水族館で結婚式を嫌うプランナーは故郷に帰る理由を探す

水族館で結婚式を嫌うプランナーは故郷に帰る理由を探す 第27話「第二部幕間」

青い光が天井の低いリハーサル室を冷たく満たしていた。水槽の向こう側で魚群が一斉に方向を変えるたび、室内の影が波打つ。湿ったコンクリートの匂いと、花材の切り口から上がる甘い樹脂の香りが混ざり合う。足元で、装飾用の砂がシャリと音を立てた。

青い光が天井の低いリハーサル室を冷たく満たしていた。水槽の向こう側で魚群が一斉に方向を変えるたび、室内の影が波打つ。湿ったコンクリートの匂いと、花材の切り口から上がる甘い樹脂の香りが混ざり合う。足元で、装飾用の砂がシャリと音を立てた。

「ここで、ふたりで紐を結ぶ。急がないで」
相沢凪は机に置かれた小さなオブジェを、そっと手に取った。藍色に染めた布片と、金属の小さな枠を組み合わせただけのものだ。指先に残る冷たさは、人の肌の温度に近い。枠の縁には、薄く海のような塩の結晶が付着している。

灯(あかり)が傍らで腕を組み、眉を寄せる。花屋の手はゴツゴツしていて、そのせいか古い包み紙の匂いがする。「査定員の噂、まだ消えてないの?」

「消えないから居るんだよ」凪は低く答えた。「でも、急げって言ってるのは向こうじゃなくて、ここの慣習だ。みんな『すぐに見せられる』ものを作ろうとする」

瑛(あきら)と瑞穂(みずほ)は向かい合って座り、手元の布をぎこちなく織り合わせようとしている。二人は研究者だと聞いた。慎ましく、たしかに目配せが多い。凪は彼らに向かって、小さな声で指示をした。

「何かを作るとき、口だけで決めないで。手を動かして、指先で合わせて。時間を分ける。ひとつが今、もうひとつが後で。それで残るものを見るから」

「残るものって、何ですか?」瑞穂が訊く。声が少し震えていた。

凪はオブジェの縁に指先を置いた。冷たい金属の感触が掌全体に広がる。彼女の能力はいつでも出せるわけではない。共有して作った物にだけ残る、――だから「共有痕」と彼女は呼んでいる――微かな熱や匂い、わずかな形の歪みといった、二人の共同の痕跡を読める。しかし、それには条件がある。真正の共同作業で、前提や先入観が入り込んでいないこと。急ぎすぎて出来上がったものは、痕跡を残さない。読むたびに、自分の記憶の小片がぼやける代償もある。

彼女が目を閉じると、まず塩の匂いが強くなる。子どもの頃に嗅いだ、海から上った後の古い木の香り。次いで、二つの手の動きが浮かんだ。手のテンポは異なっていた。右の手がリズムを作り、左がそれを繋ぐ。小さな失敗と、それに笑ってごまかす音。笑い声は一瞬、凪に何かを思い出させた――しかしその瞬間、胸の奥の一部がヒリヒリと欠け、彼女の中の別の記憶が消えた。母の声が、名を呼ぶ声が、ふいに遠くなった。

「……?」凪は指先を離し、肌の冷たさを確かめた。掌に残ったのは、ほんのり暖かい塩の結晶の感触だけだった。灯が気づき、手を伸ばす。

「大丈夫?」灯の声は柔らかいが、眼差しは鋭い。「その顔、読んだの?」

凪は苦笑した。「少し。けど、今は伏せる。読んだことを即座に演出に反映させると、その『正解』を求める流れができちゃう。そうなると、本物の痕跡が壊れる」

「査定員が来たら、そんな悠長なこと言ってられないわよ」一人のスタッフが入り口から顔を出し、安堵のない笑いを漏らした。「映像課が言ってる。ランキングに載せられるショットが欲しいって。時間がない」

「時間がない、って言うけど、時間を作るのは私たちよ」灯はスタッフトの胸元まで歩み寄り、低く言った。「点数のために、ふたりを操るのはやめさせる。彼らが作るものを奪わないで」

