鞘の少年と、抜けない聖剣 第6話「第五章」
砂が冷え始め、夜の縁が荒野を撫でる頃だった。井戸の周りには小さな焚き火が幾つか残り、村人たちの手は泥にまみれていた。空はまだ昼の余韻を引きずり、星が出る前の蒼を薄く引いている。サヤトは、腰の中に残された金のひびをそっと指でなぞった。痛みは残るが、掘り直した井戸から上がる湿った風がそれを少しだけ和らげた。周囲の声は疲れていたが明るく、誰もの手元にあるのは新しい決意の温度だ。
砂が冷え始め、夜の縁が荒野を撫でる頃だった。井戸の周りには小さな焚き火が幾つか残り、村人たちの手は泥にまみれていた。空はまだ昼の余韻を引きずり、星が出る前の蒼を薄く引いている。サヤトは、腰の中に残された金のひびをそっと指でなぞった。痛みは残るが、掘り直した井戸から上がる湿った風がそれを少しだけ和らげた。周囲の声は疲れていたが明るく、誰もの手元にあるのは新しい決意の温度だ。
「もう一晩だけ、ここにいるかい」とミナが小声で言った。地図を膝の上に広げ、線を指でなぞる指先はまだ震えている。リオネルは剣の柄に触れながら夜空を見上げ、ガルドは焚き火のそばで腕を組んでいた。皆、それぞれに疲れを抱えつつも、どこか微笑んでいた。サヤトもまた、彼らと同じ方向を見ていた。だが胸の奥にあるものは、夜風の向こうで暗く蠢いている。
遠くの砂丘の向こう、太陽の形だった裂け目は、やがて小さな光の塊へと変わった。砂が震え、風が唸る。荒野の空気が異様に震え、夜の静寂が引き裂かれるように、熱を伴った音がやってきた。
「見える?」ミナが呟く。地図の片隅に、白い点が浮かんだように光る。季節河を挟んだ向こう側では、欠片の反応が広がっていた。
そのとき、小さな声がした。風に混じったような、かすれた鈴の音。最初は誰も気づかなかったが、次の瞬間、空気の中に宝石のような光の粒が散り始めた。粒は風に乗り、焚き火の火の粉と交じり合って踊る。降りしきる光に、村人たちの顔が一瞬、驚きと微笑みに揺れた。
「ぴぴっ!」
音は鳴き声になり、三つの小さな影が砂の上に降り立った。体長は人の膝ほど、薄い鱗が月光を受けて虹色に輝く小型竜だ。目は大きく黒く、瞳の中に小さな星が宿っている。翼はまだ柔らかく、折りたたまれている。彼らは一頭ずつ、ひらりと着地し、最も前に来た一匹が首をかしげてサヤトを見上げた。
「ピピだよ」その一匹は言葉を欲するような口ぶりで、小さな声を絞り出した。「暑いところに、星が集まってる。食べられるかなって思って……」
リオネルが眉を上げ、近くの子供が小さく笑う。ガルドは腕を組んだまま穏やかな顔で、ピピを見下ろす。ミナは地図を膝に戻し、ピピの鱗を指先でそっと撫でた。触れられた鱗は暖かく、微かな星屑の香りを残した。
ピピは小さな鼻を震わせ、地面に落ちた輝く粒をひとつ口に放り込む。瞬間、彼の体から柔らかな光が膨らみ、口元から星屑がふわりと吐き出される。光は腹の中で渦を巻き、羽の根元へと流れていく。翼に届いたとたん、そこにいくつかの小さな斑点が残った。夜風に揺れるたびに、その斑点がちらちらと星のように瞬く。
「うん、甘い!」ピピは満足そうに舌を出した。「星だから、食べると眠くなるよね」
しかしその幸福は長く続かなかった。ピピの鼻が、サヤトの胸元で早く鼓動する別の匂いを掴んだのだ。星とは異なる、焦げた金属と古い記憶の匂い。村を救うために納めた契約の紙、そしてその断面から滲む禍々しい熱――サヤトの内部に残った呪いの残滓である。ピピは鼻をふくらませ、目を見開いた。
「ここにもある……大きい」ピピはぽつりと言った。「苦い星だ。苦いくらいに光ってる」
