魔女裁判

魔女裁判 第6話「第5章」

湿った石畳の匂いが鼻をつく。地下牢の扉が開くたび、冷気とともに腐った海藻のような潮の匂いが吹き込んだ。セイは息を詰めて、白い布で口を覆った。今したいことはただ一つだった——この室にいる八人のうち、少なくとも一人でも彼ら自身の言葉で町を救う証言を残すために、矛盾を抽き出す誓糸をつくること。しかし、彼の前で誰かが倒れようとしている。

湿った石畳の匂いが鼻をつく。地下牢の扉が開くたび、冷気とともに腐った海藻のような潮の匂いが吹き込んだ。セイは息を詰めて、白い布で口を覆った。今したいことはただ一つだった——この室にいる八人のうち、少なくとも一人でも彼ら自身の言葉で町を救う証言を残すために、矛盾を抽き出す誓糸をつくること。しかし、彼の前で誰かが倒れようとしている。

「姉さん、早く……」

ノアの声が地下の薄闇にひびいた。彼女の手には小さな袋と、濡れたハンカチがある。薬草採りの手つきは慌ただしいが、目は落ち着いていた。ノアは被告の一人、ルカの姉であり、この町では珍しい素手の医者だった。ノアの顔からは疲れが隠せない。港の疫病で働けず、薬草を採って家計を支える日々が、彼女を尖らせていた。

「症状は——熱が高い、呼吸が浅い、あまり喋れない」

トウマが囁く。彼は判事の資格に落第した身だが、法廷の手続きに詳しく、セイには盾にもなる存在だった。トウマの指先は震えていた。普段なら書記の言葉を記録する立場のはずだが、ここでは彼もまたひとりの人間だ。誰もが目の前の生気を奪われかけている子を見て、言葉を失っている。

「誓糸は使える?」ノアがセイに訊ねる。彼女の瞳には切迫感がある。薬草袋の紐を引っ張る指が早い。

セイは首を振った。声は地下に吸い込まれそうになったが、冷静に言葉を紡いだ。

「強制された証言には使えない。ここは監視が厳しい。唇を噛んで黙っているのが、子どもたちの守り方だ。無理に話させれば——それは『同意して述べた』とは言えない」

彼は能力の原理を説明しようとしなかった。説明は仲間には十分に伝わっている。誓糸は、互いに自ら同意して言葉を交わしたときだけ生まれる。二人の言葉が紡ぎ合う様を透明な細糸のように視覚化し、互いに矛盾する結び目を再生する。だが、強制や誘導による証言は、その糸を腐らせる。さらに糸を切るたびに、セイは前世の記憶を一つ失う。それがこうしてここに立つ代償だった。彼はもう、何を差し出してきたのかを数えることすらためらっていた。

ルカの顔色は鉛のように青い。小さな体を丸め、薄い布団の上で呼吸を繰り返している。彼の唇には塩の結晶のような白い泡がうっすら浮かんだ。隣にいる子らが顔を寄せ、震える手で彼を抱きしめている。牢の奥、二段の石の棚に並んだその光景は、そのまま一家の墓のようにも見えた。

「証言を優先したいのか、それとも命を――」トウマの声が途中で切れた。彼は判事の自己矛盾を自嘲するように笑ったが、その笑いは凍り付いていた。

ノアが前に出る。彼女は落ち着いていたが、その手には血のようににじむ薬草の汁がついていた。袋から乾燥させた葉を取り出して香りを嗅ぐと、港の潮の匂いと混ざった何か、薬草の酸っぱい匂いが鼻を打った。

「眠り草の断片が……あった」ノアが低く言った。誰もがその言葉に吸い寄せられる。噂の「同じ夢」と眠り草の関連を示す手がかりを、ノアは港の岸辺で見つけていた。だが彼女の手にはそれが零れ落ち、今はただの匂いしか残らない。

「本当に眠り草なのか?」セイは問いを口にする。彼の声は、ここにいる誰よりも冷静に響いたが、内心は揺れていた。眠り草が町の井戸に混ざったとしたら——疫病の真因は魔女ではなく薬草の流入である可能性が出てくる。証言の形でそれを示せれば、町全体を救えるかもしれない。しかし、今目の前にあるのは一人の子の命だ。証言を得るための時間が彼から命を奪うかもしれない。

