夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える

夏祭り実行委員会で片想いを代行する同僚は大人になりきれない夜を越える 第27話「第二部幕間」

倉庫の蛍光灯は半分だけが点き、残りは昼間の熱を引きずった暗闇を抱えていた。蒸した空気の中に、焦げた糊と揚げ物の残り香が混ざる。柚木は木箱に寄りかかって座り、手の甲で額を押さえた。睡眠時の雑な姿勢のせいか、首筋は固く、右こめかみからは微かな鼓動が伝わる。頭の奥を小さな凧糸が引っ張られるような、いつもの鋭い痛みが来ている。

倉庫の蛍光灯は半分だけが点き、残りは昼間の熱を引きずった暗闇を抱えていた。蒸した空気の中に、焦げた糊と揚げ物の残り香が混ざる。柚木は木箱に寄りかかって座り、手の甲で額を押さえた。睡眠時の雑な姿勢のせいか、首筋は固く、右こめかみからは微かな鼓動が伝わる。頭の奥を小さな凧糸が引っ張られるような、いつもの鋭い痛みが来ている。

「大丈夫か、柚木くん?」

有里の声が近づき、小さな懐中電灯の光が彼の顔を撫でる。彼女は夜の作業着のまま、手に粘土の粉がついていた。指先からは土の匂いが立つ。夜風が倉庫の隙間を通り抜け、提灯のわずかな光が壁に揺れる。

「うん、ちょっと。頭が……」

柚木は言葉を切り、床に転がっていた風鈴の破片に目を落とす。割れたガラスの縁が月光を乱反射して、切っ先のように光った。先週、誰かが共同で作った風鈴は、間違いなく彼の代行によって完成に近づいた。そのとき感じた淡い残像——他人の気持ちが何かの温度として残る感覚——が、まだ胸の底で波打っている。

「またきたのか。ごめんね、私が急がせたから……」有里の声は低かった。責任を感じているのが分かる。彼女は自分のペースで作業するのが苦手で、祭りの期限はいつも迫っている。

柚木は首を振った。「君のせいじゃない。俺が決めたことだ」

彼が選んだ「代行」はいつもそうだ。相手の代わりに手を動かし、二人で作ったものにだけ残るその「痕跡」を見て、伝えるか伝えないかを判断する。だが見えるものを勝手に結論づければ、痕跡は消え、連結は壊れる。急げば急ぐほど作品そのものが崩れて、自分の身体が代償を払う——頭痛、数時間の記憶の欠落、手の震え。柚木はその痛みをもう何度も経験していた。

「瑞月は、あの件の時に言ってたんだ。ルールだけじゃなくて、基礎を変えようって」有里が控えめに告げる。瑞月は委員会で一番口の悪い理想主義者だ。彼女はデータの流出で誰かが人の『痕跡』を評価に使った事実を知ってから、祭りの形式そのものを問い直している。

「基礎って、どういう?」柚木は声を抑える。彼にとって“基礎”は危うい。共同制作は一歩間違えば、記憶の欠落と他人の被害を生む装置にもなり得るからだ。

有里がゆっくりと箱を開け、そこから一塊の湿った灰色の粘土を取り出した。指で軽く押すと、粘土は小さな抵抗を示した後、すっと馴染む。柚木は無意識に手を伸ばし、二人で掌を重ねるようにして粘土に触れた。

接触した瞬間、空気がひゅっと冷たくなった。掌の間に淡い光斑が流れ、紙に浮かぶ墨の薄字のように、誰かの感触が残る。だが柚木はそれを言葉にしなかった。見えても決めつけない。決めつければ、光は途端に消える。

「これを、祭りの日に皆で作る場所にしたらどうかなって」有里が言う。声の端には興奮と恐れが混じっていた。彼女の性格なら誰かに頼らず一人で突っ走るだろう。だが彼女は今、共同を提案していた。

「皆で? 急ぐと壊れるよ。くれぐれも言っておく」柚木は粘土を指先で転がしながら答える。手先に残る温度が、彼に警鐘を鳴らす。共同制作が持つ本質を、彼は身を以て知っている。多くの人の意志がぶつかれば、作品は不均一になりやすく、痕跡の保全ができない。代わりに、彼の身体に大きな代償が跳ね返ってくる。

