陶工

陶工 第16話「第十四章 灰に残る掌」

夜は思ったより静かだった。藁屋根の隙間から陶土の匂いが流れ、窯場の古いベンチに三人が肩を寄せている。アカリは小さな布包みを両手で握りしめ、仲間の顔を一つずつ確かめた。計画は短く、だが綿密だった。時間が短いほど、準備は入念でなければならない。

夜は思ったより静かだった。藁屋根の隙間から陶土の匂いが流れ、窯場の古いベンチに三人が肩を寄せている。アカリは小さな布包みを両手で握りしめ、仲間の顔を一つずつ確かめた。計画は短く、だが綿密だった。時間が短いほど、準備は入念でなければならない。

「役割をもう一度」アカリは低く言った。「ソウタは中に入って接触・採取。レンは外から機械の制御を確認して、焼成は遠隔でやる。ミオは記録と保護――破損が起きたら、まず破片を包んで隔離。二次被害の救護はミオが担当。合図は私の指二本。逃げる合図は親指を立てる。分かった?」

三人は頷いた。声はいっさい震えていないつもりで、しかし指先に小さな震えが残る。ソウタは息を整え、布包みを差し出すアカリの手から湿った灰色の土を受け取った。アカリが土を渡すとき、いつも胸の奥に小さな違和感が刺さる。土は彼女の手を離れると同時に、渡された相手の記憶と繋がる。今回使う土は遠出のときに得た混合土で、この術は「私が手渡した土」にしか作用しない。説明は短く済ませたが、その意味は三人とも知っている。

「壊れたらどうなる?」ミオが静かに訊く。

アカリは目を伏せ、言葉を選んで答えた。「壊れたら感情が外に出る。爆発的に。昔、私は壊れた器の熱に気づかず腕を火傷して、それからしばらく熱さも冷たさもわからなくなった。だから、焼くときも取り扱いも慎重に。触れた者の心が器に残る。消せはしない」

「わかってる」レンが手の中の細い棒を指先でなぞった。「だから手袋と箸で扱う。焼成は遠隔で。壊れたら包んで距離を取る。ミオは救護、俺は脱出路の確保。合図があれば即座に離れる」

合図と手順を口にし、三人は簡単な模擬を一度だけ行った。ミオが布を握って「包む」を示し、レンが影を指差して「逃げる」を確認する。形式的だが、叫びにならぬよう声を抑える訓練にもなる。準備はできていた。覚悟は別だ。

施設までの道は、人通りが本当に少なかった。イングの旗は村外の旗竿で黒く溶け込み、夜風が金属の音を立てる。建物は白い石と鉄骨で出来ており、窓は締め切られていた。遠くからでも、規則正しく低い唸りが聞こえる。アカリはそれを聞いて喉の奥が締まるようだった。村の窯の「子守歌」に似た、だが工場じみた機械音。ミオが小さく呟いた。

「人を眠らせるための音に作ってある。管理するための子守歌よ」

裏口の点検口はさびついていたが、鍵は抜かれていた。ソウタが滑り込み、内部の暗闇に溶ける。管路と埃の迷路を進むと、やがて大きな炉と連なる金属箱、そして床一面に敷かれた白い灰が現れた。灰は整然と盛られ、ところどころに凹凸がある。ミオが息を詰める。

「手形だ」

灰の凹みは人の掌の形をしていた。深く残ったその縁には、黒ずんだ痕がある。アカリの脳裏に、序盤に見た「ひび割れない黒い杯」の色が浮かんだ。手を出したくなるが、彼女は一歩引いた。ここで不用意に触れれば、壊すかもしれない。壊せば感情が暴れ出す。それを避けるため、彼らは来る前に決めた通りに動く。

ソウタは自分の胸に押し当てていた土を取り出す。手の形になるように薄い皿を作るのに短い時間しかない。彼の指紋が粘土に残り、息遣いが器の内に残る。自分の妹の手形がそこに映らないか、確かめたいという思いが彼の肩を震わせていた。

