灯を継ぐ聖女は、痛みの名前を知っている 第5話「第四章 雨の療養村へ」
雨はずっと、屋根を叩き続けていた。鞭のように細く、しかし絶え間なく。車輪は泥に沈み、馬は鼻先に泥はねを受けて低く嘶(いなな)いた。リゼットは馬車の小さな窓に寄りかかり、外の景色がぼやける中で掌(てのひら)を確かめた。そこに残るのは、まだ金色の糸の残滓(ざんし)——ほのかな熱と光。前世で何度も誰かの手を握り、夜をともにしたときの感触に似ていた。湿った風が漏れ、草の匂いと土の匂いが混じる。どこかで鉄の匂いもして、聖堂の油蝋(あぶらろう)を思わせた。
雨はずっと、屋根を叩き続けていた。鞭のように細く、しかし絶え間なく。車輪は泥に沈み、馬は鼻先に泥はねを受けて低く嘶(いなな)いた。リゼットは馬車の小さな窓に寄りかかり、外の景色がぼやける中で掌(てのひら)を確かめた。そこに残るのは、まだ金色の糸の残滓(ざんし)——ほのかな熱と光。前世で何度も誰かの手を握り、夜をともにしたときの感触に似ていた。湿った風が漏れ、草の匂いと土の匂いが混じる。どこかで鉄の匂いもして、聖堂の油蝋(あぶらろう)を思わせた。
「ここで降りるよ」ユアンの声は低く、抑えられていた。彼は雨合羽のフードを深く被り、頬に泥の飛沫を受けていた。彼の剣の柄が背に触れるたび、鳴る金属の音が小さく響く。ユアンが差し出す手のひらは固く、いつでも相手を抱え上げられそうだったが、彼の目はどこか遠くを見ている。妹を救えなかった日のことが、たまに表情を刺すのだ。
馬車の側面に座っていたのは、ミレアだった。薬箱は膝の上で湿気を含み、紙の観察表は防水のために蝋引きされている。ミレアは瓶に残った黒い沈殿を、さりげなく指先でなぞるように見た。聖堂の供給物資にはいつも何かが混ざっている——彼女の勘はそう告げていた。だが今はそれよりも目の前の仕事だ。彼女の目は短く切れ長で、笑うときには必ずそれが先に割れた。リゼットがふと笑みを見せると、彼女は不器用に笑い返す。
馬車の奥にはノアが小さく座っていた。少年は体を丸めて窓に耳を当て、外の雨音を聞いている。時折、彼の唇が風に合わせて震え、まるで誰かの名前を数えるように呟く。ノアは自分の過去を引き出せないことに怯え、しかし同時に、地下から聞こえる声に耳を澄ますことをやめられないでいる。彼の掌は白く、指先に微かな光が滲むことがあった。リゼットはそれが光脈の影響だと、まだ言葉にできないなにかで感じ取った。
馬車が村外れの道に差し掛かると、道の両脇に立つ杭に巻かれた布切れが濡れて垂れ、村の門に至る木の橋は半分崩れていた。村は人影も少なく、開いた戸口から見えるのは、横たわる布団と数人の眠ったような背中だった。戸口の近くには子どもが一人、母の膝に寄り添って目を開けていたが、その瞳もどこか蜃気楼(しんきろう)のように遠かった。
「療養村……か」ミレアが息を吐いた。雨の中、村人たちの表情は疲労に張り付いている。助けを求める眼差しと、聖堂へ背を向ける不信が入り混じっていた。
村に着くと、まず迎えに出たのは背広風の僧服を着た使者だった。彼の胸には聖堂長ヴァルグの紋章が刺繍されている。使者は濡れた書類を差し出し、その表情に同情も躊躇(ちゅうちょ)もなかった。言葉は事務的で冷たい。
「聖堂長の命令だ。候補者の現地視察は不可と判断された。リゼット・アウレアは救援の責任者としてこちらへ——失敗した場合は、全責任を負うものとする」
彼の言葉が馬車に落ちると、近くに何人かいた村人がそれを聞きつけて、顔色を硬くした。リゼットは使者の顔を見返した。謝罪の言葉がほしかったわけではない。だが、彼の冷たさは村の空気をさらに冷たくした。使者は視線をそらし、そばの荷台に縛られた木箱を指差した。中には布巻きの器具、金属の環、そして教皇儀式に使うらしい細長い枠組みが見えた。仮設祭壇の部品だ。
