白砂月時計のルゥン 第4話「第3章」
ルゥンは馬車の横で、まだ砂の微粒が絡む手袋の縫い目を確かめながら深く息を吐いた。夜は濃く、月の欠けた輪郭だけが遠くに白く浮かぶ。馬の呼吸が低く揺れ、ミナは手綱を片手で叩いて速度を保つ。ノクは包みに顔を押し当て、時折鼻先で針の匂いを確かめるように小さく唸った。ルゥンの掌は十三の歯車の冷たさを忘れまいとするかのように、ぎゅっと包みを押し返していた。
ルゥンは馬車の横で、まだ砂の微粒が絡む手袋の縫い目を確かめながら深く息を吐いた。夜は濃く、月の欠けた輪郭だけが遠くに白く浮かぶ。馬の呼吸が低く揺れ、ミナは手綱を片手で叩いて速度を保つ。ノクは包みに顔を押し当て、時折鼻先で針の匂いを確かめるように小さく唸った。ルゥンの掌は十三の歯車の冷たさを忘れまいとするかのように、ぎゅっと包みを押し返していた。
追手はまだ背後にいる。その気配は砂の上に細く引かれた黒い線のようで、たびたび稜線の向こうに消え、また現れる。王都の装甲が反射する赤い光が、遠目に波打つ。ルゥンは心臓が跳ねるのを感じたが、答えを出さねばならない。工房の規則と師の言葉、ミナの言葉──それらが胸の中でぶつかり合っている。だが、今は選ぶべき直近の問題があった。馬車に鈴を垂らすように、先ほど出会った男が影の中から歩み出た。
「――待て、そこの三人組」
その声は低く、荒れた甲冑のこすれる音を伴っていた。影から出た人物は、騎士の装束を着ていたが、金属は磨耗し、紋章は風でかすれていた。鞍に擦れた革手袋、肩から下がる古びたマント。胸のエンブレムは半ば剥げており、その下に刻まれた月の輪郭の片側だけが黒く塗りつぶされているのが見えた。
「王都の騎士か?」ミナが馬車の側面から身を乗り出し、目を細める。口調は防御的だが、身体は逃げる準備をしていた。
騎士は短くすまなさそうに笑い、片手を上げた。「騎士かどうかは、今は分からん。エドだ。名前で呼んでくれ──ただし、追われる身だ」
その名にどこか既視感があった。ルゥンは思わず十三の歯車を抱え直す。彼は先刻の逃走路で王都の探し手に追われたはずだが、この男は明らかに、追跡していた側から道を分けて現れたのだった。
「どうしてここに?」ルゥンが問いかける。声は砂に紛れるように低い。
エドは片方の手で、胸元の小さな袋から古ぼけた帳面を取り出した。表紙は革で綴じられ、ところどころ砂に擦れて糸がほつれている。開くと、中には細かな文字と数多の小図があり、縦列には無数の小さな砂時計の絵が整列していた。ページの端には、行ごとに細い砂の粒が描かれている。彼は指先で一つの列を辿り、静かに言った。
「徴税帳だ。王都の、それも直属の。だが表向きの帳簿ではない。人々の時間を数字として刻む帳だ。お前らが抱えている針が価値を持つ理由も、そこにある」
ミナの顔が硬くなる。ノクの耳がぴくりと動いた。ルゥンは胸の奥で何かが冷たくなるのを感じた。そんな帳面がこの砂の道の真ん中で何を示すのか、そしてなぜこのエドがそれを持つのか。
「どういう意味だ?」ミナが短く詰め寄る。
エドは目を伏せ、指先で一つの砂時計の図を指した。絵は二つに割れたガラスの間を細く落ちる砂を描いている。絵の横には小さく、でもはっきりとした印が押されていた。半月の紋が、片側だけ黒く塗られている。
「これは徴税印だ。黒になっている側は、『欠けた月の側』を象徴する。王都は、満月を守る『時砂』を独占するために、地域の『明日』を切り売りしている。領民は代価として一日の流れを差し出す。砂時計一個ごとに、誰かの一日が縮められる仕組みだ」
ルゥンは言葉を飲み込む。頭の中で、村で見た納税台帳の記憶がぶわりと蘇る。吹きさらしの納屋で、若い母が手を震わせながら砂時計を差し出していた日。エドの指が次のページをめくると、年の古いページには手書きで「特別徴税:子女分」と記されていた。その横に書かれた数字は、砂が半分減るように二つに裂けて見える。
