雲紡ぎの気球整備士

雲紡ぎの気球整備士 第3話「第2章」

監視船が去ってから、一日の半分が過ぎた頃、役所の使い走りが小さな金属板を持ってやって来た。それは評議会の印章が焼き付けられた招集状で、イオの家の住所と、父の名まで丁寧に書かれていた。父は無言でそれを受け取り、わずかに唇を噛んで箱の中の油を拭った。母の顔の残像を探したい衝動が、イオの胸の奥で生き物のようにもぞもぞと動いたが、彼はすぐにそれを押し殺した。仕事が先だ。

監視船が去ってから、一日の半分が過ぎた頃、役所の使い走りが小さな金属板を持ってやって来た。それは評議会の印章が焼き付けられた招集状で、イオの家の住所と、父の名まで丁寧に書かれていた。父は無言でそれを受け取り、わずかに唇を噛んで箱の中の油を拭った。母の顔の残像を探したい衝動が、イオの胸の奥で生き物のようにもぞもぞと動いたが、彼はすぐにそれを押し殺した。仕事が先だ。

「面倒事は俺に任せろ」バロが背中を叩く。リュネはいつものように言葉少なだが、笛を懐に抱いている指がわずかに震えていた。三人は父の見送りを受け、評議会の監査所へ向かった。評議会の施設は白雲糸の図案で飾られ、来客を威圧するほどに整然としている。入り口で守衛に名を告げると、長い廊下の奥へ通された。

中庭に面した応接室で、ゼグはすでに待っていた。外套の縁からは評議会の紋章が覗き、彼の机の上には幾つかの文書と、薄く磨かれた金属の計器が並べられている。あの瞬間の冷たい視線は変わらず、だが今回は命令ではなく「契約書」が差し出された。皮の表紙をめくると、印刷ではなく丁寧な筆跡で条項が書かれている。イオは読み進めるうちに、心臓が固くなるのを感じた。

「これが我らの条件だ」ゼグは淡々と説明した。「国の線を守る者には保証がある。補給の優先、護衛の付与、家畜の管理支援。だが代償もある。おまえの家族は我らの監督下に置く。移動は原則として制限され、重要物資の受け渡しには評議会の許可が必要だ。違反すれば制裁を受ける」

言葉は冷たいが、内容は明瞭だった。守られるならば自由は減る。だがそれだけを取り決めにしているわけではない。ゼグは文書の中から一枚を取り出し、指で示した。

「さらに重要な点が一つ。継ぎ目読みを境雲網の節点へ適用する場合、その作用は局所にとどまらず網に波及する。おまえが一箇所を閉じた瞬間、そこに掛かっていた応力は他へ流れる。網の設計上、負荷は連鎖し、遠隔の節点へ影響を及ぼすことがある。これを理解する者だけを、我らは最前線に置く」

イオは工具箱を抱きしめた。父からもらった金属板の冷たさが、現実を引き締める。継ぎ目読みが同一船体で局所的にしか見えない――その制約は知っている。だがゼグの言う「網に波及する」という言葉は、これまで彼が直してきたものよりもはるかに大きな仕組みを想像させた。自分の手が、見知らぬ遠方の船の帆や、隣の牧群の生活へと届くのだろうか。

「では、修理の代償は?」イオは問いを口にした。自分でも驚くほど冷静な声だった。昨夜、膜を直すたびにどこかが紫に脆くなった視界が蘇る。だがそれだけではない。前世の記憶が一つ、また一つと薄れていく感覚が胸に残っていた。

ゼグは書類をめくり、別の小さな欄を指した。「修理に伴う負荷量に応じて、記録に基づいた代償を支払う。ここに署名し、評議会の監視下で作業を行う者は、作業ごとに負荷を計測され、その値に応じた前世記憶の抹消を行う。これは我らの古い技術だ。国の安定のため、誰かの過去は供物にされてきた。おまえが使う力が網に触れるたび、それは数値化される。負荷が大きければ、大きな断片が失われる」

