玩具職人 第8話「第7章」
朝の光が工房の小さな窓から斜めに差し込み、木屑と紙屑の匂いが混じった空気を淡く照らしていた。トトは卓上の小さな人形を包んだ布をそっとめくり、指先でその首の継ぎ目を確かめる。ミオの木鳥と同じような古い傷跡が、やはりそこにあった。守るべきものが手の中で確かめられると、心臓の奥がきりりと引き締まる。
朝の光が工房の小さな窓から斜めに差し込み、木屑と紙屑の匂いが混じった空気を淡く照らしていた。トトは卓上の小さな人形を包んだ布をそっとめくり、指先でその首の継ぎ目を確かめる。ミオの木鳥と同じような古い傷跡が、やはりそこにあった。守るべきものが手の中で確かめられると、心臓の奥がきりりと引き締まる。
「今日、何をするつもりだい?」
ユナが紙屑を丸めながら隣に座る。彼女の手つきはいつも慎重で、紙人形の顔を描くときだけは時間の感覚が止まるらしい。トトは頭を振り、筆跡のように言葉を返す。
「ハルトの名を確かめたい。アベルが来るって言ってた。彼が何か持っているかもしれない」
ユナの瞳に曇りが差す。工房のほかにも守らねばならない顔がある。子どもたちが昼の歌を口ずさむと、トトの胸は一瞬だけほっとするが、すぐに現実が戻ってくる。外からは市場のざわめきと策をめぐる誰かの怒鳴り声が届いた。
「気をつけて。軍の名を公にするのは危ない」ドンが、片目を隠すように腕を組んで言った。彼は腕に巻いた布で古い歯車をこね、そこからは年輪のように時間の重さが滲んでいる。「だが、隠し事があるなら人は余計に動く。情報は刃にもなるし、絆にもなる」
トトは自分の能力を思い出す。子どもが自分で選んだ玩具に限り、その子の「怖いもの」を小さな形にして動かすことができる。大人が命令した玩具は動かず、恐怖を笑う者の近くでは玩具は壊れる。もしトトが恐怖を代わりに引き受ければ、その代償として一週間眠れなくなる。能力は便利な鍵に見えるが、いつも縛りと代価を伴っていた。
「無理に急いで潜り込むより、声を集めた方がいい」アベルが息を切らして工房に入ってきた。軍服の裾に土がついている。彼の顔には疲労と、言い訳の熱が混ざっていた。「内部で聞いたんだ。ハルト伯爵が計画を進めている。単なる研究じゃない。国家予算で、子どもの恐れを収集して兵器化するつもりだって」
その言葉は、暖かい朝の光を凍らせるように冷たく広がった。トトは布で包んでいた小さな人形をそっと机に置き、指先でその頭をなでる。人形は子どもが選んだものではない、ただの試作品だ。だから動かしても意味が薄い。アベルの次の言葉が来る前に、ユナが静かに息を吸った。
「どうしてそれが分かるの?」ユナの声は震えない。だが目の端で見せる子どもたちの像が揺れていた。
アベルはポケットから紙片を取り出した。折り目が多く、何度も隠しながら読まれた匂いがする。彼はそれをテーブルに置き、視線を合わせることなく告げる。
「配給の伝達だ。『恐怖の標本』を収集する。軍需局宛ての入札書が出ていた。伯爵は私兵を動かして、地域の孤児院や小さな工房から玩具を回収するつもりだ。理由は『安全性のため』だとさ。だが裏では、玩具の反応を観測して、恐怖そのものを利用する研究がある──そういう記録がある」
ドンが紙片をひとつまみ取り、目を細めてページを辿る。墨痕の合間に官印が押されている。トトはその印を見て、寒さが背筋に走るのを感じた。小さな工房の外にある無数の小さな手が、誰かの意思で計測され、分析され、選別されるのだ。想像しただけで胸が塞がった。
「でも、なんでそれが我々のところの問題になるんだ?」ユナが問い返す。「私たちはごく小さな工房で、ここにいる子たちは皆、私たちの家族だ。なぜ伯爵が?」