「聖堂の支援物資だ。儀式は我らが準備する。候補者は補助に徹するように」使者は言い捨て、馬車を去った。去り際に、彼はリゼットの肩に小さな書類を投げ入れた。そこには「村においていかなる深刻な治癒を試みることは禁ず。聖堂のみが総合治癒を行う」と筆で書かれていた。
その瞬間、リゼットの胸の中で何かが固まるのがわかった。前世で、病室のベッド脇にちょこんと座る老婆の手を離せなかった夜。あのときと同じ、誰かが決めた理屈が人の生を切り刻む感覚。灯里としての身体が覚えている小さな所作が、ここでも役立つはずだと彼女は思った。窓を開けるという小さな願いを叶えたこと。それは奇跡の一端ではない。手間と時間と気持ちをかけることだった。
「僕たちだけで動く」ユアンが短く言った。彼は馬車のステップに足を掛け、泥の道へ踏み出した。ミレアは薬箱を抱え、ノアは静かに立ち上がった。リゼットは最後に馬車の中の老人を見下ろす。老人は寝息を立て、顔の筋肉がゆるんでいる。彼女は老人の手首に触れ、脈を感じ取る。金糸は彼のあばらの奥にひそむ疲れをたどるように伸びていた。
「深い治癒はできない。でもできることがある」リゼットは自分に言い聞かせるように呟いた。馬車の中で一度に多人数には触れられない制約、同意なしには深い回復をしないという掟、そして使いすぎれば自分の記憶が薄れるという代償——これらが胸の中で重く光る。彼女は老人の冷えた手を握り、掌を温める。前世の職場でやったことと同じ動作だ。温めるだけで、誰かの呼吸は少し落ち着く。
村の広場には、すでに聖堂の白いテントが立ち、幾人かの候補者が大きな詠唱を始めていた。白光が勢いよく走り、野ざらしの患者を照らす。眩しい光の中心にいた男が、歓声とともに布団から起き上がるように見えた。だがその隣で、別の者が急に全身を硬直させ、呼吸が浅くなった。光の端に残った黒い影は、するすると誰かの胸へ吸い込まれていく。ミレアが小さく舌打ちした。
「表面的な結果を出しても、別の誰かの代償になる。何かを集めてはいる。でもそれは分配には見えない」彼女は観察表を開き、村人たちに順番にチェックを促した。ミレアの指は慣れていて、手際よく呼吸、体温、嚥下の確認を家族に教え込む。彼女の声には強さがあり、泥に染まった服の隙間から指の使い方を示すと、家族の手が震えながらも動き始めた。
リゼットはテントの外に出て、ひとつの家へと向かった。中に入ると、狭い板の間に三人の眠った大人と、明かりのない隅で眉をひそめる子どもが見えた。子どもは小声で何かを呟いている。リゼットはその声を拾い上げた。
「窓を……明日の朝、窓を開けてほしい」
その言葉は、灯里の耳に刺さった。病室の老婦人が最期に願ったことと同じ言葉。なぜこの世界でも、同じ小さな望みが繰り返されるのだろう。リゼットは子どもの掌をそっと取ると、押しつけるように自分の手を温めさせた。前世で培った所作は、今ここでも人を落ち着ける。
「わかった。あなたが起きたくなったら、私に指を二度握って」リゼットは声を低く、はっきりと告げる。子どもは小さく頷いた。彼女は自分がどれだけできるかを測るため、まずは一人に集中するというルールを家族に説明した。全員を同時に救えないこと、同意が重要なこと。家族は困惑した表情を浮かべたが、リゼットの静かな断言に少しずつ耳を傾けた。
外で詠唱の終わった候補者が拍手を浴びている。白光の余韻が雨粒に反射して光ると、その光はまるで蛇のように地面をなぞり、溝へと消えていった。ミレアはその動きを踏まえて、独自の配布を始めた。彼女はリゼットに小さな褐色のカップを差し出した。中には薄い粥(かゆ)。湯気が立ち、静かな温かさが鼻を撫でる。
「これを、少しずつ——喉が乾いているのを確かめてからね」ミレアの指先が慣れている。彼女は誰かの呼吸が落ち着くまで、看病の手順を淡々と繰り返す。村人の一人がカッ