サヤトはその言葉に身をすくめた。胸の中で、金色のひびが微かに震える。呪いは形にならず、記憶の欠片や痛みの陰翳として彼の内側に溜まっている。抜き去られた契約の文字、村を蝕んでいた井戸の冷たい吸い取りの感触、逃げることを選んだ人々の声。それらは彼の内部で混ざり合い、苦い結晶を作っていた。
「だめだ」サヤトは低く言った。「俺のせいで、誰かが傷つくわけにはいかない。お前みたいな小さな命まで、代償を負わせたくないんだ」
ピピの黒い瞳が揺れた。小さな胸の鼓動は、子供のように速くなる。しかしその瞳は怯えてはいない。むしろ決意に光っている。彼はもうひとつの星の欠片を口に入れ、頭をサヤトの内側へ向けて傾けた。
「でも、ピピはいいよ。ピピは星を食べるんだ。君の中の苦い星、少しだけ食べても平気だよ。ちょっとなら、痛みも小さくなるかもしれないよ」
仲間たちが静かに息をつめる。リオネルは剣から手を離し、サヤトの方へ一歩詰め寄った。ガルドの大きな手が、そっとサヤトの頭に触れようとして止まる。ミナは地図を押さえながら、その手元を見つめていた。皆の視線がサヤトに集まる。
「迷惑はかけない」ピピは付け加えた。「なんでも分解できるわけじゃない。でも、ここにあるのは僕が噛み砕けるものだよ。痛いなら、僕にくれない?」
サヤトの中で、二つの声がぶつかった。ひとつは博物館で過ごした日々の規律だ。「崩してはならない。痛みも記憶も、自分で抱え、次へ渡すのが修復の道だ」もうひとつは、今この瞬間に村の手が自分に差し伸べられた柔らかな温度だ。「助けを受けることも守ることだ」と、どこかから誰かが囁いた。
「――本当に、君は大丈夫か?」サヤトは震える声で聞いた。自分が何を失わせることになるのか、彼には恐ろしくて見えなかった。ピピの目は真っ直ぐで、そこに裏がないことだけが分かった。
「大丈夫。ピピは選んだよ」ピピは小さく胸を張った。その瞬間、彼の背中にある斑点が少しだけ光を強め、翼がふわりと震えた。「でも、もしあとで飛べなくなっても……僕は、君たちと一緒にいたいから」
その言葉に、サヤトの中に何かが弾けた。誰かを守るために自分がただ痛みを背負うべきだという古い信念が、仲間の眼差しによって溶かされていく。ミナの指先が地図の余白に走り、そこへ小さな星の印を描いた。ガルドは俯いて見せたが、その握った拳の硬さは変わらない。リオネルの口元がわずかに緩んだ。彼らは皆、すでに同じ代償を分かち合うという約束を交わしているのだ。
「いい」サヤトは短く答えた。声は砂利の中をこすったように低い。だが、その口調には覚悟が宿っていた。「だが、条件がある。無理はするな。痛みを分けるなら、責任も一緒にな」
ピピは嬉しそうに跳ねる。小さな体が火の粉のように光り、彼はサヤトの胸の前にぴったりと座り込んだ。口を大きく開けると、そこから温かい息が漏れ、星屑の粒を誘った。サヤトの胸の中で滲む黒い結晶が、糸のように引き寄せられる。白い縫い目状の光が、サヤトの表皮の縁からやわらかく走り、呪いの粒を一本の糸へと編み込んでいく。
その光景は、誰もが息を飲むほどに美しく、そして恐ろしかった。呪いは糸に戻されるというより、細く、冷たい星のような粒へと形を変え、ゆっくりとピピの口元へ吸い込まれていく。音は、小さな鐘の連打のようで、喉の奥でこだまする。ピピは目を閉じ、食べることに集中していた。
飲み込む度に、彼の羽根の斑点が増えていく。最初はひとつ、次にふたつ、やがて細かな点が散らばっていく。その光は夜の蒼に浮かび上がり、羽ばたくたびに星のこぼれた跡を残すように揺れた。サヤトの胸の重さが、じわりと引き抜かれていくのが分かる。痛みの端が削られ、熱が少し冷める。呼吸は楽になり、記憶の縁にかかった薄い雲が一時的に晴れるように、展示室の匂いが零れ戻す瞬間もあった。
しかし、代償は静かにやってきた。ピピの小さな背中にある光は、成長の予兆のように濃くなり、翼のふちに現れた星斑が重たげに