不死者の宿屋 第21話「第19章」
朝の光が宿の廊下を縫うように差し込んでいた。カイは薄暗い帳場の前で、手のひらに載せられた小さな鉄の鍵を回して見つめている。錆びついた輪の先に刻まれた六の字は、ほかの鍵とは違う冷たさを放っていた。
朝の光が宿の廊下を縫うように差し込んでいた。カイは薄暗い帳場の前で、手のひらに載せられた小さな鉄の鍵を回して見つめている。錆びついた輪の先に刻まれた六の字は、ほかの鍵とは違う冷たさを放っていた。
「それが本当に六番目の鍵かい?」
ベラの声が背後から切り込んだ。給仕長は朝の支度を片手にしつつ、カイの顔をじっと観察する。髪は白いが瞳に翳りはない。居合いのように間合いを測る人だ。
「そうだ。郊外の骨堂の中から出てきたって、持ってきた老人が言う。戦車の残骸に挟まってたってさ。鍵には血のような模様がついてて、彼は怖がって預けに来た」
カイは鍵を掌で転がす。金属の冷たさが、彼の掌の温度を吸い取るようだった。アニカが欄間から顔を覗かせる。鎧をまとった姿だが、肩の力は抜けていて、手にはまだ金属の匂いが残っている。
「触ってみる?」アニカがつぶやく。問いに含まれるのは驚きでも欲情でもなく、警戒だ。
カイは首を振った。「いや。俺がこの鍵を開けられるかどうか確かめるために来たわけじゃない。だが——使う機会はある。会いたがっている者がいるならな」
ベラの顔が少し険しくなる。「ここ数日の報告だと、境界の南にまた名もない者たちが溜まってる。軍の圧が強くて、町は二分してる。外から来た旅人の話だと、あの鍵は戦場の荷馬車の中で見つかった。持ち主を想定して来た者はいない。あなたはどうするつもり?」
カイは鍵をそっと宿帳の上に置いた。宿帳は開かれたままで、白紙のページが朝の光を反射している。バロがいつものように枕元から現れて、鍵に鼻先を近づけて嗅ぎ、くるりと一回転して吠えもしない。犬の霊はいつもと変わらず、懐かしい匂いには無頓着だ。しかし、その瞳の奥にあるものはカイによく伝わる。バロは宿帳を守る。名が消えることを恐れている。
「お前が持ってる」ベラが言う。彼女は鍵を指差した。「だけど、あなたが開けられないってことを忘れてる人も多い。六番目だろう? 試したの?」
カイは小さく笑って、顔を上げた。「うん。試した。指も入れた。回した。扉の取っ手は重く引っかかった。けど開かなかった。まるで鍵が俺を拒否したみたいに」
アニカの眉が下がる。「物理的に合わなかっただけじゃないの?」
「違う。触れた瞬間に胸に冷たい空洞ができた。——宿主が開けるべきじゃない、って体が言ってる。説明にならないだろうけど、そう感じた」
ベラは鍵を見つめたまま息を吐いた。「では、その鍵は誰のものなんだ。ここに置くのが正しいのか、使わないで眠らせておくべきなのか——」
カイは自分の能力のルールを反芻した。客が鍵を預けた部屋に限り、その者が眠れない理由を夢の風景として一晩だけ具現化する。宿主である自分は夢に入れない。開けられる部屋は同時に五つまで。夢を壊せば、その客の大切な記憶が薄れる。これらはいつも枷だった。今回の鍵は、さらに何かを付け加えているらしかった。
「使ったら危険だ」カイは言った。「夢がただの幻に留まらず、他人の記憶に触れたら取り返しがつかない。今は軍も町もピリピリしてる。何より、これは六番目だ。この鍵に宿る物が、俺たちの想像を超えている可能性が高い」
「じゃあ何もしないの?」アニカが食い下がる。声には苛立ちが混じっている。「手をこまねいてるだけで、外にいる人が不安で死にそうになってる。封鎖された連中だって、灯明祭の日を待つしかない。あなたは灯明祭を守るって言ったじゃないか」
