靴屋 第17話「第15章」
朝の光は迷宮の壁に細かく砕け、路地の石畳に斑点を作っていた。カナタはいつもの角の作業台に肘をつき、目の前の靴底に触れていた。木片と針先の隙間から微かな油の匂い、踵の革が擦れる音。足元には木製の杖が寄りかかっている。杖は彼の歩幅を守る友達でもあり、負債でもある。
朝の光は迷宮の壁に細かく砕け、路地の石畳に斑点を作っていた。カナタはいつもの角の作業台に肘をつき、目の前の靴底に触れていた。木片と針先の隙間から微かな油の匂い、踵の革が擦れる音。足元には木製の杖が寄りかかっている。杖は彼の歩幅を守る友達でもあり、負債でもある。
「今日、集会を開くべきだと思うよ」とミナが言った。店の奥に立つ彼女の顔は眠気で弛んでいるが、瞳には決意が残っている。孤児院の院長として、彼女の守る子どもたちの数は増え続け、孤立はもう選べない。
「誰を呼ぶ?」カナタは答えを保留にしながら、指先で星の刻印をなぞる。以前見つけた台帳の断片に押してあったその刻印は、ここで議論されるはずの中心にある――だが今は、それが人々を分裂させる火種にもなっている。
「まずは、あなたを疑う声に応える場を作るべきだ。透明に、公開で。あの男が何をしているのか、ここで示してもらおう」ミナの声は静かだが鋭かった。彼女は子どもたちの前で何度もカナタの名を弁護してきた。守る対象が彼にとっても明瞭だ。彼女と孤児たち、店に住み着いた少年少女たち――彼らが今日、ここで守られるのだ。
扉が軋む。人混みのざわめきが外から伝わる。今日は広場での公開討論。カナタが望んだ通り、彼は自分の言葉と行動で示すつもりでいた。しかし彼の足は、朝から重かった。使えば使うほど重くなる――その代償が、彼にいつも冷たい現実を思い出させる。
「来客だ」ギルが言った。鍛冶屋の巨漢は門口に立ち、眉をしかめる。扉の外にいるのは、薄い外套を羽織った中年の男だった。男の脇には官用の印章が入った箱。首からぶら下げた章には見慣れない鋭い紋章――星を囲む輪のような形があった。
「エルネだって。ザイフの伝令の一人らしい」ギルが低く呟くと、ミナがうつむいた。市の外から、ザイフの一派がここまで手を伸ばしてきたのだ。彼らは徴税と管理の名目で動く。だがエルネの目には違う光が宿っていた。じっとこちらを見据え、笑みを作らないまま言葉を放った。
「お集まりの皆さん、私はザイフ伯からの使者です。ここに、公式の通知と検査のために参りました。噂になっている“靴屋による不正な導き”について、公的な検査を行います。任せてください。国家の保護を受ければ、皆さんの安全は保障されます」
彼の言葉は丁寧だ。だが会場には冷たい空気が流れた。保護の名の下に自由を奪う手が伸びることを、誰もが知っている。しかも、エルネはわざとらしく箱を開けると、中から数枚の紙片を取り出した。大きな、公式な書式。そこには、星印と似た刻印が押されている。
「これが証拠です。星印のついた靴底は国家の管理下にあります。無許可で人の移動を助けることは違法です。皆さんが安全のために選ぶなら、私たちは適切な手続きを指導します」
「さあ、どうする?」ギルが小声で言う。人々は互いの顔を見回した。顔の表情が一つ一つ変わる。恐れ、怒り、諦め、希望。カナタは自分の足元の重さを感じ、杖を握り直した。彼は今日、証拠と透明さで示さなければならない。だが、示すために自分の身体を酷使するつもりはない。代償はそれほど大きい。
「私たちは検査を受けるべきだ」トマが口を開いた。青年はいつも冷静で、議論の舵取りに長けている。「だが、国家の“保護”という名の下に急いで譲歩するのは危険だ。公開の場で、我々の手順と記録を提示しよう。誰でも見られるように。独占なんてさせない」