「写真だけじゃだめだ。模様を出さないと」ミオは抑えた声で言った。「器の模様は観る者の心を動かす。記録の上書きがあっても、手の痕は逃げられない」

レンは外の制御盤に目をやる。彼はカバーを巧みに開け、配線をいじってアラームの感度を下げる方法を探した。表示灯がちらつき、低い音が深くなる。窯の子守歌は、周波数が一定になるとまるで呼吸のように聞こえる。レンの手付きの速さは確かだが、どこかで間違いが起きる可能性は消えない。

ミオが先に提案した。焼成はレンが遠隔で扱い、ソウタは中で触れるだけにする。アカリは頷いて土をソウタに渡した。受け取った瞬間、ソウタはいつもの感慨交じりの短い笑いを漏らした。「お前の土は冷たいな」と。だが彼は襟元で土を押さえ、皿の形を整える。器は素朴だが、彼の指紋がはっきり残る。

「焼けるまでの時間が短い。レン、準備は?」アカリが確認する。

「いい。扉だけ監視する。焼成の途中で何かあればすぐ止められる」レンは小さな端末を見つめた。彼の指先がパネルを滑り、表示が安定するのをみて、ミオは器を慎重に灰の上へ差し出した。縁がかすめると、まるで触れられた手形が一瞬息をするように黒みが強まった。

「やめて――」ソウタの声が震えたのはその直後だ。彼は自分の胸の痛みを隠せなかった。だが遅かった。器は灰の中に押し込まれ、土と灰が混じる。アカリの胸に重いものが落ちる。レンが窯の投入口へ箸のような道具で器を送り込み、扉を閉じた。遠隔で熱が加わる。子守歌は一定の鼓動を刻む。

焼き上がりまでの数分は、永遠にも似た。レンが時計を見つめ、表示の色が変わるのを待つ。やがて扉を開け、赤みを帯びた器を取り出した。アカリが手袋越しにそれを受け取り、縁をそっと覗くと、黒い模様が浮かんでいた。波紋の中に、小さな掌の線が重なり、その中心に見覚えのある黒い紋がある。あの杯の紋だ。

「黒い杯の印だ」ソウタが息を呑んだ。「妹の手のサイズだ……ここにいた」

言葉はそこまでだった。床の隅に積まれた木箱の接合が、先ほどの振動で小さく亀裂を走らせた。角材がぐらりと崩れ、ひとつが器の周辺を叩いた。ミオが持っていた小さな皿が、その衝撃で手から滑り落ちた。陶器は脆い。割れる音は、白い部屋に刺すように響いた。

壊れた瞬間、空気が切り替わった。むせ返るような寂しさが押し寄せ、叫びにも似た静けさが部屋を震わせる。レンの顔が瞬時に強張り、ソウタは膝をついた。アカリは本能的に手を伸ばしたが、何かが違う。手先に伝わるはずの熱が、そこにはもうなかった。以前にも味わった、しかしもっと深い喪失。皮膚が熱を示さないという恐怖が、冷たく彼女を貫く。

「包め!」アカリが叫ぶ。計画どおり、ミオは無意識に布包みを取り出して破片に被せ、レンはそれを箸で押さえた。だが包んでも、感情の波は止まらない。破片の一片に刻まれた掌の線は黒い杯の紋と結びつき、部屋中にあったはずの記憶の断片が瞬時に噴き出した。レンは手を胸に当て、顔を歪ませて呻いた。ソウタの肩から嗚咽が漏れ、彼の瞳から光が消えた。

アカリの腕に冷たい穴が開いたような感覚が広がる。火と冷たさの区別が、指先からすうっと抜けていく。熱い鉄を握られても、彼女はそれに気づかないだろう。思い出の痛みと身体の鈍麻が同時に襲う。声は出ない。だが彼女は、包んだ破片を見ていた。そこに刻まれた痕跡が、間違いなく人の存在を示している。

「持ち帰る」ソウタは荒い息で言った。懐から小さな破片を一つ取り出し、衣の内側に押し込む。彼の指が触れたその断片は、妹の掌の線に一致した。ミオは震える声で紙の切れ端をアカリに差し出した。それは木箱の裏に貼られていた名簿の切れ端で、消されたはずの名前が並んでいる。その横には黒い印と日付が付いていた。ソウタの妹の名前も確かにそこにある。三年前の記号とともに。

「外だ、今だ」レンが囁く。隙間から