話はそこで途切れた。静かな間のあと、扉の向こうで履物がコンクリートに擦れる音がした。査定員の足だ。スタッフの顔が一斉に引き締まる。

「予定外の視察です」低い声の女性が言い、黒のクリップボードを提示した。査定員は礼儀正しく、しかし機械的に動く。名札には「婚礼評価機構 地区査定担当」と小さく印刷されている。凪は胸の内が冷えるのを感じた。機構――それはこの業界をスコアで規定し、式場やプランナーを評価し、資金や公表の可否を決める仕組みだ。噂が人の選択を縛ると、彼女はいつも思っていた。

査定員は会釈して、オブジェを一瞥した。「結婚における共同の痕跡、という主旨らしいですね。時間がありますから、今の手順で披露してください」

「今の手順」――言葉は柔らかいが、意味は明白だ。スタッフはそれを受け、段取りを早めようとする。カメラがセッティングされ、スピーカーがテスト音を流し始める。スマートフォンがカチカチとスタンバイする音。演出課が「見栄え」を優先する目つきで指示を出す。瑛の顔が硬くなる。

「このままでは、ふたりのリズムが壊れる」凪は低く言って、二人の手を見た。瑞穂が目を伏せる。瑛が喉を鳴らした。

「うちの研究は、採点で...」彼は言葉を切った。額の筋が動く。灯が割って入る。

「採点が関係してるの?」灯の声は驚きを含んでいたが、すぐに堅い決意に変わる。「それなら、ここで私たちが何を選ぶかが大事ね」

瑛は俯いた。「僕の研究、次の資金は、外部評価がかなり影響する。予算が降りなければ、プロジェクトが止まる。だから――スコアが必要なんです」

部屋の空気が重く沈む。評価は個人の選択を奪い、弱さに理由を与える。凪はその構図を嫌っていた。誰かを守るために、彼女は自分の記憶を削ることを選ぶかもしれないが、記憶の代償は自分の中の戻れない場所を作る。灯はその葛藤を見透かし、凪の手を強く握った。

「私に任せて」灯は決めたように言う。「でも、方法は違う。ふたりが自分でやるのを止めるつもりはない。私たちは『見せるための嘘』はやらない。もし査定が来るなら、生のままを見せる。結果を受けるのは、彼ら自身」

査定員はクリップボードをめくり、眉を少しだけ動かした。「興味深い実験ですね。もし採点基準に合致しない場合、正しいスコアは与えられません」

「それでいい」灯は静かに頷いた。「私たちが与えるものは『スコア向けの商品』じゃない。自分たちの物語だ」

カメラが回り始める。照明が一段明るくなり、水の色が硬く切り取られる。時間は限られている。スタッフは不満を漏らしながらも、指示の速さを落とした。瑛と瑞穂は互いに顔を見合わせ、小さく笑って、再び布片を手織りし始める。慎重に、互いの手を合わせ直す。凪は深呼吸をして、自分の能力を使うかどうか決める瞬間を待った。

彼女が再び指先を布に置いたとき、共有痕は、今度はもっと濃く、しかし壊れやすく立ち上がってきた。二人の指の動きの中に、確かな同期があった。小さな合図、小さな謝罪。凪にはそれが恋慕とも、友情とも取れる微かな波形として見えた。注意深く読み解けば、彼らの将来の希望がどのように重なり合うかが見える。しかし読むたびに、彼女の頭のどこかから別の光景が引き剥がされる。先ほどの母の声、灯の一言、凪自身の子ども時代の砂利道――何が欠けるかは、その時々で変わった。

「読んだら、何が見える?」灯が囁く。灯は凪のそばで、あえて視線を逸らしている。凪はそれに感謝した。灯は知っているのだ。能力を行使するということは、誰かのために自らの過去の一部を失うことだと。

凪はゆっくりと目を閉じて、オブジェの表面に集中した。今回は、欠けるものが大きかった。鋭い海風に煽られる、古い木の祠(ほこら)の屋根の匂い。幼い自分が座ったベンチの温度。次いで、意外な像が浮かび上がる――小さな魚の彫り物。角が摩耗した鯉とも鰯ともつかない、素朴な