野原の工房の木工職人はほどよく働く

野原の工房の木工職人はほどよく働く 第14話「第一部幕間」

朝の光が草いきれを透かし、工房のガラス戸に斜めに刺していた。小野屋朔は戸口に立ち、外套の襟を小さく直す。昨夜の長い夜が指先に残っている。掌の皮がひりつき、小さな切り傷の縁にはまだ木の粉が詰まっていた。風が吹くたびに、野原の先から重機の低い唸りが届く。距離感が、今はいつもと違って感じられた。

朝の光が草いきれを透かし、工房のガラス戸に斜めに刺していた。小野屋朔は戸口に立ち、外套の襟を小さく直す。昨夜の長い夜が指先に残っている。掌の皮がひりつき、小さな切り傷の縁にはまだ木の粉が詰まっていた。風が吹くたびに、野原の先から重機の低い唸りが届く。距離感が、今はいつもと違って感じられた。

朔は深く息を吐くと、用心深く工房に足を踏み入れた。床はいつも通りに木屑でざらつき、鉋台の上に磨き終えたばかりの椅子の座面が並んでいる。表面を撫でると、かすかに温かさが残る。手が勝手に動き、砥石に鉋の刃を当てる。刃をこするリズム、刃先に伝わる抵抗、細い金属の鳴り。手入れの所作は、朔にとって祈りに近い。だが、昨夜の代償が体に残っていて、いつもの静けさがどこかぎこちない。

「おはよう、朔さん」

声は裏戸の方からだった。常田幸男が大きな包みを抱えて現れる。包みの端からは、まだ温かい煎餅の香りが立ち上っていた。常田は機嫌よく笑うが、目の端が少し腫れている。朔はその細部を見逃さない。

「眠れてるか、幸男さん」

「いや、あんまり。昨夜は説明会のことでね、考え事が止まらなくて。けどこの煎餅、みんなに食べさせてやりたくてさ」常田は包みを差し出した。朔は礼をして、手を伸ばす。掌が触れた瞬間、刃の手入れのときと同じく、木屑とも、粉とも違う淡い光が指先の周りでチリチリと揺れた。視界の端に、常田の疲れの像が一瞬浮かぶ――背中を丸めた小さな影が、重たい荷物を肩にかけて歩く。像はすぐに消え、常田は驚いた顔で朔を見る。

「……何だそれ?」

朔は濁らせた笑みを返す。「ちょっと、手入れをしただけだよ。ほどよく、ってことさ」

常田は煎餅をかじりながら、息を吐いた。「ほどよくか。いい言葉だ。だがな、若い連中は『雇用』と聞くと目が輝く。あの白いスーツの人間の話を聞くとな、仕事と効率の話ばかりして、休みとかそういうのが数字に入ってないんだ。どう説明してやればいいかわからなくてな」

朔は黙って刃砥ぎを続ける。削り屑の薄い帯が鉋の前でふわりと舞い、夕べの眠気のように床に落ちる。刃を砥石から離すと、痛みが掌に戻る。手の内側が冷たく、脈が少し速い。昨夜、自分がしたことの代償は消えていない。

「蓮見さんはどうしてる、ミチルは」朔が問うと、常田の顔に柔らかさが戻るが、すぐに曇る。

「ミチルは……うちの娘と、あんまり変わらん。興味があるって言ってた。けど、あの説明…見せられた図面の中に、職人の仕事が『時間当たりの生産効率』で評価される図があってな。見ただけでぞっとした。だが彼らは、若者に手取り足取り教えると言う。選ぶのは個人の自由だって。問題はね、その条件が腑に落ちるように整えられてるってことだ」

常田の言葉は、工房の木の匂いと混じり、朔の胸に鈍い音を打った。外の風が戸を揺らし、野原の草がさざめく。そこへ自転車のベルが一つ、遠慮がちに聞こえた。

「行きますよ」と小さな声。蓮見ミチルが、泥のついた自転車のまま工房前に立っていた。肩に掛けた袋の端から、手帳の角が覗く。彼女の目は昨夜よりも決心を帯びているが、どこか揺れていた。

