星詠みの悪役令嬢は弟を玉座から遠ざける 第3話「第2章」
銀の皿がぶつかり合う音が、長い食卓の両端まで届いた。室内は暖炉の火で赤く照らされ、香草の匂いが鼻をつく。天井にかけられた星布――家の紋を織り込んだ大きな織物が、食卓の上で折り返されたように揺れる。夕食の余興として、宮廷から招かれた星詠みの老女が、低い声で星の列を詠んでいた。
銀の皿がぶつかり合う音が、長い食卓の両端まで届いた。室内は暖炉の火で赤く照らされ、香草の匂いが鼻をつく。天井にかけられた星布――家の紋を織り込んだ大きな織物が、食卓の上で折り返されたように揺れる。夕食の余興として、宮廷から招かれた星詠みの老女が、低い声で星の列を詠んでいた。
「王位の星——冠の一角が、近日中に主の方へと寄る。時は来たれり、と申します」
老女の指先が、星布の刺繍された一点を指す。そこは確かに他より鈍く光り、織糸が微かに緩んでいるように見えた。席に並んだ親族の顔に、期待と不安が交錯する。伯爵の眉がぴくりと跳ね、向かい側の長老が唇を固く噛んだ。
アイリスは、銀のナイフを磨ぐように見せて手を止めた。指先に残る冷たさが胸の奥にしみる。彼女はその星が何を意味するかを理解していた。だが、目の前にあるのは星の布だけではない。重ねられた羊皮紙――古い制度文書が、重役用の楕円形の箱に入れられている。そこに刻まれた「筋書き」が、何世代にもわたって家の行動を縛ってきた。
「姉上、星が言っています。それはもう運命の追認に等しい。手続きを怠る理由はないでしょう」伯爵の長男であり、儀式執行の責任者を名乗る従兄が、椅子から身を乗り出す。声には確信が混じっていた。
アイリスは言葉を選んだ。「星は示す。だが解釈は人の手にある。文書が示す『時』と、星が示す『兆し』が一致するとは限らない。もし矛盾があるなら、読み替えの余地があるはずよ」
それは彼女の持つ――他人が知らぬ能力を示す意図的な発言だった。古い制度文書の矛盾を、当事者全員の合意で読み替えること。アイリスはそのやり方を習っていた。だがそのためには、ここにいる全員の賛同が必要だ。どの一方の利害でも、欠けてはいけない。
従兄が鼻を鳴らす。「合意? 全員の合意? それは儲けのない時間稼ぎに過ぎぬ。星詠みが示した今を逃すつもりか」
「私が逃すつもりはない。ただ、弟の未来を一夜の詠みに委ねる気もない」アイリスは声を震わせずに言った。だが、心の中ではいつもより鋭くなる危機感を覚えていた。カイム――弟は、皿の端に座って静かに箸を動かしている。彼の目はアイリスに向けられていたが、同時にそこには冷たさが混じっていた。誤解の影が差し込んでいるのが見える。
「姉上は策略家だな。弟を護るふりをして、彼の代わりに決定権を握ろうというのだろう」従兄が吐き捨てるように言う。隣の長老が頷く。伯爵はテーブルを軽く叩いた。「この家の秩序を乱すわけにはいかん。星が示すなら従う。それが信頼というものだ」
一方で小声が交わされるのを、アイリスは聞き逃さなかった。若い従妹、女中長の眼差し。賛成を示すのは、年少の者と使用人階級ばかりだ。カットは、二つの部屋を忙しく往復する執事だ。食卓と応接室のあいだを、皿を載せた手を冷やしながら行き来していた。彼の息遣いが、アイリスの耳にはたびたび届いた。
食事が終わりに近づくと、アイリスは静かに申し出た。「応接室で短い話し合いをしましょう。書類を広げ、どの点が矛盾するかを示すだけです。賛成してくれるなら、今日のうちに合意を取ることもできる」
若い者たちはすぐに席を立った。だが伯爵と長老は首を振る。「外聞を損ねるだろう。我々の判断は変わらぬ」
応接室の扉にカットが立ちふさがる。彼の額には汗が光り、肩で息をしている。「お嬢様、ここで御家ののろしが上がるのは――」
