時計塔の悪役令嬢は破滅予定を白紙にする

時計塔の悪役令嬢は破滅予定を白紙にする 第22話「第20章」

長テーブルの蝋燭が、低く吐息をするように揺れていた。石造りの会議室は外よりも湿り気を帯び、蜜蝋の匂いと古い紙の臭いが混じる。窓の向こう、街の時計塔はゆっくりと針を進め、三十秒ごとにひんやりした金属音を室内に落とした。音は遠く、しかし確実に、ここにいる誰の鼓動にも触れる。

長テーブルの蝋燭が、低く吐息をするように揺れていた。石造りの会議室は外よりも湿り気を帯び、蜜蝋の匂いと古い紙の臭いが混じる。窓の向こう、街の時計塔はゆっくりと針を進め、三十秒ごとにひんやりした金属音を室内に落とした。音は遠く、しかし確実に、ここにいる誰の鼓動にも触れる。

「最後の読み上げに移る」——エルドランはテーブルの先端で紙束を軽く叩き、眼鏡越しにこちらを見た。彼の声は仮面のように整っていたが、その端に、油で磨かれたような焦りがあった。向かい合う席には書記官テオ、老貴族のリド、そしてセリーヌの仲間たち、ルシアンとミラが並ぶ。端の影に、顔色を失った細身の女が座っていた。カテリナだ。

カテリナは長い間、セリーヌの盟友だった。今は、新令の条文により「過失の再評価」が禁じられ、彼女はその適用対象に挙がっていた。エルドランの新令が通れば、彼女は公の場で断罪され、爵位と居所を剥奪される恐れがあった。

セリーヌは息を吸い、長テーブルの縁に指先を乗せる。手のひらは冷たかった。長い間温めてきた言葉が、今ここで試される。

「待ってください」セリーヌが声を挙げると、鈍い木の音とともに全員が顔を向けた。「この条文には前例と齟齬がある。文言は一義的に解釈されるべきだが、古文書の矛盾が残っている。ここでの解決は、文面そのものを当事者の合意のもとで読み替えることで可能です」

エルドランの眉がぴくりと上がった。リドは唇を引き、テオは記録のインクをちらりと見た。ルシアンが肘をついて前に出る。

「読み替える、だと?」ルシアンの声は低い。低くても、そこにあるのは懐疑ではなく危機感だ。「ただの言葉遊びで、誰かの身の上を変えようというのか?」

「私は、法の原理を毀損するつもりはありません」セリーヌは静かに言った。「しかしこの古い制度文書は、幾つもの矛盾を内包している。それを放置すれば、今ここで決まる『新令』がさらに多くの人の選択を奪う。いま一人――カテリナのケースだけでも、当事者全員の明確な合意のもとで読み替えることが出来れば、無用な断罪を防げます」

カテリナの眼に、微かに光が灯った。彼女の口元が震えたが、言葉は出ない。会議席は静まり、時計の針の音だけが三拍子を刻んだ。

「当事者全員の合意」——テオが書類をめくる。紙の磨れ音が小さく響いた。「それには公定の手続きが必要だ。ここにいる者全員の署名と、当該当事者の自由意思の確認が前提となる。セリーヌ殿は、それを……」

セリーヌは立ち上がり、カテリナの前に歩み寄った。彼女の目は揺るがなかった。「お願いします。あなたの意思を教えてください。誰の手も離れていないと、私には何も為せません」

カテリナはゆっくりと頭を上げた。顔色は白かったが、目ははっきりしていた。「私は……私は断罪されることが恐い」その声は震えた。「だけど、私がここでこの術で救われても、それが他の誰かの選択を奪っていたら、それは救いではありません」

その言葉に室内は一瞬冷えた。ミラが息を吐いた。ルシアンの目が怒りで細くなる。

「つまり逃げるな、と?」エルドランが割って入った。「内輪の同意で辻褄を合わせるなど、王権の前では無効だ。お前は術で有利を得ようとしているだけではないのか、セリーヌ」