「そんなことが、許されているのか?」ミナの声は震えた。皮膚の下がざわつくようだ。
エドは唇を噛んだ。「許されている。王都は法で盾を作る。『時間の契約』だ。名前のある書面にサインさえすれば、あとは徴税印を押し、指定された分だけ時砂を吸い上げる。人々は生命の一部を差し出す代わりに、時砂で保たれた恩恵を得る。皆がそうするわけではない。だが貧しい村は……生きるために明日を売る」
ルゥンは十三の歯車を気づかれぬように抱きしめ直した。自分が修理をすることで、誰かの時間が延びるかもしれない。しかし同時に、修理を頼れば誰かの記憶が削れる。ここでも天秤は重い。エドの目を見ていると、彼の表情に同じような傷が刻まれていることに気づいた。鎧に刻まれた欠けた紋章は、ただの飾りではなかった。
「俺は、徴税に携わった」とエドは続けた。声に薄い苦みが混じる。「最初は命令だ、と思って躊躇わなかった。だがある日、妹の名前が徴税台帳に刻まれた。『前払:一日分』――そう書かれていた。徴税のために、村が一人分の明日を差し出した。俺はそれで妹の髪が白くなり、瞳が眠ったようになっていくのを見た。俺は、あの時の自分に耐えられなかった」
ミナはその言葉に息をのみ、ノクは体を硬くする。砂が夜風に舞い、帳面のページが白く波打つ。エドの左手が、無意識に握りこぶしになる。――それは、ヴァルガの名を聞くといつも出る、彼の癖だった。ルゥンはその小さな動作に、予め聞かされた伏線を確かに思い浮かべた。ヴァルガの名が、彼の中に生きた傷を掻き立てるのだ。
「それで、逃げたのか」ルゥンが尋ねる。自分の声が思ったよりも小さく感じられた。
エドはうなずいた。「逃げた。騎士としての任務を果たすことより、妹の残った一日を守る選択をした。だが、王都は逃げる者に厳しい。追手は来る。あの場で止めなければならなかったのに、俺は手を汚した。今も、俺の名は『落ちこぼれ』と呼ばれる」
彼は帳面を押して閉じ、馬車に近づいてくる王都の兵の懐中灯の光を指差した。遠目にも、甲冑の黒鉄に赤い紋が映り、行列は静かな足取りで砂を刻んでいた。追手が近づくにつれて、空気が締まる。ミナは馬をさらに前へ押したが、道は少し狭まり、前方には検問のような小さな砦が立っているのが見えた。どうやら補給路の一角らしい。
「俺がなんとかする。だが条件がある」エドは声を低くして言った。「お前らに針の所在を教える。だがその代わり、俺を見逃して欲しい。……いや、それだけではない。俺は王都に戻らない。もう騎士としての復帰は望まない。だが、その代わりに、一つだけ手伝って欲しい。ある記録を――第一針についての記述を見つけた。そこに『心臓の冷却室』とある。針は、ただの装飾ではなく冷却装置の一部だと示している」
言葉は簡潔で、しかし重みがあった。ルゥンの心臓は跳ね、十三の歯車が掌の中で固く冷えた。第一針が冷却室に関係する――それは、今後の行動に直接結びつく情報だった。だが同時に、エドが示す「俺を見逃せ」の条件は重い。ルゥンは自分が師に背いたことを忘れていない。工房へ戻る術はない。だが今目の前には、薬を待つ子や夜を延ばされた村々がある。
「どうやって?」ミナが低く尋ねる。彼女の指はすでに馬上で弓の柄を掴むように固い。
エドは帳面をもう一度開き、砂時計の列を指でなぞった。「帳面には、徴税印を押した日と、その時刻、そして差し出された量が書かれている。だが、徴税というものは紙だけではない。手続きは形式と物理の両方だ。徴税印を押すときに機械的な刻印装置が使われ、複写が生まれる。俺は過去に、その複写を改竄する術を覚えた。帳面の