卒業制作室で成績優秀な落第生は一緒に休むことを覚える

卒業制作室で成績優秀な落第生は一緒に休むことを覚える 第25話「第23章」

照明が一斉に落ち、会場のざわめきが小さくなる。金属製の椅子が軋む音、パンフレットの紙がめくれる音が、冷たい空気の中でぽつぽつと続く。ステージ脇の裏手では、透が手袋をはめるように指先をこすり合わせていた。手のひらに残る暖かさがほんの少しだけ頼りになる。目の前には、丸テーブルに並べられた道具類──厚手の和紙、樹脂、色鉛筆、古ぼけた金属のヘラ。会場のライトが透の肩に影を落とす。

照明が一斉に落ち、会場のざわめきが小さくなる。金属製の椅子が軋む音、パンフレットの紙がめくれる音が、冷たい空気の中でぽつぽつと続く。ステージ脇の裏手では、透が手袋をはめるように指先をこすり合わせていた。手のひらに残る暖かさがほんの少しだけ頼りになる。目の前には、丸テーブルに並べられた道具類──厚手の和紙、樹脂、色鉛筆、古ぼけた金属のヘラ。会場のライトが透の肩に影を落とす。

「透、深呼吸して」歩美の声が耳元で静かにする。歩美は表情を崩さないでいるが、彼女の掌は軽く震えていた。舞台袖には結もいる。彼女はこの演目に志願した。二人とも、胸の中に何かを抱えてここに来ていることは透にもわかっていた。

舞台中央に立つと、司会が紹介をして客席の拍手が起きる。主催者側は学生、教員、業界関係者、そして報道関係者を招いていた。配られたフライヤーの端に「公開合意形成イベント」と大きく書いてある。足元で配布した紙がざらりと山になっている。透はそのフライヤーを覚えていた。これが、今日という日の始まりだ。

透はマイクを握り、顔を上げた。声は震えなかったが、喉の奥に緊張がある。

「今日は、僕の能力を『示唆のための補助』として限定して使います。誰か一人以上の合意がない限り、この場では何も示しません。参加は任意です。拒否しても、評価や卒業に不利益は与えられません。……それだけは、ここで誓います」

会場からざわめきが起こる。だが透は続けた。

「僕の力は、二人が共同で作った物だけに、互いの気持ちの痕跡が残ります。けれど、それは完全な言葉ではありません。因果が断定できるものでもありませんし、誰かが『こうだ』と決めつければ、その痕跡は見えなくなります。急いで関係を強引に結びつけようとすると、共同で作ったものは壊れます。それを、ここでは守ります」

歩美が小さく頷き、結はテーブルに出された和紙を取る。二人は相互に目で確認し合い、ゆっくりと手を伸ばした。カメラの赤い録画ランプが二人を追う。

和紙に向かって、二人は言葉を交わすことなく指先を動かす。折り目を合わせ、互いの率直な動きを読み取りながら折り鶴を一つ作っていく。透は傍らで補助するが、手を触れすぎないように気をつける。透の力が触媒となるためには、あくまで二人の「共作」の痕跡が要るのだ。

折鶴は完成した。紙の重なりの線に、かすかな指紋の模様のようなものが浮かんでいる。透にはそれが「息をつくことへの欲求」だと感じられる。色鉛筆で引かれた薄い曲線は、眠りに沈む前の足取りのように見えた。

会場の照明が落ち、スポットライトが折鶴に当たる。スクリーンに拡大された像が映し出され、ささやきが広がる。報道のカメラが食いつくようにレンズを向ける。透は一歩踏み出し、言葉を選んだ。

「これが示すのは、二人が『休む』ことについて触れ合った痕跡です。恋か友情か、将来の選択か、具体的なラベルは僕には付けられません。だけど、この折鶴は、ここにいた二人だけが作った静かな合図です——一緒に休むことを、直接話した跡です」

拍手が起きた。しかし、前列のテーブルで椅子を大きく引く音がした。桐原が立ち上がっていた。彼の顔はいつもより硬く、目が冷たい。

「それでは疑問だ」桐原の声は会場に響く。「学生の進路や評価に関わる可能性がある表現を、これほど曖昧な形で提示していいのか。具体的な証拠がないまま、周囲の評価や噂に利用されかねない」

