騎士団の悪役令息は失踪した王女を探す 第25話「第23章」
砂が夕陽に金色の薄膜を張った荒野。馬の蹄が奏でる低いリズムは、遠征の鼓動だった。ユリオは鞍の上で濡れた紙片を指先で押さえ、風にそよぐ地図の端を睨んでいた。指先にはまだ、先ほどの交渉の痕が残る。地図のひび割れた文字列は、古い制度文書――通行許可と騎士団の任務規定が混じりあって作る矛盾を示していた。矛盾の一つ一つが、王女を追うための小さな入り口になる。
砂が夕陽に金色の薄膜を張った荒野。馬の蹄が奏でる低いリズムは、遠征の鼓動だった。ユリオは鞍の上で濡れた紙片を指先で押さえ、風にそよぐ地図の端を睨んでいた。指先にはまだ、先ほどの交渉の痕が残る。地図のひび割れた文字列は、古い制度文書――通行許可と騎士団の任務規定が混じりあって作る矛盾を示していた。矛盾の一つ一つが、王女を追うための小さな入り口になる。
「ここから先、補給線はない」カイルが隣で告げる。彼の声は砂塵でかすれていたが、瞳は鋭い。セラフィナは地図の一部を追い、細い指で点を示す。夕陽は彼らの影を不自然に伸ばし、三人の影は一つの影にまとまるように見えた。
だが、前方に見張りの赤い羽根が揺れた。小さな並木の向こうに、十数の装甲をまとった巡察隊が横一列に立っている。先頭の男は黒い革手袋に金の紋章を輝かせ、馬の首元に手を当ててこちらを凝視していた。紋章の輪郭が、ユリオが手にしていた古文書の角印と同じであることに、彼は一瞬で気づいた。
「止まれ。これより先は皇都の管轄だ」先頭の男の声は乾いていた。周囲の風音が消え、馬の呼吸だけが聞こえる。ユリオは馬を止め、手をゆるめた。
「我々は私用の捜索隊だ」ユリオは平静さを装って言葉を繰り出す。交渉はいつもそうだ、先に名を差し出すこと、約束をちらつかせること。だが男の目にはそれが通じなかった。「通行許可を見せよ」
ユリオは文書袋から古びた紙切れを取り出し、風にかざした。紙の中に書かれた文句は、矛盾だらけの約束と命令の寄せ集めだ。彼の持つ能力は、当事者全員の同意のもとで、その矛盾を法として読み替えることができる。合意があれば、制度の筋書きは柔らかくなり、扉は開く。
「同意があれば」ユリオは軽く笑った。「話し合いをしましょう。ここで衝突するのは誰の得にもならない」
だが、先頭の男は顎を突き出し、冷たい笑みを浮かべる。「話し合いに同意する理由があるか。お前たちが何を探しているかは知らぬ。だが、皇都の法は帝の代理が認めぬ限り譲れぬ」
そこで、前方の木立の陰から、短剣の光が走った。ミラが斜面を滑り降り、巡察側の側面をついた。彼女の動きは速く、完璧に計算されていた――だがその直後、もう一つの矢の影が彼女を封じた。数人の巡察兵が飛び出し、彼女を囲い込む。ミラの上着の袖が引かれ、彼女は一瞬だけ顎を上げた。その瞳には、驚きでも恐怖でもなく、決然とした何かが映っていた。
「退け」カイルが叫ぶ。彼は鞍を揺らし、剣の柄に手をかけた。セラフィナは声を上げて、文書を高く掲げる。「我々は不服を申し立てる権利が――」
だがミラが小さく首を振った。「いいえ。行って。ユリオ、行ってください。彼らに私を連れて行かせて。ここが突破口なら、あなたたちが進むべきです」
ユリオは言葉を失った。風が彼の耳を撫で、遠くで烏の喧騒が裂けるように聞こえる。ミラの手は静かに自分の胸の前で固まっていた。彼女は唇を噛み、そして低く言った。「私にできることがある。ここで時間を稼ぐ。あなたたちが手がかりに向かうなら、それを阻止させないで」
ユリオの胸に、何かが軋んだ。仲間たちの命を賭ける選択を、彼は命じる立場にある。彼の能力はこういう場面で最も魅力的に見える。文書の矛盾を読み替え、巡察隊の指揮権を一時的に轉換して彼女を無罪放免にできる。だが、それは当事者である巡察隊全員の同意なしに行えば「一方的に誰かの運命を決める」行為になる。代償は既に彼の背に記されている。
