帳簿の悪役令嬢は王子を選ばない

帳簿の悪役令嬢は王子を選ばない 第5話「第4章」

窓は閉ざされていた。重い木枠の窓板の隙間からは、午後の光が細い帯となって床に落ちているだけだ。光は狭く、長椅子の背に置かれた一冊の帳簿の角にかかり、そこから伸びる影が部屋の薄暗さを深めていた。帳簿の影はまるで何かを指し示すように、細い線を彼――リアルの胸元へと落としている。

窓は閉ざされていた。重い木枠の窓板の隙間からは、午後の光が細い帯となって床に落ちているだけだ。光は狭く、長椅子の背に置かれた一冊の帳簿の角にかかり、そこから伸びる影が部屋の薄暗さを深めていた。帳簿の影はまるで何かを指し示すように、細い線を彼――リアルの胸元へと落としている。

リアルは窓側の長椅子に背を預け、膝の上にその帳簿を置いていた。表情は静かだが、目の奥に冷たい輪郭がある。彼がページをめくるたび、紙の擦れる音が窓の閉まった空気に小さく吸い込まれてゆく。

「来たのか、マリエル。」声は予想外に柔らかかった。だがそこには、自分を守るために笑ってしまう人間の癖のような薄い苛立ちが混じっていた。

マリエルは扉を押し、短い廊下を抜けて彼の前に立った。胸の内に小さな鉛の塊がある。昨夜、自分が払った代償を思い出すだけでその重さは増す。彼女の掌にはまだ、誰かの未来を一つだけ消した感触がうずいている――紙が消えるような、あるいは指先が一つだけ冷たくなるような感覚だ。

「――謝りに来たわけじゃない。説明をするために。」マリエルは帳簿を視線で追い、リアルの額に落ちる影を見た。影が顔の半分を横切る。その影は、彼の顔の輪郭を鋭く見せた。

リアルは小さく笑った。「謝罪なんて望んでいない。だが、説明は聞こう。私は今、君がどんな代償を払ったのか知っている。だから、どう言い繕っても真実は変わらないとも。」

彼の足元には領地からの経費を示す一枚の紙片が落ちていた。マリエルはそれを手に取られたくないと直感した。代わりに、静かに歩み寄って椅子の向かいに腰掛ける。距離は十分に近い。彼の肩越しに、帳簿のページの端が見えた。ページには鉛筆で細かい数字と、いくつかの赤い印が押してある。赤い印は領主の判、あるいは何かの承認印のように見えた。

「あなたの家の会計から、側近手当てを削ったの?」マリエルの声は低い。情報は噂ではなく、事実として彼女の前にある。彼が不利益を被ったのは――彼女が直近の危機を避けるために帳簿の条項を修正したせいだ。修正には代償が必要で、代償は――誰かの選択肢をひとつ消すことになった。消されたのは彼の一部の利権だった。

リアルはページを押さえ、指先で赤い印を撫でた。「君が修正した条項は、王子の側近たちの帳簿につく“緊急保全”条項だ。あれが動くと、誰かの生活項目が調整される。たまたま今回は私の家がその調整対象になった。手当も、今後の昇進の予定も、すべて再評価対象になった。母上は怒っている。父は黙っている。」彼の口元がわずかに引きつる。「だが、言えば済むことだろう? 君は王女で、私のような下位の者のことなど少しも気にしていないと思い込めばいい。」

「違う。」マリエルは言葉を鋭くした。その声の奥で、自分でできることの範囲が狭まった痛みが苦い。彼女はただ制度の一部を読み替えただけだった。しかし読み替えには条件があり、全員の同意が理想なのに、昨夜は時間がなかった。誰かが即座に救われるために、同意を得られない箇所を一度だけ強引に動かした。規則の縫い目に指を差し入れ、裂け目を作った。裂け目は塞いだが、その返礼に彼女は自分の選択肢を一つ失った。

「あなたが、誰かの運命を一方的に決めたんだろう?」リアルが冷たく笑った。「だが君は自分の代償を見せようともしない。卑怯だ。あの帳簿は当事者全員の合意でなければいじれない。それを素手で引っ張ったのは誰だ?」

