肖像画の悪役令息は恋愛フラグを無視する

肖像画の悪役令息は恋愛フラグを無視する 第28話「終章」

朝の光が長い回廊の窓から斜めに差し込み、埃の粒が空気の中で小さく踊っている。重厚な額縁に縁取られた肖像群は、いつものようにみなこちらを見据えていた——それは不気味さではなく、例えば古い時計が刻む無言の時のような確かさを帯びている。絵具の匂いと蝋燭の煤、木製の床板が踏みしだかれるたびに鳴る低いきしみ。人々の呼吸が一つの波となって回廊を満たしていた。

朝の光が長い回廊の窓から斜めに差し込み、埃の粒が空気の中で小さく踊っている。重厚な額縁に縁取られた肖像群は、いつものようにみなこちらを見据えていた——それは不気味さではなく、例えば古い時計が刻む無言の時のような確かさを帯びている。絵具の匂いと蝋燭の煤、木製の床板が踏みしだかれるたびに鳴る低いきしみ。人々の呼吸が一つの波となって回廊を満たしていた。

コルは祭壇のように置かれた古い写本箱の前に立っていた。彼の指先は文書の縁を撫で、羊皮紙のひんやりとした感触を確かめる。箱の蓋には、何世代にもわたる解釈の痕跡が押し込まれている。回りには各地区の代表、旧断罪の当事者、幼い頃に「保護」を受けた者たち、そして最も安定した顔を持つ枢密宰相フェルニクスが並んでいた。フェルニクスの目は、今日も冷えている。

「ここにいる全員の同意をもって、解釈を改める」——コルの声は静かだが、回廊の石壁に反響した。彼の言葉は、この重い空気の重心をほんの少しだけずらす。

「同意、とは具体的にどういう意味だ?」フェルニクスが口を開く。年輪のような皺が額に刻まれている。「お前の、──特異な術式で紙を弄るつもりか。過去を勝手に書き換える気ならば、我々は黙っていない」

コルは目を伏せずに答えた。彼はこの場で、能力の条件と代償を最初から隠すつもりはなかった。隠せばまた同じ欺瞞が生まれる。

「私の方法は、文書の矛盾を露わにし、関係者全員の合意を以て『読み替え』を結ぶものです。ただし、それは合意がある時にだけ、有効になります。誰か一人でも『同意しない』と宣言した場合、法的には元のままです。私がそれを一方的に押し付けるなら、その代償として自分の選択肢を一つ失います。私がそれを払うことは――できれば避けたい。しかし、今日、この場で必要なら私は払います」

話し終えると、回廊の空気が一瞬静止したように思えた。ミアが小さな声で息を吐くのが聞こえる。彼女は何度も、コルに「選ばれた守られる者」として生きるよう命じられてきた。だが今、彼女の顔には恐れだけでなく決意が混じっていた。

「コル、私たちの合意を確かめさせて」セラが前に出る。かつて断罪されかけた姓を持つ彼女は、声の端にかすかな震えがあるが、顔は真っ直ぐだ。「私たち一人一人が、ここで自分の言葉を持つべきだ」

代表の一人、下町から上がってきたリオは腕組みをしていた。呼吸が深い。彼は誰にも命令されない。リオが声を上げる。

「私は賛成する。だけど、賛成ってのは他人が決めるものじゃない。ここにいる者全員が、自分の言葉で『いい』か『いやだ』かを言うんだ。誰かが黙っていても、決めたことにはなりはしない」

それを受けて、回廊にいた人々が次々に名を呼ばれ、意思を口にした。多くが「賛成」を選び、いくつかは条件を付した。だが、最後の一人として名前が呼ばれたとき、床にいる男の足が固まった。フェルニクスの右腕を務める老法務官、グラントだった。彼の手は震えている。目には何か固いものがある。

「私は賛成しない」グラントはそう言った。声は低く、しかし明確だった。「この国は、秩序を守るために掟を刻んできた。私が若かった頃に受け継いだ規則は、混乱を防ぐためにある」