カイは答えられなかった。彼の心の中では、あの朝に見た夢の破片がざわついていた。ある客の夢を壊したとき、彼女は父の顔を思い出せなくなった。その空白の痛みが、夜中に何度も耳元で囁く。誰かに自分から「預ける」ことを強制するのは、優しさの裏返しに見えるが、場合によっては暴力だ。
表情を固めたカイが立ち上がると、バロがゆっくりと宿帳に歩み寄った。霊は前足をかけ、古い牙でページをめくる仕草をした。紙の端に残るかすかな墨の跡に、バロの目が釘付けになる。彼は吠えもせず、だがしっぽを静かに振った。そのしぐさが、カイに言葉にならない決意を与えた。
「使えるかどうかは、触ってみればすぐわかる。だが、その先は違う。俺がつくるんじゃない。やるべきは、鍵を預ける主体を変えることだ」カイは声を絞り出した。「宿主が開けられないなら、宿主以外の誰かが預ければいい。鍵が何のためにあるかを、誰か自ら選んで決める。代わりに力を振るうのではなく、持つ者に能動性を与えるんだ」
アニカが間を置いてから、「客に預けさせるってこと?」と問うた。
「そうだ。客が自分の意志で六番目の鍵を預ける。預けられた部屋の夢は、その客の眠れない理由を具現化する。宿主である俺は見守る側に徹する。だが、肝心なのは同意だ。誰かに押しつけるんじゃない。選ぶのは当人だ」
ベラは唇を噛み、頭を横に振る。「理想的だけど、実際には難しいわ。名も無い者にそんな選択を委ねたとき、彼らは何を選ぶか。過去の傷を開いてしまうかもしれない。記憶を失う危険だってある」
「それでも、強制でないかぎり彼らは自分の痛みを自分で決められる」カイは言った。言葉は震えたが、そこに嘘はなかった。「俺たちは灯明祭を守るための案内役だ。誰かの代わりに決める権利はない」
その時、外から足音がした。廊下に立っていたのは、灰色の外套をまとった男だった。顔には泥と古傷。軍の制服の破片が混じっているが、彼は兵士ではなかった。名もなき者たちに混じっている中で、誰が現れたのかをカイは見抜いた。彼の手の中には、包まれた布の塊がある。静かにこちらに近づくと、布をほどいた。出てきたのは小さな箱だ。箱の蓋を開けると、中にはもう一つの鍵が――だがそれはカイが持っている六番目の鍵とは違った。黒く燻した鉄でできた、単調な形の鍵。古風で、使い古された匂いがした。
「これは……?」ベラが問い返す。
男は、低い声で言った。「俺は——名前は無い。ここに留められた者だ。あの鍵を持っていたのは、昔の誰かだろう。だが、俺たちにも選ぶ権利があるはずだ。君たちがこの宿を守ってくれたから、俺はここにいる。もし、俺が預けることで誰かが救われるなら、俺はその責任を負う」
カイは箱から目を逸らせなかった。彼の内側で何かが絡まる。名を奪われ、宿に留まる者。彼らは長い間自分の存在を問われなかった。宿帳の白紙は、ページの間に挟まれた彼らの断片を示している。バロは低く唸った。アニカは手を鈍く握った。
「君は自分の意志で預けるのか?」カイは静かに問うた。問いにはもちろん同意の確認が含まれている。彼はこの先で何が起きるか、嫌という程知っていた。夢を具現化することは、会話の場を作るが、失敗すれば記憶を削ぐ。宿主がその夢に介入できないことは、宿全体の脆さを示す。しかしこの場で強制することは、かつて彼が罰したかった支配の一形態だ。
男は少し笑って、首を振った。「誰かに強制されるのは嫌だ。だが——自分で決めるのは構わない。俺はここにいることを選んでいる。もし、俺のためにあの鍵が何かを示すのなら、俺はそれを預ける」
カイの胸を一つの波が打った。手が自然と伸び、箱から黒い鍵を持ち上げる。重さが掌に伝わり、鉄の冷た