鍵師

鍵師 第7話「第6章」

広場の掲示板に、紙が一枚貼り付けられた瞬間、空気が変わった。薄く乾いた紐がはぜる音さえ、広場にいた人々の耳に過敏に届く。ユウは掌にした錆びた銀鍵をぎゅっと握りしめ、周囲の声を遮るように掲示板へと近づいた。

広場の掲示板に、紙が一枚貼り付けられた瞬間、空気が変わった。薄く乾いた紐がはぜる音さえ、広場にいた人々の耳に過敏に届く。ユウは掌にした錆びた銀鍵をぎゅっと握りしめ、周囲の声を遮るように掲示板へと近づいた。

「百の城門は、七日後を以て閉鎖する──」
楷書で押された役所の印。端正すぎる文字が、余計に事態の非情さを際立たせる。続く文面は役所的な言い回しで政策の正当化を並べ立て、〝秩序維持のため〟と記されていた。だがそれを読み上げる者の顔つきには、政策を支持する安堵も、反対する怒りもなかった。あるのはただ、明確な期限に対する底知れぬ焦りだけだった。

「七日だって……」
鍛冶屋の少女、アンネの声が震えた。肩先に煤の跡を残す両手を組み、彼女は掲示板の下で唇を噛んだ。隣に立つ記録係のトーレンは、しばらく紙の角を指先でなぞった後、小さく息をついた。

「百の門が――本当に、全部閉まるのか?」
「そう書いてある。役所が嘘をつく理由はない。だが、理由はどうあれ、閉められたら終わりだ」
ユウは声を低くして言った。耳に残るのは自分の声の震えと、掌の中で鋼が冷たく光る感触。錆びた銀鍵は、先の尖った部分に小さな欠けを抱えている。欠けの形が、ユウにはいつも誰かの名の文字を削ぎ取るように見えた。

「一日で何人が動けるんだ?」 広場の向こうで老人が叫ぶ。「我々の多くは地下街にいる。鍵がなければ地上へは戻れない。避難民は――」
言葉はそこで止まる。地下街という言葉は、ここ数か月で誰もが口にできぬタブーになっていた。ユウは地下街の端に立つ小さな出入口を思い出す。そこに群れを成して押し込められた人々の顔。彼らを守るために、今できることを思い定めると、胸の奥が熱くなる。

「十門だ」
ユウは唐突に言い放った。言葉に、自分でも驚くほどの確信が乗っていた。アンネとトーレンが顔を向ける。

「十門?」 トーレンが聞き返す。「どうして十なのさ。百じゃなくて?」

「効率だ。時間は七日。全てに同時に手を伸ばせば、どれも中途になる。まずは人が集中している門を十に絞って、合意を得る。合意を連鎖させれば、数は伸びる。無理に力を使って奪取するのは最後の手段だ」

アンネは眉を寄せた。「それって、同意っていうのは……鍵の持ち主ひとりずつ説得しないといけないってこと?」

ユウは頷いた。言葉に出すたびに、かつて師匠が言った一節が耳に蘇る――扉は人の意志で閉じ、また人の意志で開くのだと。ユウ自身の能力は、そのはざまで働くものだった。鍵穴に触れれば「閉じた理由」を一つだけ聞ける。しかし、聞いただけでは扉は動かない。持ち主の同意が必要で、同意がなければ、むしろ扉は強く閉じてしまう。さらに扉を一つ繋ぐたび、自分の名前の一文字を忘れる。複雑に織り合った条件が、ユウの前に常に立ち塞がっていた。

「名前の代償は怖いだろう?」 トーレンは慎重に訊いた。薄い皿を前に置いたような声だった。「あれを使えば人は救える。でも使うごとに、君は何かを失う。君はもう……」

ユウは胸の内で何かが欠ける感覚を確かめた。失った文字がすでに二つある。日々の生活で不便はなかったが、夜には神経を張り詰める。ふとした瞬間に、昔の歌の一節の一音が抜け落ちていることに気づき、誰かの顔の名前の一部が浮かばないことがあった。だが、今は躊躇っている余裕はない。

