魔女裁判 第3話「第2章」
書庫の古い窓から港の風が滑り込み、紙束の端を震わせた。セイは机の前に立って、目の前の幾枚もの届出用紙に指先を這わせる。やるべきことは山ほどある。だが今、彼がしたいことはただひとつ──地下牢に閉じられている子どもたちの顔を見ることだった。
書庫の古い窓から港の風が滑り込み、紙束の端を震わせた。セイは机の前に立って、目の前の幾枚もの届出用紙に指先を這わせる。やるべきことは山ほどある。だが今、彼がしたいことはただひとつ──地下牢に閉じられている子どもたちの顔を見ることだった。
「補助書記、三階の控え室に客が来ているという。」見張りの若者が声を潜めて告げる。言い方には警戒と期待が入り混じっていた。セイは紙から目を離し、胸の奥に沈めた決意を確かめるように小さく頷いた。「連れて来てくれ。非公式で構わない。」
だが、そこには障害があった。誓約法廷は儀式と形式によって営まれる場所だ。訪問者がある場合は書面での申請、判事の許可、看守の立ち合いが必要だ。セイは新任の書記として、その手続きを省く権限は持っていない。公式の記録に載らない「聞き取り」は、後で問題にされる。
「規則がある以上、無断では入れられない」と、見張りの青年は言う。彼の視線は真剣だった。セイはその目を見返し、声を低くした。「規則は守る。しかし、人が死にそうな時に手続きのせいで見殺しにしていい理由にはならない。私の許可で鍵を預ける。今は私が責任を負う。」
言葉は薄い賭けだ。責任を負う、と言うのは簡単だが、責任が現実になる瞬間には常に代償がある。だが子どもたちの顔を思い出すと、指の震えが止まる。あの小さな肩が寄せ合っていた光景、互いの言葉を噛み締めるようにして守り合っていた姿──それがセイの腹を決めさせた。
控え室には潮と乾いた草の匂いが混じっていた。扉を開けると、籠を抱えた女が立っていた。藍色の頭巾をかぶり、手は土にまみれている。顔には日焼けと疲労の刻みがありながら、目は鋭く、迷いがない。ノアだ。被告の一人の姉であり、港のはずれで薬草を採る女。
「書記さん。」ノアは素っ気なく挨拶を返した。籠の中には乾かした葉の束と、青銅の小瓶が一つ覗いている。彼女の声は低く、港で鍛えられた音だった。「会わせてくれてありがとう。きょうは、話したいことがある。」
セイは戸の近くに置かれた古い椅子に座らせ、短く事情を説明する。来訪は本来は書面申請だが、子どもたちの容態は悪化している。ノアはそれを黙って聞いた。矛盾ではない承認が、二人の間で静かに交わされる。
「水のことを、聞かせてくれますか。」セイが促した。ノアは籠を膝に落とし、細く息を吐く。「まず、私が誰かを責めているわけじゃない。兄弟のために来た。眠りから起きない──それが、ただの病気とは思えない。ただの呪いなら、私は手を貸すしかない。でもね、港で見たものがあるんだ。」
ノアの手つきは無駄がなく、籠から一握りの葉を取り出した。乾いて粉のようになった緑の欠片が掌の中でこぼれる。匂いは、蜂蜜と潮と、少しだけ甘い花の匂いが混じっていた。セイの鼻は小さな記憶を刺激した。子どもたちが囁いた「海の夢」に結びつく、何かだと直感が跳ねた。
「眠り草だって人は呼んでる。」ノアが言うと、声の奥にかすかな怒りが滲んだ。「海辺に咲く小さな草で、匂いを嗅ぐとやすらかに眠れる。私も、採って薬にしてきた。単純に眠らせるだけの薬としては古くからある。だけど──」彼女は言葉を切る。
セイはその「だけど」に全神経を集中させた。港の生活は薬効と毒薬がすぐ隣り合わせで、薬草採りの少しの不注意や、誰かの悪意が命取りになることもある。ノアは続ける。