アベルは拳を握った。彼の顔の線にかすかな苦悩が刻まれる。軍に残った自分の友人たちが、何を見、何を失ったのかを思わせる沈黙が続いた。
「恐怖は有用だと上が判断したんだ。パターンを読めれば、子どもの反応を兵器のスイッチにできる。命令で動く玩具はそのまま武装になりうる。伯爵はそれを、国防の便利な道具に変えるために金を出している。単独の研究じゃない。国家プロジェクトだ」
トトは指先で机の縁を叩く。能力の性質上、彼が直接敵の研究所に潜入しても、得られるものは限定的だろう。軍の玩具の多くは大人の命令で扱われる形になっている。たとえ彼が中に入って無理やり玩具の反応を確かめても、大人の指図がかかったそれらは動かない。そこにあるのは空虚な器と、他人の意志だ。
「それでも、暴くには証拠がいる」ユナが低くつぶやく。「噂だけじゃ足りない。人の声──特に、取り上げられた子どもたちの声が。黙ってるわけにはいかない」
トトは窓の外に目を向けた。路地を挟んだ向こうで、子どもがひとり小さな木のボールを転がしている。彼の笑顔は薄く、どこかぎこちない。トトはふいに自分の能力が万能でないことを思い出す。その制約は不便だが、同時に彼を縛るものでもある。子ども自身の選択がなければ、玩具は動かない。だからこそ、子どもたちの声を掬い上げることが、最も確かな反撃になるはずだと、彼は腹に決めた。
「潜入はしない」トトは短く宣言する。「アベル、君が教えてくれたのはありがたい。だが、僕たちは外の声を集める。子どもたちや親たち、市井の証言だ。真実は、隠れている者が出てくると壊れる。大きな力は暴露で弱くなる。君は内部情報をくれた。それをどう使うかは僕たちが考える」
アベルの顔に安堵と自己嫌悪が入り混じった複雑な表情が流れる。「君たちは危険を冒す。でも、僕は軍の中にいる。これ以上のことはできない。証拠を集めてくれ。誰にも気づかれないように」
ユナが黙ってコーヒーの湯気をすする。ドンは歯車を戻すように息をついてから、ぽつりと提案した。「聞き取りは匿名でな。記録するなら筆跡は消せ。子どもに名乗らせず、合図も工房で共有する。合図を使うための安全網を作るんだ」
その言葉が決まりごとのように胸に落ちた。聞き取りは、ただの情報集めではない。それは子どもたちにもう一度自分の言葉で語る機会を与えることだ。自ら選んだ玩具と自らの声。そこにこそトトの能力が生きる余地がある。だが、ここで一つの試練も訪れた。
工房の小さな戸が叩かれ、裏手に住む少女が顔を覗かせた。彼女の名はサラ。昨日、近くの小さな兵士に玩具を奪われかけた子だ。母親の影が背後に見える。サラはぐっと抱きしめた布の人形を見せ、それが自分で選んだものだと告げた。
「伯爵のこと、誰か聞いてない? 怖いって言ってた子がいたって、本当?」サラの声は小さいが、目は真剣だった。
トトは膝を折り、彼女の目線に合わせる。子どもが自ら選んだ玩具を手にしている。それは彼にとって行為の許可だ。だが、サラの母親がちらりと顔を見せ、わずかに口を結ぶのを見落とさない。隣でユナも手を伸ばし、紙人形の小さな袖を直した。
「サラが選んだなら、見せてくれ」トトは優しく頼んだ。サラは躊躇いながらも布を差し出す。彼女がじっとしていると、工房の空気が少しだけ変わる。トトの能動は、子どもの選択がないと働かない。サラの選択は確かだ。
だが、母親が前に出てきて低い声で何かを囁く。サラは一瞬目を逸らし、布を胸元に抱きしめる。母の囁きは「黙っていた方がいい」という静かな恐怖だ。それだけでトトの選択は揺らぐ。能力を発動して子どもの恐怖を形にすれば、サラは救われるかもしれない。でも、もしその恐怖が公になることが彼女と家族をさらに危険に晒すなら、別の方法が必要だ。
「今日はやめよう、サラ」