で跳ねた。誰もはっきりとは言わなかったが、空気の色がほんの少し変わるのがルカにはわかった。

三拍の振動は、遠く地下から、戻ってきていた。