肖像画の悪役令息は恋愛フラグを無視する

肖像画の悪役令息は恋愛フラグを無視する 第29話「巻末特別章」

朝の光が回廊の金縁を薄く揺らし、肖像たちの瞳に淡い縞を作っていた。人々は長椅子に詰めかけ、ざわめきは低い波のように続く。香の匂いと古絵具の粉の匂いが混じり、空気は重かった。

朝の光が回廊の金縁を薄く揺らし、肖像たちの瞳に淡い縞を作っていた。人々は長椅子に詰めかけ、ざわめきは低い波のように続く。香の匂いと古絵具の粉の匂いが混じり、空気は重かった。

「これ以上、誰かが一方的に決められるのは――」とアリエが低く言った。彼女の手は袖口でぎゅっと握られている。向かいにはトーレがいて、表紙を閉じた写本を膝に抱えていた。表情は固いが、指先は震えている。

壇の下で、薄絹に包まれた人物が座らされていた。目の周りには疲労の影。若い母親だ。彼女の肖像は二階の壁の列にあって、元々は婚姻の筋書きを示すための添え札のように使われていた。今はその札が理由で、郡司の息子に「割当て」られることになっている。

「合意が必要だ、コル。全員の合意がなければ、読み替えは効力を持たない」とトーレが繰り返す。彼はいつも通り正確に、しかし声は怯えていた。公の場で合意を得ることの難しさは、ここ数ヶ月、彼らが嫌というほど知っている。

コルは壇に歩み寄った。表情は静かだが、手のひらは汗ばんでいる。回廊にかかる肖像の瞳が彼を見下ろすように揺れた。

「私が――」と彼は言葉を切った。「私にできることは、矛盾を指し示して読みを差し替えることだけだ。だが、ルールは明確だ。全員の合意。ただし」――彼は目をぐっと閉じ、まぶたの裏に不意に浮かぶ幾つかの場面を押し込める――「強引に誰かの運命を決めれば、その代償として、私自身の選択肢を一つ失う。これは――試したときにわかった。痛いし、取り戻せない」

母親の手が微かに震えた。場内が一瞬、息を呑む。

「あなたはそれでも――?」トーレの声が震えた。「全員の合意が取れていない」

「彼女は明日の朝には、戸から連れ出される」アリエが言った。目には憂いの火が灯る。「時間がないのよ」

コルは皺だらけの写本を棚から取り出し、膝の上に置いた。紙の手触りはざらつき、蝋が冷めた香りがする。彼は深く息を吸い、回廊にいる全員の顔をひとつずつ見た。老いた執事、赤ん坊を抱いた若い女、薄刃のような目をした県吏、そして幾人かの無関係な通行人。誰もがその決定に関与しているとは言えない。だが、ここにいる者たちは少なくとも傍観者ではない。

「合意を得る時間がない。だが――」コルの手が写本のページに触れた。「私が単独で読み替える。彼女を今、ここで保護する」

「コル!」アリエが飛び上がりそうになる。彼女の声にかすかな怒りと恐怖が混じる。「やめて。約束を曲げるって――」

彼は首を振らなかった。声は静かだが、決意があった。「わかっている。だが、この場で私が強引に決めるなら、それが何を奪うか、私が引き受ける。あなたたちの判断は、後でこの場で正当化してほしい。だが今は――一人を守る」

触れた瞬間、写本の墨が震え、文字が微かに波打った。回廊の空気が音を吸い込み、遠くの鐘がひとつ鳴ったような気がした。両手の指先が冷たくなり、金縁の肖像たちの瞳が一斉に光を取り戻した。コルは読み上げた。言葉は古い言い回しを借り、だが語気は新しかった。

「位階録の第七条、婚姻割当の条項は、当該当事者の生存と尊厳を脅かす場合、暫定的に差し替えられる。差し替えは、被差替え者の最善の利益を最優先とし、社会的最低限の安全を保障する条件の下でのみ有効とする」