マリエルは喉が燃えるのを感じた。言い訳するつもりはなかった。彼女は使ったのだ。そして代償を払った。彼女は掌を袖口に押し込み、小さな革の冊子を取り出した。それは――彼女自身が密かに持っている、私的な一覧帳だった。幼い頃、母に渡された“選択の帳”の模倣で、彼女は自分の“可能性”を項目として書いていた。そこには、選択肢、夢、逃げ道、潜在的な未来が詩のように並んでいた。長年の習慣で、それを指先でなぞると安心した。

だが昨夜、そこに空白ができていた。ページの列の一つに、やけに白く消された跡。指で触れると紙は滑らかで、そこには確かに何かが消えていた。マリエルは冊子をリアルに差し出す。「私の代償は――これよ。私の可能性の一つが、消えた。誰かを救うために、私が選べることの一つを諦めた。あなたのことは申し訳ないと思っている。しかし、あの瞬間に選べる道はそれしかなかった。」

リアルは冊子を受け取り、ページの白さを眺めた。彼の指が一瞬震える。彼はその震えを押し殺してから、棚の奥から別の帳簿を取り出した。小さく、擦り切れたその脂紙には、彼の家の収支だけでなく、彼自身の“項目”が書かれている。結婚予定、将来の昇格、王子への忠誠の条項――それらが整然と並んでいた。赤いインクでいくつかの線が引かれ、そこには「変更権:宮廷事務局」「拘束期限:永久に準ずる」と書かれている。

「見ろ。」彼は紙を差し出した。マリエルは眉を寄せながら覗き込む。そこには彼の名前の横に、小さいがはっきりした痕跡があった。鉛筆の横に、ほとんど消えかけた文字で「差替え印」とだけ書かれている。マリエルは知らなかったが、リアルはその痕を長年、自分の胸の内に抱えていたのだ。

「これが――何?」彼女は問い詰めるように聞いた。リアルは肩を竦め、窓の外を見やった。外は曇りで、枯れ葉が静かに回っている。

「表向きには、帳簿は当事者の合意で修正できる。だが、実際には“差替え印”というものが、いくつかの重要な条項には隠し具合に入っている。あれは、宮廷のある部署が持っている。あそこは“安定”だの“秩序”だのと綺麗な言葉で呼ぶが、要は都合の悪い選択肢を消すための道具だ。私の家族は――私のために、あの“印”の効力を借りている。いい結果を得るためのいい道具だったが、今回のように別の誰かのためにその場を譲ると、調整は必ず誰かの不利に出る。今回、私が落ちた。」

彼の声に諦めはない。ただ事実を淡々と述べているだけだ。だがその淡々さが、マリエルの胸を締め付けた。制度が、静かに、そして確実に、人の選択肢を削ってゆく様子がそこにある。帳簿の影が彼の顔を横切るたび、選択肢の消えた白いページが脳裏に浮かぶ。

「抵抗すればいいじゃないか。」マリエルは言った。衝動が口をついて出る。彼女は自分で救った人たちの顔を思い出し、その温もりが胸の奥で揺れる。あの顔を守るためなら、さらに代償を払ってでもリアルを助けることはできる。けれど、それが彼の望むことかどうかは別の話だ。

リアルはその言葉を聞いて目を細めた。「そうだ。抵抗という選択肢もある。だが抵抗は、私の家族の、君が思う以上の許容を求める。私が立ち上がれば、母は庭番にまで圧力をかけられ、父は役職を失うかもしれない。私一人の小さな誇りのために、彼らの日常全部を危険に晒す覚悟があるなら――私は喜んで暴露するだろう。だが、私はそれを選ばない。自己保身かもしれない。だが、それが現実だ。」

その言葉を聞き、マリエルの胸のどこかで冷たいものが落ちた。彼は被害者でもあり、同時に制度を生かす側の人間でもある。その二つを同時に抱く者が、声を挙げない選択をすること――それが、宮廷の帳簿の真の恐ろしさを示していた。

「君は――私に何