「それで良いの。瑞月は――」有里が言葉を切る。倉庫の奥の扉が開き、瑞月が現れた。彼女はシャツの袖をまくり上げ、夜露に濡れた髪を一つに束ねている。顔には決然とした光があった。

「急いで作るつもりはない。違う、これは『共有の場』をつくるって話よ」瑞月は倉庫の中央に置かれた作業台に歩み寄り、手をついた。夜の明かりが彼女の横顔を鋭く照らす。「社の上層が『痕跡』を人事に使ってたって、ただの噂じゃなかった。あの流出で見えたのは、私たちが知らないうちに誰かの心まで点数化してる仕組みよ。そうなると、個人の情動は消費される商品と変わらない。私たちの祭りが、参加のための場じゃなくて評価されるための舞台になるのは認められない」

「でも、どうやって防ぐ? 隠せばいいってもんじゃない。表に出てるんだ」有里の声に、苛立ちが混じる。彼女はまだ、自分が誰かのために何かをしたいという衝動を完全には否定できない。

瑞月は柚木を見つめた。「柚木くん、あなたの力はもう隠せない。使われる可能性もある。だからこそ、私たち自身でこの仕組みを上書きするべきだ。『誰もが参加して作ること』でしか残らない痕跡をたくさん作れば、単体でスコア化できなくなる。記録は分散されるし、評価に変換することが難しくなる」

柚木は粘土を掌で包んだまま黙っていた。瑞月の提案には論理があった。だが腑に落ちないものもある。彼は、過去に一度だけ共同を急いで作ったとき、作品がぱりぱりとひび割れ、後から来た数時間が消えたことを思い出す。仲間の笑い声の一部が抜け落ち、そこにいたはずの声が欠けていた。彼の身を以て「急ぐことの代償」は明白だった。

「あの、松井さんが来てるよ」有里が言った。柚木は顔を上げた。入口に新人の松井が立っていた。まだ祭りの夜の緊張に慣れていない若さが、彼の顔に映る。

「すみません、遅くに……」松井は小さな紙包みを差し出した。手が震えている。封筒の中には、花火の写真が数枚と、折り鶴が一羽入っていた。彼の目は赤く光っている。

「誰かに想いを伝えたいんです。直接は無理だから、あの……手伝ってほしいんです」松井は嗚咽を飲み込むようにして言った。彼が助けを求める時の瞳は、まっすぐで、ただ一つの望みを宿している。それは祭りそのものの意味とも響き合っていた。

柚木の胸がきゅっと締まる。松井の若さと真剣さは、彼にとってかつての自分の姿を思い出させる。だが彼は知っている。痕跡は人の意図に従わない。代弁は人を守ることもあれば、傷付けることもある。何より、「決めつける」ことで痕跡そのものが消えてしまう。

「君がしたいのは、伝えること、それとも相手の反応を支配すること?」柚木は静かに尋ねた。問いは有里にも向けられていた。

有里は息を吸って答える。「私は、伝えたい人が自分の言葉で選べるようにしたい。代行は助けになるけど、選択の代替になってはいけない」

瑞月は前に一歩出た。「だからこそ、全員で作る場所をつくろう。個人の痕跡を閉じ込めるのではなく、重ねていく。誰か一人の手で完成させるんじゃない。自分の意思で手を動かす。強制はしない。参加は任意だ。でも、もし誰かがこの場を使って自分の想いを伝えたいなら、私たちはその方法を支える。ただし、条件がある」

柚木は顔を上げた。瑞月の目は真剣だった。彼女は続ける。

「柚木くんの代行は、もはや秘密でもなければ、危険でもある。だからあなたには、一つの約束をしてほしい。ここで使うなら、私たちは全員でその使用を承認する。決めつけを許さないって約束を。あなたが勝手に読むことはしない。私たちが皆で作るのに協力するなら、あなたは代行をする。けれど、使い方を独断で決めることは許さない」

倉庫の空気が一瞬静まった。柚木の掌の粘土がじんわりと柔らかくなり、指先に残る湿り気が現実を引き寄せる。どちらの選択も痛みを伴う。何もしないでいることは、誰かの選択を委ねたままにす