一瞬、室内の空気が止まった。失われる「記憶」を公文書が示す時、イオは初めてそれが抽象的な代償ではなく、具体的で計量可能なものだと知る。ゼグの言い方には淡々とした合理性があり、残酷さは計算と数値の中に溶けていた。イオは手元の糸の重みを確かめた。赤い糸は依然として工具箱に収まり、誰のものかを問うように微かに熱を帯びているように感じられた。

「具体的には?」リュネが低く問うた。彼女はいつもの沈黙を破って声を出した。笛を握る手が固い。零れ落ちそうな音を押しとどめるような力が、その声にこもっていた。

ゼグは表を差し出す。そこには幾つかの負荷等級と、それに対応する「記憶の単位」が記されている。小さな応急修理なら微細な断片、中心節点の再配置や網への直接的介入は大きな断片――顔の一部、氏名の断片、出来事の連なり。イオの目は表の「大」の行で止まった。そこには「重要なる記憶(個人識別を構成するもの)」と書いてある。

父の顔がふっと浮かび、その輪郭に触れようとする手が空を掴む。最後に聞いた母の語尾の音が、かすかに消えたのをイオは覚えている。だがその消失が契約の元に定量化されると知ると、怒りや恐怖よりも不思議な沈黙が胸を支配した。失うものが数として示されると、人間は逆に選びやすくなるらしい。

「お前は前世の者だ。評議会はその事実を隠蔽してはいない。だが前世の記憶はこの国の古い楔にもなる。供物は過去を軽くし、境雲の安定を維持してきた。我らはその伝統を断つつもりはないが、透明性を持って行う」ゼグの声には、どこか救済者の理屈が混ざっていた。「おまえは知識を持つ。ならばその知識を国のために使う義務がある。代わりに我らはおまえの家族を守る」

「守るために奪うのか」バロの言葉は熱を帯びていた。彼は怒りをはらわすように机を叩き、無言のままではいられなかった。だがゼグは肩をすくめる。

「世の中の多くの秩序は、そうして成り立っている。我は冷酷に見えるかもしれぬが、我が師もまた供物を差し出してこの網を織った。思い出すがいい、『空は、穴を塞いだ者のものだ』と。塞ぐ者は責任を負う。責任には代償がある」

イオは答えを探した。胸の中で透としての自分が、かすかに蠢く。前世で規則を選んだこと、その結果人を救えなかったこと。今、同じ秩序に従えば、家族は守られ、目の前の人々は救われるかもしれない。だがその代価として、また記憶を食われる。母の顔を一度失っただけでも胸が空になったのに、さらに意図的に過去を削られることに、彼は耐えられるのか。

「どうして私たちを守る必要があるんだって言ってるんだ」父が初めて口を開いた。いつもは黙々と手を動かす父の声は低かったが、確かな響きがあった。「子供の未来を秩序の担保にするのか。お前はまだ十五だ。ナギという家の者だぞ」

ゼグは父の言葉を遮らなかった。代わりに彼はその眼差しを柔らかくしたように見えた。「我は家族を捨てろとは言わぬ。家族の監督下に置くとは、彼らの安全を直接的に保証するということだ。自由は制限されるだろう。しかし、灰雨の中で孤立するよりは救われる。おまえは選べる。だが選ぶなら、我らはそれを記録として残す」

決断の時はすぐに来た。条項は明確で、選択は単純に見える。守るか、守られないか。イオは机の上に差し出されたペンを見つめた。インクは乾きかけているように見える。彼の指は震えなかった。震えているのは胸の奥の何か、思い出の端のようなものだった。

「署名するよ」イオは低く言った。言葉は小さかったが、揺らぎはなかった。彼はナギの名で署名し、続けて自分の旧名や過去について一切の開示を拒む特記事項にはサインしなかった。前世の名が消えてゆくのを待つのか、それとも自ら差し出すのか。彼は自分で選ぶことに意味があると考えた。

ペンが紙に触れた瞬間、ゼグは静かに頷いた。「よかろう。初期の作業は軽微な負荷で始めよう。我らの計測器で負荷を記録し、代償は段階的に行う。おまえが気付かぬうちに全てを失うことはない。だが忘れることは必ず起こ