「僕が一人で全部を背負うつもりはない」ユウは言った。「忘却は僕だけのものじゃない。だから十門を選ぶんだ。先に動ける人、同意してくれそうな門の主たちに狙いを絞る。アンネは武具と工具を準備して。トーレン、門主の名簿と住居、交渉の順番を作ってくれ。私は実際に鍵穴に触れて、理由を聞いて回る。理由を拾って、同意を得るための言葉を作る。合意は強制じゃない。共に選べるということを示すんだ」

アンネはぐっと息をつき、親指で唇の端を拭う。「いいわ。あなたの名前の代償については……私たちが君の分も覚えておく。少なくとも、私たちの間ではね」

トーレンは小さく笑った。「それにしても、連絡網を張らないとな。役所の連中も動くだろう。レグス卿、最近は頻繁に視察しているって話だ。門務局が黙っているはずがない」

掲示に貼られた文書を巡る噂は、まず広場の人々を不安にし、ついで噂として歪みながら屋台や路地へ落ちていった。役所の意図を測る者、内情を探る者、今すぐ荷物をまとめる者。ユウは人々の輪の中に漂うあらゆる感情を、ひとつひとつ見渡した。怒りや悲しみはある。だが彼が見たいのは、それより先の、同意の蓄積だ。扉を開けば人は動く。動けば合意の連鎖の可能性が生まれる。

「まず北側の十門を選ぶ」ユウは言った。「地下街に近い門、運搬道に面した門、囚われの人が出入りしていた歴史のある門を中心に。リストを作る。私が直接掌で触れて――閉じた理由を一つずつ聞く。そこから、どう説得するかを組み立てる」

「危険だぞ」アンネが低く言う。「持ち主の同意を得られなかったら、門はさらに強く閉じる。それでどれだけの町民が取り残されるか想像しているのか?」

ユウは肩の内で笑ったように震えた。「だから、無闇に試すわけじゃない。まず話をする。信頼を作る。もし相手が拒むならば、その理由を持ち帰る。理由は、説得のための手掛かりになる」

白昼の広場に、一台の馬車が急に減速して止まった。馬車から降りたのは役所の小吏だ。黒い外套に赤い縁取り。胸元には門務局の徽章が消えかけて光る。彼は掲示板の前で立ち止まり、集まった人々に向かって短く声を張った。

「この掲示は国法に基づくものである。違反行為は国家の裁きに値する。速やかに従うように」

拍手は起きなかった。むしろ落胆と怒声が交錯した。小吏はそれを見て、眉を冷たく寄せた。視線がユウのいる方向を一瞬だけ滞める。ユウはその視線を避けずに返した。小吏の顔には興味と警戒が混じっていた。それは、攻撃の前触れにも見える。

「危ない顔をしてるな」トーレンが呟く。「この町は今、監視されている。しかも門務局のその徽章は――レグスの近衛の印だ」

ユウは錆びた銀鍵を撫でた。鍵の表面に刻まれた小さな刻み目に、何度も指を滑らせた。鍵は彼が転生したときに手に入れた最初のもので、見慣れたはずなのに触るたびに違う思い出が浮かぶ。あるときは子どもの頃の台所の匂い、またあるときは誰かの笑い声。だが、最近はその記憶さえもところどころ欠けていく。名の一文字が抜けるたび、世界の縁取りがぼやけていくようで、ユウは恐れを抱かなかったわけではない。

「アンネ、トーレン、先に避難民代表と手を合わせられるか?」ユウは問いかける。「私は門の所有者に会いに行く。手許の理由から、説得のための言葉をつくる。合意を取れれば次だ。時間がない」

二人は互いに目配せをした。アンネは唇を引き結び、やがて頷く。「負傷者や老いた人たちを優先的に確保するわ。あなたは危険を覚悟してね」

「僕が危険を覚悟しているのは、名前が消えるからじゃない。人が置き去りにされることを見ていられないからだ」ユウは短く言った。言葉には私情と決意が混じり、二人の間に沈黙が生まれる。沈黙が戦略を育てるように感じられた。

ユウが最初に向かうは、城の北側