「おはよう、ミチル」朔は立ち上がり、足音を木の床に落とす。彼女が近づくと、朔は無意識に手の甲を触った。指先の震えが、まだ止まらない。

「朔さん、聞きましたか。説明会の続きを、町の集会所でまたやるって。あの人たち、地域の生産性を上げるって言ってる。うちのおやじも、最初は反対だったけど、——」ミチルの声は詰まる。「職人に技術を教えるって約束してくれたんです。若者が学べるって。だけど、朔さん、あなたの言う『ほどよく』って、どうやって守ればいいのか分からなくなってきて」

朔は椅子を一つ引き、ミチルを座らせた。工房の中は朝の光で満ちているが、二人の影は長い。ミチルは手帳を開き、そこに挟まれた紙切れを取り出す。説明会用の案内だった。文字の下に、小さな地図。地図の中に、野原を含むいくつかの区画が網目のように線で分けられている。

「これを見て。『研修プログラムと連携した雇用創出』ってある。学ぶと言っても、時間管理や生産目標が基準になるって。休みや手間は評価に入らない、って書いてある」ミチルは言葉をそっと押し出した。声には怒りも悲しみも混ざっている。

朔は紙に目を落とすわけではなかった。彼女の見せ方で十分に想像がついた。手入れの意味を測るものさしを外部の基準に委ねてしまえば、その瞬間から「ほどよく」は数字の隙間に押し込められてしまう。彼はそう考えたが、それを大声で叫べる状況でもない。

「手伝いすぎるな」と、彼自身に向けた言葉が口をついた。昨夜の代償は生々しい。朔はいつもどうりの所作で、ミチルの手に触れた。布で拭っていない、彼女の指先のはきはきした温度がそのまま伝わる。彼がゆっくりとミチルの手の平を取って、掌の肉付けをじっと見る。意図は手入れだ。呼吸を合わせ、鱗(うろこ)のように固くなった角質をやすりで軽く擦る。木を扱うときのリズムで行う。

そのときだ。ミチルの胸元から、薄い疲れの像がふわりと立ち上った。小さな家族の影、台所の狭さ、夜遅くまで働く父の背中。像は、剥がれたように鮮やかに浮かんだ。朔はそれを一瞬見て、言葉が出る。

「——これを見てしまえば、どうするかは自分で決められる。選べるなら、決めてほしい」

ミチルの目が潤んだ。だが、表情はすぐに引き締まり、ふっと笑ったように見せた。「朔さんは、いつも人に答えを見せてくれるんですね。だけど、答えが見えても、心は揺れる。研修で教える技術で生活が変わるって言われたら、それだけで飛びつく人もいる。うち…うちのおやじは失業が怖いんだって。あの人は今、すごく迷ってる」

朔は手を止めた。やすりを置くと、掌に残る温度が冷えていく。先に来ていた重苦しさが再び胸を締め付けた。彼はミチルの手から目を外し、工房の外を見る。野原の向こうで、遠く白い車が一台、細い道を走り抜けた。車は、説明会のスタッフを乗せたのだろう。中にいる誰かが地図を折り畳んでいる姿が、想像で見えた。

「俺ができるのは、やりすぎないことだけだ」と朔は低く言った。「手入れして、見えるようにする。だけど、それでどうするかは、その人自身が決める。手を出しすぎれば、力は消える。代償をまた払うことになる。……眠れない夜をもう一度は欲しくない」

ミチルは頷く。彼女は短く息を吐いて、気を取り直したように立ち上がる。

「私は明日の説明会に行きます。ちゃんと話を聞いてみる。あの人たちがどんな条件を出してくるか、直接見てきます。——でも、朔さん、もしそこに『効率』ばかり書いてあったら、どうしたらいいか分からない。あなたは……どうするんですか?」

朔は一瞬、答えをためらった。手の指先が小さく震え、それが掌の内側へと波及した。身体の中で昨夜の痛みがさざめく。彼は立ち上がり、鞄から小さな木の板を取り出した。角が擦れて白くなっている。板を掌に当て、いつものように表面を丁寧にこする。木目が上を向き、微かな光を帯びる。

「行ったら、帰ってきて報告してくれ。聞いてきたことを。自分の言葉で」

ミチルはその言葉に救われた顔をした。だが、同時に何か