「分かっています、カット」アイリスは短く頷いた。彼にとって、家の体面が第一だと彼女は理解していた。カットは無言で扉を押し開け、椅子を引き、羊皮紙を広げた。そこに記された文字が、火の光に浮かぶ。
若い者たちの賛同は得られた。だが肝心の長老たちが拒む。説明を重ねても、彼らの頑なさは崩れない。アイリスは冷たい汗をかいた。合意が得られなければ、彼女の読み替えは単なる意見に過ぎない。星布の老女が再び天井に向かって低く詠い、食堂の空気が一層重くなる。
「ならば――」アイリスは短く息を吐いた。窓の外、庭の木々が寒風に揺れ、葉が一枚ずつ落ちる音が聞こえた。彼女の中で何かが決まった。合意を待っている時間はなかった。もし彼女が一方的に弟の道を閉ざす行為をすれば、その代償は厳しいと知っている。能力の掟は、頭のなかにいくつもの「もしもの扉」を並べ、そのどれかを選ぶ自由を与えてくれていた。だが掟はもう一つの恐れを孕む――誰かの運命を一方的に決めたとき、アイリス自身の扉が一つ閉ざされるのだ。
カットが皿を持ったまま立ちすくむ。「お嬢様、本当に――」
アイリスは弟の方へ目をやった。カイムは無表情にナプキンを握りしめ、声を出さない。彼女がこの場で座っているのは、彼を守るためだと言い聞かせてきた。だが守るということは、ときに相手から選択肢を奪うことと紙一重だ。アイリスはその危うさを知っていた。
「一つだけ、やる」アイリスの声は冷たく、確かだった。「私は――文書のある一節を、ここにいる者の証のもとで読み替える。だが、これが家の伝統に反するというなら、私自身が自分の選択肢を一つ失うことを受け入れる」
その言葉に、室内が静まり返る。長老の顔が硬直し、伯爵の手が震えた。カットの目が大きく見開かれる。カイムの眉がわずかに動いた。若い従妹は涙ぐみ、だがその目は姉の覚悟を受け止めていた。
アイリスは立ち上がり、羊皮紙に手を置いた。合意は完全ではない。だが彼女は、弟を玉座から遠ざけるという目的を優先した。全員の同意がないままでの読み替え――それは禁忌だった。
唱えるように、アイリスは文言を新たに口にした。声が低く、古い言葉の節回しを借りる。周囲は息を止め、窓の向こうの風の音だけが増幅される。彼女が言葉を結ぶたびに、羊皮紙の繊維が微かに震えた。
最後の語を置いた瞬間、脳裏にある通路が一つ、音もなく閉じるのを感じた。選択肢という名の扉。これまでは「あの時別の決定をしていたら」という可能性が柔らかく並んでいた。しかし今、そのうちの一つが音もなく鍵を下ろした。身体が軽くなると同時に、胸の奥に鈍い穴が空いたようだった。味覚の端が、さっと薄れていく。小さな痛みが、正確に「代償」であることを告げる。
「やったのか――」伯爵の声は、掠れていた。長老は震えながら記録に印を押すように羊皮紙の隅を指差す。カットは膝をつきそうになりながら、皿を置いた。
カイムは立ち上がった。椅子がきしむ音が、床板を伝って響いた。彼はアイリスの前を通り抜けるとき、短く言った。「姉上、これは――芝居なら、もう結構だ。私を守るためだと言うなら、もう離してくれ」
その声には怒りだけでなく、裏切られたという悲しみが滲んでいた。アイリスは、弟が自分の選択を奪われたと感じていることを見抜いた。だが彼女は目を逸らせなかった。自分が払った代償は確かに身体の一部を奪った。だがそれが弟の自由を救える保証にはならない。
カイムは長いコートを羽織りながら、短く言葉を残して部屋を出た。コートの裾が廊下の石に擦れる音が、扉が閉まるまでずっと聞こえた。扉が閉まった後も、その音が耳に残った。
応接室には、重い沈黙と、解決とも違う何かが残った。カットがようやく口を開く。「お嬢様