人形王子 第2話「第1章」
朽ちかけた倉庫の鉄扉をかろうじて押し開けると、夕暮れの工房街が薄い紫の光に溶けていた。レオンは息を詰めて外を覗き込み、目の前の光景を素早く確かめた——風に揺れる布看板、油と木の匂い、石畳の隙間に転がる小さな歯車。だが、その脇には貼り出された紙片が、赤い印章を重ねていた。徴発通知。王室技術局の赤い印が、夕方の空よりも冷たく見える。
朽ちかけた倉庫の鉄扉をかろうじて押し開けると、夕暮れの工房街が薄い紫の光に溶けていた。レオンは息を詰めて外を覗き込み、目の前の光景を素早く確かめた——風に揺れる布看板、油と木の匂い、石畳の隙間に転がる小さな歯車。だが、その脇には貼り出された紙片が、赤い印章を重ねていた。徴発通知。王室技術局の赤い印が、夕方の空よりも冷たく見える。
「外には出せないってさ、兄さまが言ったから」
体の弱い姉、マリアは倉庫の奥に腰を下ろしたまま、首のない木製の人形をぎゅっと抱えていた。首がないことでぎこちなく曲がった襟元から、彼女の小さな手が人形の胴体を撫でている。その視線は遠く、時折空を見上げるが、言葉は続かなかった。彼女の髪は薄く光り、疲労が顔に刻まれている。市場で囁かれる「王の道具」扱いの噂は、姉の頬をさらに白くした。
レオンは、その人形を見ているときだけ、心が固まるのを感じた。人形は壊れていて、首に相当する部分が無造作に切り落とされていた。マリアはそれを抱きながら、時々唇をかみ、誰にも言えない何かを飲み込んでいるように見えた。彼女を守るためにここにいる。工房街を、職人たちを守るために何かをしなければならない——それが今、彼のしたいことだ。
「出ていくのは危ないわ、レオン」マリアは囁く。声が弱々しく震えた。
「分かってる。でも放っておけないだろ。あの紙が貼られてから、工房の人手が減ってる。徴発隊が来れば、作ったものは兵器にされる。――君がつくった人形だって、そうなるかもしれない」
彼女は目を伏せ、しばらく言葉を出さなかった。倉庫の隅に置かれた埃っぽい木箱から、彼は小さな工具を取り出してポケットに忍ばせる。それで何ができるかは分からない。けれど、外に出て話を聞くことはできる。今はそれだけで十分だった。
倉庫の外へ出ると、通りは緊張で張り詰めていた。小さな鉄砲職人が店先で武器を数え、金属細工師は朝のように顔を伏せたまま鉄板を打っている。だが、大きな変化は兵の姿だった。彼らは整列して街を巡回している——だが不思議なことに、口元を帛で覆っている者が多い。黒か紺の布を口に巻いた彼らは、命令の笛もなくただ黙々と歩いていた。顔の下で布がぎゅっと締まって、呼吸のたびに薄い布が揺れている。
「ルキウスの部隊だ」遠くで噂が漏れた。王太子ルキウスの名は、市中の隅でささやかれるとき、いつも何かを奪う風が伴った。
レオンは足早に若い職人の店に向かった。店先には壊れた試作人形の胴体が転がっている。片腕は歯車が剥き出しで、目の埋められた窪みには古いロウの跡が残っていた。店主らしき男は額に汗を浮かべ、紙片を握りしめていた。
「すまない、手が離せん」男は顔を上げると、驚きが一瞬で影を落とした。年は三十を少し過ぎたところか。手の指には細かな火花の跡が刻まれ、仕事の厳しさが窺える。「誰だ、お前は?」
「――レオンです。あの。徴発のことを聞いて、話を聞かせてほしくて」彼は呼吸を整え、言葉を選んだ。「君の試作を。ちょっとだけ見せてくれないか?」
職人は疑いの目で倉庫の少年を見た。周囲の人々が耳を傾け、遠ざかる兵士の後ろ姿を眺める。男は唇を噛み、やがて溜息をついた。「たった一つの試作だ。あれがあれば……」言葉を切る。声には誇りと悲しみが混じっていた。「だが、王はいつだってうちの腕を求める。国のために作れと言われれば、作るしかない。金と食と、家族の命に関わる。言いたくないが、言わねばならぬ」