言葉が空気を切ると、床下からかすかな振動が伝わった。胸の奥を冷たい何かが通り抜ける。視界の隅で、幾つかの小さな肖像板が並ぶ棚の一つが、金属の軋む音を上げて崩れる。轟音ではない。もっと内側の崩壊だ。コルの内側で、選択の一つが剝がれ落ちる瞬間のように感じた。

「やったのか?」トーレが囁いた。

「やった」コルは答えた。声は遠かった。彼は自分の胸が妙に軽く、同時に空虚になったのを感じた。どこかで、幼い自分が里の草原で燃える夕日を背に走る映像があった。畦道を抜け、荷を下ろし、誰にも縛られずに生きる自分。そこに手を伸ばした瞬間、冷たい刃が映像の縁を切り、部分が消えた。指先には、かつては触れられた未来の温度を示す痕跡が残るのみだ。

「代償か…」アリエの声は小さな息に溶けた。「どう感じる?」

コルはゆっくりと指の先を見た。掌の内に、小さな黒い点が浮いているように見えた。そこは以前にはなかった。まるで、彼の可能な未来のうちの一つが、写真の欠片のように焼き付けられて消えていった跡のようだ。痛みはなかった。だが確かに、何かが取り去られた。

母親の肩から強ばりが薄れ、目が水で光った。傍らにいた郡司の代官が眉を寄せ、手を離した。場内のざわめきが一拍大きく波打ち、そして沈んだ。彼女が立ち上がり、震える足取りで壇を下りる。前に出たのは、行為から解放された人間そのものだった。

「これで終わりではない」コルは声を強めた。「私がこの一件を今救ったのは事実だ。だが代償を払った者がいる。私が一つの選択肢を失ったという事実は、皆が共有すべきだ。ここにいる誰もが同意なくして決められるべきではない」

小さな沈黙が広がり、次いで誰かが拍手をした。最初の拍手はぎこちなかった。次第にそれは人々の指の間で火花のように広がり、やがて回廊を満たした。トーレの目に光が戻り、アリエの肩の力もぬけたが、二人の目には混ざった表情があった――安堵と、怒りと、そして新たな責任。

「おまえは選択肢を一つ失ったのだ」アリエが言った。彼女の声はもう叱責ではない。「それをどうする? 放棄として看過するのか、あるいは――」

「代わりに、皆でそれを選ぶ道を作るべきだ」トーレが割って入った。彼は写本を抱え直すと、ページを開いた。墨の文字が朝日にきらめく。「ここに、新しい手続きの案がある。個々の肖像を持ち主が管理し、取り下ろしと再注文の権利を与える。だが決定は常に共同で――つまり、誰か一人が独断で行使しても、その都度、同様の代償を払うものとする」

コルはその案を聞き、口元が少し緩んだ。誰かが独断をすると代償がある――それは彼が身をもって示した現実だ。けれどトーレの案は、同時にこの代償を透明にする仕組みでもあった。代償があるならば、それをみんなで管理するべきだと彼は思った。

そこへ、小さな声が割って入った。壇の端にいた、まだ幼い顔の女性が立ち上がり、真っ白な小さな板を取り出した。それは未だ描かれていない、肌触りの良い新しい肖像板だ。彼女の手は震えていたが、瞳は強かった。

「私、自分で描きたいんです」彼女が言った。声は小さいが、誰の耳にも届いた。「誰かに決められたくない。誰かの都合のために私の顔を描かれるのはもう嫌です」

周囲が一斉に彼女を見る。誰もがその一言の重みを理解した。作られてきた枠組みの中で生きてきた多くが、初めてその枠の外側を視線で追ったように見える。

コルは、壊れかけた未来の痕を掌で確かめながら、彼女に近づいた。白い板に指先をふれると、そこは従来の肖像の板よりもやさしく、吸い込むような温度がした。彼女は板を差し出し、そして顔を上げてコルを見た。

「私に、描く許可をください。私たち全員で、それを描くことを決める会を開きたいんです。どうか」

コルの心の中で、消えた未来と新しく開こうとしている道が同時に揺れた。生まれてきた選択肢の一