「ユリオ」カイルの視線は震えている。剣の先に砂がちらつく。「今ここで無理にでもやれ。お前にそれができるなら、俺たちは進む。ミラを連れて行ってくれ」
彼の声には懇願の色もあった。セラフィナは文書をぎゅっと握った。ユリオは思考を巡らせる。もし彼が一方的に運命を決めれば――過去にも既に幾つかの選択肢を代償に失った。最初は些細なものだった、帰還の許可、正式な爵位の回復、夜に思い出す母の笑顔の輪郭。代償は見えにくく、しかし確実に彼の中から一つずつ抜け落ちていった。選択肢というものが、彼の内側で文字通り消えていく感触を、彼は覚えていた。昨夜、ふとした拍子に「戻る」という道の細い筋道が消えているのを見つけた。選ぶことそのものが不可能になる空虚。味覚の一欠片のように、手に取れないものになっていた。
「私一人の選択で誰かの選択を奪っていいのか」ユリオは低く言った。声は砂の音にかき消されそうだったが、三人には届いた。ミラの口元が小さく震えたが、彼女はなおも首を振る。「いいえ。私は私を選ぶ。あなたたちの仕事を果たして」
巡察隊の先頭が鞭を鳴らし、冷たい笑みを浮かべる。「彼女の気持ちなど関係ない。移送だ。皆の前例として処理する」
ユリオは馬の手綱を強く握りしめた。風が彼の袖をはためかせ、肌に砂が刺さるようだった。彼の能力は、相手の同意がなければ機能しない。強行できる。しかし、その強行は彼自身から選択肢を一つ奪う。今奪えば、その代償は大きく、取り返しがつかない。ミラの意志を尊重することは、同時に仲間を失う可能性も孕んでいた。選択は、いつだって痛みを伴う。
「撤退する」ユリオは穏やかに決めた。声は意外にも静かで、しかし確固たるものだった。「我々は手がかりを優先する。後で戻って救出する。強制はしない」
カイルは一瞬手を止め、次いで重くうなずいた。セラフィナの目に光るものがあった。ミラは目に小さな光を宿し、口角をわずかに上げた。それは感謝でも恨みでもない、確かな信頼の跡だった。
撤退の合図を出すと、三人は馬を返した。砂が一斉に舞い上がり、夕陽の光を受けて空中に金色の斑を描いた。振り返ると、ミラは巡察隊の間で足を取られ、しかしその背筋は伸びていた。先頭の男は彼女の袖に光る刺繍を指で触れ、口元で何かを呟いた。ユリオはその囁きを直接聞くことはできなかったが、目にした紋章の輪郭が彼の胸に深く突き刺さった。
騎士の革手袋の縁に刻まれた紋章は、彼の手元の古文書の角印と一致した。紙に押された印章の隙間にある小さな獣のイメージ。彼は咄嗟にそれを確かめて、馬上で文書の角をなぞった。確かに、同じ紋章がここにもあった。だが盟約の言葉は矛盾する。巡察隊は王都の外縁でありながら、同じ印章を掲げることである種の権限を主張している。制度が、下々の選択をふるい落とすために再配分されているのか。
ユリオの腹に、既視感のような重みが落ちる。彼はかつて得た選択肢のいくつかが、他人の運命を奪った瞬間に消えていったことを思い出した。今回、彼は一つの選択を保持するために、目の前の人間の選択を潰すことを拒んだ。だが、それはまた、別の代償を招くかもしれない。選択肢が消えるとき、それはいつも予告なくやって来る。
馬を走らせながら、ユリオは文書の印章を眉間に近づけた。夕陽の中で、金の輪郭が冷たく輝いた。カイルが小さく息をつき、セラフィナが低く言う。「あの紋章は、ただの巡察隊のものじゃない。騎士団の下位部隊だ。王都の外縁にいるはずの彼らが、いつからか内側の命令を受けている」
ユリオは言葉を返さず、ただ砂漠の先を見つめた。遠征の目的地はあの先だ。守るべき手がかりが眠るという廃屋の一帯。彼らが捨ててきた