レオンは人形の胴に触れてみた。冷えた金属と、乾いた木の感触。彼は以前の世界で舞台用人形を作っていた。糸の張り方、小さな歯車の組み合わせ、動きの癖は知っている。だが違う。彼の掌が触れると、僅かな振動が指先をかすめ、――それは自分ではない、誰かの声のようなものだった。
「命令じゃ動かない」レオンは呟いた。内心で試したい衝動があった。もしこの試作にただ「立て」とか「進め」と指示すればどうなるか。だが、手に伝わった小さな反応は、命令ではなく願いを求めているように感じられた。
「――なんだって?」職人の眉が寄った。
「あの、君はこの子をどうしたいんだ?」レオンは静かに尋ねた。はっきりとした言葉でなければならない。彼はまだ自分の能力を完全には理解していなかったが、直感が告げていた。これは命令で動く玩具ではない。誰かの『言えなかった願い』を、その機械に吹き込むための鍵がいる。
「……兵器にしたくない」職人は顔を伏せ、小さな声で呟いた。言葉はほとんど風に消えそうだった。だが、それははっきりとした願いだった。レオンはその一言を逃さなかった。
指先に、温度のようなものが流れ込む。絹のような痺れとともに、見えない糸が彼の掌から人形へと伸びるような気配。彼はゆっくりと息を吸い込み、吐いた。力を使うときの決まりごとが、頭をよぎる。願いは所有者のものでなければならない。嘘で固められた願いは機械を死なせる。命令だけでは動かない。――レオンは自分の掌を人形の背に当て、小さな声で確かめるように言った。
「君の願いを、少しだけ貸してくれ。勝手に決めたりしない。言葉をくれたら、僕はその言葉をこの子に託す」
職人は震えた手で頭を掻き、目を閉じた。店の隅で幼い娘がふと顔を出し、母の足元に抱きつく。街の空気が固まる。職人は喉を鳴らし、やっとのことで言葉を吐き出した。「この子には――本来の姿でいてほしい。人を守るための手だと、そう信じたい。戦場で人を殺させるための歯車にはしたくない」
その言葉は弱かったが、迷いはなかった。レオンの胸に突き刺さる感覚が走る。言葉を聞いたとたん、彼の視界に断片の映像が飛び込む。砂煙に咽ぶ村、崩れた屋根の下で泣く女、軍靴に踏みつけられた小さな木箱。職人の記憶の端だ。彼が言葉にしたくなかった場面――それが、彼の願いの奥に沈んでいた。
痛みだった。香りと音と、どうしようもない後悔。レオンは思わず手を握りしめ、目を閉じる。能力を使うたびに、彼は誰かの痛みを覗かされる。初めてそれが明確になった瞬間だった。
掌から流れ出た光が、人形の内部の歯車を一拍遅れて震わせる。きしむ金属の音。人形の目の窪みがわずかに覗き、肩の継ぎ目がぴくりと動いた。店にいた者たちが息を呑む。幼い娘が歓声の代わりにすすり泣きを漏らした。
だが、それは短かった。人形はぎこちなく立ち上がると、向こうの路地へ向かってゆっくりと歩き出した。人々は驚き、しかしすぐに理解した顔になる。人形は木製の体を使って、路地の角に置かれた小さな木箱を押し、道を塞いだ。見張りの目を逸らすための単純な遮蔽物だ。それだけでいい。徴発隊の通行が一瞬遅れれば、何かが変わるかもしれない。
「ありがとう……」職人は目に涙をため、声が震えていた。「本当に……本当に、この子にはそうあってほしかったんだ」
レオンは肩を支え、よろめいた。代償が身体を襲った。彼の頭に、職人のあの日の匂いが残っている。鉄の味が喉の奥にこびりつき、短い眩暈。自分以外の誰かの痛みを読むことは、彼の心を削るようだった。
「すぐに止まる。これが限界だ」レオンは職人に言った。声はかすれていた。「君があの子を本当にそう思い続けられるなら、もっ