その一言で、暫しの静寂が生じる。賛成の席と反対の席の空気が一つの綱を張るように引かれる。合意はこれで成立しない。書面上、文言は変えられない。人々の期待が、宙に浮く。

セラはグラントの前にひざまずきもしなかった。ただ目を合わせて言った。「規則は守るためにある。でも規則が誰かの人生を奪うために使われるなら、それは規則のための人間ではない。あなたの若い頃の苦労は、私たちも知っている。だからこそ、あなたの言葉が重要なんだ、グラント」

老法務官の目が一瞬揺れる。だが彼は首を振る。「私の良心が許さぬ。お前たちの言葉は美しい。だが、過去を変えることで生じる混乱を、どれほどの者が負担するか、忘れられてはならぬ」

そのとき、コルは決断をした。彼がここに立っている理由は、最終的に他者に選択の力を返すためだ。だからといって、選択を後退させることは選べない。だが、法的に文言を変えるには、今日、ここの「改訂」を誰かが最後に刻む必要がある。多数の合意だけでは足りない。ある種の「発起人」が必要なのだ。コルはその役割を引き受けるつもりだったが、それは同時に能力の代償を伴う。彼は喉を鳴らして言った。

「私は、これを引き受けます。私が最後にこの写本に署名し、解釈を刻みます。もしそれが一方的な解釈になるのなら、その代価を私が払います。私の選択肢の一つを、ここに差し出します――私の家名とその権利、継承権の放棄です」

声は平静だった。だが周囲で波紋が広がる。ミアの手が震える。リオが前に出てコルの肩を掴む。フェルニクスの顔がほんの一瞬、何か複雑な感情で揺れた。

「馬鹿なことを」フェルニクスが低く言う。「お前はそれで、幾度も得た力を失う。貴族としての地位――それはお前だけの術式の源泉だったろう? 失えば、ただの一市民になるではないか」

「それでもいい」コルは答えた。「私が失うものと、ここにいる誰かに奪われ続ける生涯と、比べることはできません」

コルは古い銀の印章を鞄から取り出した。家に伝わる紋章が刻まれている。彼はその印章を写本の縁に押しつける前に、手の甲にある小さな痕跡を見た。過去、彼が自分の運命を一人で決めたときにできた、かすかな瘢痕。決して消えない約束のようなものだ。

印章を押した瞬間、空気が固まった。紙の上のインクがしゅうっと走り、その線が濡れたように光る。コルの胸がひゅうと収縮する。眼前の写本箱から、淡い光が滲んだ。だが同時に、彼の左手の指先がしびれ始めた。体の一部が冷たくなる感覚。誰も言葉に出さなかったが、それが彼の「選択肢」が抜かれた瞬間だと、皆が理解した。

「コル」ミアが嗚咽を押さえきれずに近づく。「何をしたの……」

コルは笑った。小さく、悲しくない笑いだ。手の震えを抑えつつ、彼は言った。「これで、文書は変わった。だが重要なのは、紙の上だけの変化ではない。これからだ。ここにいる全員が、同じように名前を刻めるようにする。肖像は人を断罪するためではなく、選んだ者たちの意思を記録するために使われる」

フェルニクスは口を固く結んだ。言葉は出なかった。だが彼の目は、かつてないほど長い時間、肖像の列を追っていた。額縁の中の人物たちの表情が、コルの目にはほんの少しだけ緩んで見えた。誰かが長年の重荷を降ろすような、微かな変化。

その時、セラが額縁の一つに歩み寄り、古い肖像の垂れ布を外した。布の裏には、長らく隠されていた細い巻子が挟まれていた。セラはそれを取り出し、皆に見せる。巻子には古い文字でこう記されていた。『市民と貴族、双方の合意があれば、回廊は歴史の繕いではなく、未来の宣言の場となるべし』──だが、最後の行は墨で塗り潰されていた。誰かが、かつてこの言葉を潰したのだ。

リオが拳を握る。「最初からこうするつもりだった者がいた。でも途中で変えられたんだな」

「そうだろう」セラがつぶやいた。「我々が再び選ぶことを奪ったのは、いつも制度の『正しさ』を盾にした連中だ」