桐原は手元の端末を操作して、会場の大スクリーンにファイル名を投影した。黒い背景に白い文字で「過去学生評価データ——未加工」と表示される。会場の空気が凍る。透の心臓がぎくりと跳ねる。スクリーンの一角に、学生名の一覧が瞬時に流れる。

「もしこの手法を公的に用いるなら、過去の評価と照合して、教育の質や評価の妥当性を検証すべきだ」と桐原は続ける。声には脅しにも似た確信が含まれていた。「このデータの公開をもって、実験の中立性を保証してもらおう。さもなければ、こちらから全面公開することも選択肢にある」

その言葉は、単なる批判を越えていた。透はわかっていた。桐原が示すのは、個人が隠して生きてきた過去を、容赦なく曝け出す力だ。評価はしばしば人を動かす武器になりうる。だれかがそれを悪用すれば、今日のデモは参加者の未来を縛る道具になる。

歩美の顔が一瞬青ざめる。結は手をぎゅっと握りしめた。観衆のざわめきが再び大きくなる。数人の学生が立ち上がり、抗議と支持が入り混じる声をあげる。どの声も、どこか怯えを含んでいた。

舞台袖で透は選択肢を探した。ここで撤退すれば、桐原の脅しは一時の勝利となり、制度の暴力はそのまま残る。強行すれば、結のような志願者が個人の履歴を晒される危険性がある。透は、彼女たちを守るために能力を使うつもりでここにいる。だが能力の原則は冷たく単純だった。痕跡を「決めつける」ことで見えなくする力の代償は、被害を生む可能性がある。

一瞬、考えすぎた。会場が揺れる。客席の一人が高い声で言った。「彼女たちの同意はどうなるんだ。合意があるなら、公開してみればいい——でも、合意なき公開は駄目だ」

桐原は薄く笑った。「合意の有無は後で検証すればいい。だが透明性を求めるならこちらも手段を示す」

その時、聴衆の中から一人の学生が立ち上がった。名前は伊藤礼。礼は学科の中で飛び抜けて優秀だが、透とも個人的な経緯がある。礼は小走りで舞台に上がり、手に小さなUSBメモリを握っていた。会場の一部が囁きに変わる。

「止めてください」歩美がはじめて声を荒げる。だが礼は歩美の前に立ち、顔を真っ直ぐに結に向けた。

「僕が出します。僕の過去評価データ、全部。研究室の成績、指導教員のコメント、全部。僕が被験者になれば、比較対象ができます。公開で検証してもらおう。僕は自分のデータを勝手に見せられるのを怖がらない。あなたたちを守るために、僕がリスクを取る」

その声は静かだが揺るぎなかった。礼の手は震えていた。彼の表情には、自分の未来に対する恐れと、それを超える意志が同居していた。

会場が一瞬凍る。桐原が礼を見る。そこには計算の色がある。だが画面の隅で、誰かが小さく拍手を始め、やがてそれが波紋のように広がっていく。礼はUSBをステージ中央の端末に差し込んだ。ファイルリストがスクリーンに流れ、いくつかのファイル名が映し出される。音声が弾けるように会場を満たした。

透は胸の奥から何かが抜けるのを感じた。礼の決断は、桐原の脅しを一つ裏返す行為だった。個人が自分の声で、主体的に過去を投げ出すという選択。制度に対して無垢に抗うのではなく、壊れかけた仕組みの中で、自分たちの手でゲームのルールを書き換える可能性を示した行為だった。

だが同時に、透は能力の代償を思い出した。強制や世論の誘導が始まれば、折鶴の痕跡は消える。共同制作は、外圧に馴染まないほど繊細なのだ。礼の公開が始まった瞬間、客席の一角から「真実を知るべきだ」と声が上がり、続いて「しかしそれは彼女たちのプライバシーの侵害だ」と反対の声が混ざった。

結の手が小刻みに震えた。歩美が礼の肩にそっと触れ、礼は短く息をついた。透はステージに戻り、両手を広げた。