「最近、眠り草の匂いが、港の一帯に強く漂っていたんだ。風向きのせいか、満潮の夜にかすかに泡のように浮いていた。私の籠にも混じっていた。最初は気にしなかった。だけど、子どもたちが言う同じ夢のことを聞いてから、嫌な予感がしてね。あなた方が来る前日、子どもたちが私のところに来て──一緒に草を見ていた。眠ったんだ。昼間なのに。」
「彼らは同じ夢を見ていた?」セイは言葉を抑えた。内心では、単独の証言が信用できないことを知っている。ノアは頷く。
「同じ匂い、同じ水の冷たさ。海の底に光る花みたいなものがあって、それを触るとふわりと眠くなる。誰かが私たちの井戸に何かを流した、そんな噂もある。でも、そんなことを誰も証明できない。あなたは知ってるでしょう、証拠がなければ噂は噂のまま。だから、私が来た。私の声が、彼らの声になるならいいと思った。」
セイの胸の奥で何かが締め付けられる。ノアの言葉は無心ではない。彼女は姉として、味方としての行動を求めて来た。正しいか間違っているかは別にして、彼女の行為はまっすぐだ。セイは机の上で指をこすり合わせ、決心を固める。
「非公式で、聞き取りをさせよう。」セイが言うと、ノアの顔が少しだけ緩む。「ただし、私は書記だ。ここに来る記録は、私の胸にしか残らない。それでも構わないか。」
「構わない。」ノアは即答した。「兄弟たちが助かるなら、私の名前なんてどうでもいい。」
控え室の扉が軋んで開き、監房への細い通路の向こうから、子どもたちの吐息がかすかに聞こえてきた。看守は眉を寄せるが、セイは鍵を渡して通路へと足を踏み入れた。階段を下ると、空気が冷たく湿り、鉄と藁と人の匂いが混ざる。地下牢は民家の下に押し込まれたようで、ここにいる人間は皆、外とは違う時間を生きている。
扉を開けると、八人の影が並んでいた。暗がりに寄り添うようにして座り、視線を壁に落としている。年齢は三歳足らずの者から十に近い者までまちまちだった。誰もが薄い毛布を羽織り、顔色は土のように淡い。互いに手を握り合っている者もいる。外にいるときの無邪気さが、ここでは重たい静けさに変わっていた。
ノアが足音を立てずに近づくと、ある少女が顔を上げて小さく叫んだ。言葉にならない歓喜が部屋に広がる。ノアはしゃがみ込み、籠からちぎったパンを差し出す。子どもはそれをかぶりつき、目を細めた。セイはその様子を側で見守った。子どもたちは最初、誰が誰を守るのかを確かめるように互いの肩を叩く。言葉がない分、身振りが意思を伝えていた。
「怖かった?」ノアが囁く。子どもは小さく頷く。ノアはそれを受け止めるように背中をさすった。彼女の手は荒れているが、確かにあたたかい。
セイは聞き取りを始めた。非公式だということを強調するために、彼は筆を使わず、一枚の白紙にも何も書かなかった。彼らの言葉は、その場にいる者だけのものとして収まる。強制ではない、という形を守ることが最も重要だ。誓約法廷の力は、他者の意思をねじ曲げるものではないという自分の信条がここで試される。
一人が、低い声で話し始めた。「海の夢を見た。深いところで光る花があって、触ると胸の奥がふわっとして──」
その言葉は他の者の顔に波紋を広げる。別の子が続く。「私も。夢の中で兄さんが呼んでた。水は冷たくて、でも甘かった。」
言葉は断片的で、繋がりがないように見える。だが繰り返される共通のイメージが、何かを示している。ノアはじっと聞き、時折頷いた。彼女が差し出した小瓶からは、薄い香りが漂っていた。子どもたちの目がそれに留まる。
「それは薬じゃないの?」一人の少年が尋ねる。ノアが答える。「薬だ。眠らせる薬。だけど、いつもはこうはならない。軽い眠りで、朝には醒める。だけど最近は、醒めない人がいる。」ノアの声が震えたが