セリーヌの手がテーブルの木目を押さえる。彼女は、ここでどう動くべきかを計算しながら、同時に胸の奥のざわめきを押し殺す。能力は、文書の矛盾を当事者の合意で「読み替える」力だ。だが、その読み替えが「一方的」に誰かの運命を決めたと見なされれば、代償が課せられる。代償の形は抽象だったが、いつも確かに重かった。

「私は、当事者全員の合意を取ります」セリーヌは言った。「ここにいる全員の意見を、書記官を介して公に残す。カテリナ、あなたの意思を改めて問う。自由な意思で拒絶することも、受け入れることも出来ます」

テオが書記を広げ、カテリナに向けて羽ペンを差し出す。周りの者たちが一人ずつ、短い言葉を付け加えていった。賛成、反対、条件付きの意見が渦となって流れ、蝋燭の火がそれを映した。セリーヌは一文ずつ、古文書の該当箇所を指で辿りながら、現行の条文と突き合わせた。皆の合意を得て、彼女は静かに、文の一節を声に出した。

「『当該事案が古文書の矛盾に含まれる場合、当事者全員の同意にて再解釈を行う』――ここに記されている趣旨をもって、カテリナのケースは再解釈の対象とする」

言葉が空気を切って落ちた瞬間、蝋燭の火が一度、鋭く揺れた。テオの手が震え、彼はその言葉を記入するためにかすれたインクを押し込んだ。古い紙の上で、文字が波紋のように広がる。セリーヌは掌を握りしめた。

「これで」彼女は息をついた。「公的手続きが踏めました。カテリナ、あなたが自由意思で受け入れるなら、あなたの処遇は変更されます。拒否すれば、手続きはここで終わります」

カテリナはゆっくりと羽ペンを取り、震える線で署名をした。木の床に筆の穂先が残した軽い擦れ音が、丸い間隔で室内に戻る。ルシアンの顔が歪んだ。ミラの目が潤んだ。エルドランは冷たい微笑を浮かべたように見えたが、その嘴は鋭かった。

「では、記録としてここに全員の同意があると認めます」テオが宣言した。その言葉と同時に、書記の側に座る公務員が小さな錠箱を開け、票札を数え始めた。セリーヌは胸の中で、軽い期待を抱いた。法律の言葉が人を助けることは可能なのだ、と。

だが、その直後、彼女の左胸のあたりが鋭くえぐられたように痛んだ。驚きの息を漏らすと、テオの顔が一瞬変わった。彼は記録の一行を指し示し、声を落とした。「セリーヌ殿……貴女の公的選択票が、一つ、消えました」

消えた──その一語は、石を投げ込んだ水面のように会議室を広げた。蝋燭の光が揺れ、時計の針が冷たい金属音を刻む。セリーヌの視界が一瞬鮮やかに、そして不意に狭まった。手の感覚が、微かに麻痺したようだった。

「何を言っている」エルドランの声が低くなる。

テオはページをめくった。そこに記されたはずのセリーヌの票印が、白い空欄になっていた。鋼のように澄んだ公の印章の隣が、ぽっかりと欠けている。

「古文書の読み替えが、当事者の意志を越えて一方的に誰かの運命を決めたと判断された場合、補償としてその実行者の一つの公的選択が抹消されるという、暗黙の制約が反射的に作動した。……法理学上の古い慣習に由来するものです。書記官も説明をつけるべきでしたが、現場で初めて現れることがあります」テオの言葉は申し訳なさと冷たさを同居させていた。

セリーヌの喉が乾いた。選択票とは何か――彼女はわかっていた。貴族として、評議における一票は自分の発言権であり、将来の行動の幅の一つだ。だがそれが、今まさに一つ、手から滑り落ちたことの意味は重かった。

「私が……代償を払ったのか」セリーヌはぽつりと言った。痛みは心の中で増幅し、論理と感情の両方をざわつかせる。

「形式的にはそうだ」テオは静かに肯いた。「不正な一方性が完全に成立していないと、本来はここまでの反動は来ません。だが今回の件は――。」彼は言葉を濁した。

ルシアンが立ち上がる。顔には憤怒が滲む。「お前はその代償を承知でやったのか、