「その通りだ」とミナが続けた。「子どもたちの言葉は、彼ら自身のもの。誰にも強制させない。ただし、誤った情報で靴が壊れることも示さないと――これは技術的な安全性の問題だと理解されなければならない」
エルネが口をとがらせた。「技術、ですか?では実演を。そなたが“導き”の有無を示してみせよ。誰か志願者をここに出して、私の眼前でその靴が正しく機能するかどうか。国家が保証する前に、それを確認させてもらおう」
会場がざわめく。志願者を公に出すことは、特に子どもを守る立場の者にとって大きな責任だ。だが証明を求められれば、示す方法はある。カナタは深く息をついた。杖を突き、ゆっくり立ち上がる。彼の足にかかる重みは増していたが、彼の声は穏やかだ。
「私が一度だけ示します。だがこれは、私が着手するものでは――」カナタは言葉を切った。彼は自らの能力の規則を再確認する必要があった。履き手が自分の言葉で目的地を言う――それが発動の条件だ。不正な目的地、嘘は靴底を裂く。使うほど、私の足が重くなり、いつか私は歩けなくなる。彼はその代償を隠すつもりはなかった。隠すほど信用は壊れる。
「誰が志願する?」ミナの目が輝いた。次いで、小さな手が挙がる。ルカ――孤児院の少年。赤い片方の靴をいつも大事にしている子だ。彼は前に出ると、青ざめたがきちんと顔を上げた。「僕が言う。僕の帰る場所は、母さんのいる丘の家です」
その言葉は、ルカ自身の言葉だった。カナタは頷き、短い説明だけをした。「言葉は君自身のものだ。誰にも代弁させるな。二人の証人がいること。嘘だと靴は裂ける。私はその結果に責任を持つ――ただし、私自身の身体は一つしかない。連続してはできない」
ギルとミナが証人になり、トマが席の外にいる他の者を監視役として任命した。エルネは微笑を抑えつつ、箱から薄い革の靴を取り出した。そこには星印が刻されている。会衆の間から小さなざわめきが起きる。星印のある靴を公に出すことの意味は重い。だがエルネは一歩前に出て、その靴の持ち主だと言い張った。
「この靴を履いて、ルカは丘の家へと宣言する。見届けよう」
ルカは靴に足を入れた。彼は震えている。誰も彼を強制していないが、圧力は存在していた。エルネは声を低くして数字を並べるように言った。「覚悟はいいか、少年?」
ルカがこくりと頷き、はっきり言った。「丘の家。母さんのいる丘の家」
その瞬間、場が変わる。革と石が擦れる不穏な音。だが本当に聞こえたのは別の音だった。靴底から、小さなピキリという破裂音がした。全員の視線が靴底へと落ちる。裂け目が走り、革が二つに分かれる。ルカは転び、膝を打った。会場に悲鳴のような息が漏れる。
「裂けたのか……」誰かが呟いた。エルネの顔色が変わる。赤い色が一瞬はがれ落ちたように、彼の表情が固まる。「これは……不具合だ。我々の管理している靴は……」言葉が続かない。だが場の空気は冷たく、怒りや疑念が膨れ上がる。
「嘘じゃない」ルカは立ち上がり、顔を抑えた。膝から血が滲んでいる。彼の言葉は震え、涙がにじむ。「僕は嘘は……」
刹那、ギルの指がエルネの袂を掴んだ。「お前らは何をした。これはどういうことだ」声が荒れる。だがエルネは冷静を装い、箱の中から別の一枚の紙片を取り出した。それは手の込んだ写しで、靴の製造記録とされる欄に、手書きの注記が添えられていた。そこには小さな改ざんの跡。だれかが、あらかじめ靴底に細工をしていたのだ。
「つまり――これは罠か?」ミナが叫ぶ。会場の視線は波のように揺れた。疑念が疑念を呼ぶ。誰かが、ルカを使ってカナタの技術の危険性を世間に示そうとした。だがその“誰か”の狙いはもっと複雑だった。靴底を裂かせることで、カナタの非を喚き