「もし眠り草が原因なら、外にいる人間の証言が必要だ。水が汚された経緯を語る者の言葉と、ここで見聞きした子どもたちの言葉とを繋げれば、矛盾が出るはずだ」トウマが続ける。「だが——今は彼の息が危ない」

ノアの瞳に怒りが浮かんだ。「あなた、そんなに証明したいの? 証明のために人が死ぬのを見たいの?」

セイは言葉を失いかけた。ノアの問いは鞭のように突き刺さる。彼はここに召喚された意味を、誰よりも深く胸に刻んでいた。誓約法廷の書記である彼の役目は真実を記録し、法を正すことだった。だが人の命が先か、真実が先か——そんな二択に突き当たったとき、彼が選ぶものはどちらなのか。

「僕の仕事は、証言を可視化して矛盾を示すことだ。それがなければ、オルドがこの町を支配する論理に亀裂を入れられない。真実を明かせば、未来が変わるかもしれない——でも、君の言う通りだ。ここにいる人の命が——」セイは言葉を切り、地面を見た。

ルカの呼吸がさらに浅くなった。小さな胸が震え、目はうつろだ。彼の隣で、幼い妹が肩を震わせて泣いている。監視の影が行き交う石の廊下の外では、衛兵が輪になって酒を飲んでいる。ここで身体を差し出せば、すぐにでも駆け付けられるのに——その距離は道理よりも制度の壁の方が遠い。

「セイ、聞いて」ノアがぐっと近づき、彼の袖を掴む。指先の力強さが伝わる。「私が助ける。私を中に入れて。警備ごと騙してでもいい。私の薬草で呼吸を楽にする。お願い、証言のために人を見捨てないで」

ノアの目には冷たい光があった。彼女は自分の家庭を守るため、これまで何度も規則を破ってきた。セイはノアの覚悟に胸を締め付けられた。彼女が救えば、証言はさらに遅れる。が、もし彼女が失敗すれば、子どもの証言そのものが消えてしまう。

「警備を突破すれば、強制に見えるおそれがある」トウマが警告する。「説得の余地があるなら、まずは説得を。誓糸は自然な合意からしか生まれない。誘導や脅しは、それを無効にする」

「でも時間がない」ノアは言い返す。「ここで『自然な合意』を待っている間に死ぬのよ、セイ。死んだら、何にもならない」

セイはふっと息を吐いた。頭の中で彼の能力のルールがぐるぐる回る。彼は既に一度、誓糸を作って代償を払った。記憶の一片が消えたとき、彼はただ一つの絵を思い出せなくなった——薄青い花が咲く庭の景色だ。日常の中にあるはずの、それだけがぽっかりと抜け落ちていた。記憶を差し出すたびに、何かが壊れる。だが壊すほどに他人が救えるなら、それは正しいのか——その問いは夜も昼も彼を苛んだ。

「私が入る」セイは静かに言った。言葉に迷いはない。ノアは驚き、トウマは目を見開いた。

「何を言っている?」ノアが訊く。「あなたは書記でしょう? あなたが現場に乗り込むなんて——」

「僕は書記だが、人間でもある」セイは答えた。「それに、ここで僕が見ていないと、後で誰かが言うだろう——『証言の前に救命が優先されたから、証言は操作された』って。そう言われたら、真実はまた闇に飲まれる。だから僕が行く。僕が目撃者になる。だが、協力してくれ、ノア」

ノアはしばらく黙っていた。牢の冷たい空気が二人の間に流れる。やがて彼女は小さく頷く。「いいわ。二人で行くわよ。でも、条件がある」

「条件?」

「救命が最優先。誓糸だの、証言だのを先にしないで。まずはルカの命を。もし彼が安定したら、その時に話を聞く。あなたが見たことは全部記録して。嘘や誘導は一切しないで」

その言葉はセイにとって祝福のようだった。同意と縛りがそこにある。彼は能力の最も重要な条件——「同意」を守れるように動ける。だが同時に、彼は知っていた。ルカが安定し