楽器店で交換留学生は誰にも言えない失敗を分け合う

楽器店で交換留学生は誰にも言えない失敗を分け合う 第13話「第12章」

店の奥、古い作業台の上で金属とニスの匂いが混じり合っていた。夕焼けがショーウィンドウのガラスをオレンジに染め、指先に付いた紙やすりの粉が光る。ヤナギ楽器店の裏手の狭い工房には、午後の客足が引いた後も音が残っているようで、遠くの道路を走るバスの低いエンジン音がタクト代わりに聞こえた。

店の奥、古い作業台の上で金属とニスの匂いが混じり合っていた。夕焼けがショーウィンドウのガラスをオレンジに染め、指先に付いた紙やすりの粉が光る。ヤナギ楽器店の裏手の狭い工房には、午後の客足が引いた後も音が残っているようで、遠くの道路を走るバスの低いエンジン音がタクト代わりに聞こえた。

「持ち主の名前は?」ヒカリが呟く。彼女は小ぶりな手でコルネットのベルの端を押さえ、もう片方の手で裏側の凹みの位置を確かめていた。服の袖に黒いニスの点がついている。彼女の動きは無駄がなく、店の奥で一番長く修理をしているらしい顔つきだった。

「リク。学校の部活の先輩だった人の遺品だって」リオは声を絞り出すように答えた。左手の人差し指に絆創膏が一枚。今日、リクは校内オーディションで声が震え、結果的に不合格通知を受け取って泣き崩れた。リオは、その「失敗」を分け合うためにここへ連れて来たのだ。

作業台の上に置かれた小さな木片に、二人は交互にやすりをかけた。触れる手が重なると、ほんの一瞬だけ、木肌が普段より温かく感じられた。リオはその温度変化に反応して、視界の端にいつもの淡い残像を見た――二つの手が同時に触れた証のような、だけど形ははっきりしない痕跡。共同で何かを作ったときだけ現れるものだ。

「急がないで」ヒカリが低く言う。彼女の声には軽い冗談めいた調子も混ざるが、手元は緩まない。リオは息を吐き、言葉を飲み込む。ここで「これはリクの恥だ」とか「彼は本当は…」と決めつけるような思いを向ければ、痕跡はたちまち薄れてしまう。それが彼の能力の条件であり、呪いでもあった。

だが、店のドアが軽く開いて、店主の長谷川が顔を覗かせた。「まだいるのか。もう閉めるぞ。え、ああ――その子はローカルの子か」彼の目がリクに滑り、気まずげに細まる。長谷川は商品としての楽器には目が厳しいが、人の感情には無頓着ではない。リクはカウンターの陰で体を丸め、膝の上で拳をぎゅっと握っている。

「問題ないよ、店長。これ、直して返すだけだから」とヒカリが答え、手に持った細い木片をリクに向けて差し出した。リクはそれを受け取り、ぎこちなく笑った。木の表面はまだ粗く、抉られた溝が残る。リオはその隙間に自分たちのやすり痕を重ねるようにして、ゆっくりと磨きをかけた。

共同で作るということは、ペースを合わせることだ。早さを合わせ、終わりの合図を共有する。リオは自分が焦るとどうなるかを知っていた。以前、急いで誰かの失敗を半分にしたとき、痕跡は粉のように崩れ、相手はそれ以降誰にも頼らなくなった。共有のはずの失敗が、逆に孤立を作ってしまった。だから、彼はこの作業では口数を減らし、呼吸だけで相手のリズムを読むようにしている。

「ねえ、リオ」ヒカリの声が近づく。彼女の目が真剣だった。「今日のオーディション、動画になってないよね?」

リオは答えを探している間に、じりじりとした嫌な気配が鼻の奥をかすめた。スマホのカメラ、無遠慮な好奇心、失敗を見世物にしようとする指先。もしその映像がどこかに流れれば、リクの恥は個人的なものではいられなくなる。共有は強制の商品になってしまう。

「大丈夫だ、多分……」としか言えなかった。彼の言葉に自信はなく、リクが視線を上げて不安そうにする。

そのとき、店のドアベルがもう一度鳴った。リオは反射的に顔を向けると、校内でよく見かける人物が立っていた。彼女は笑っていたが、その笑顔の奥には計算高さがある。アヤ――校内の評価サイトを仕切る女子だ。彼女は話題を集めることに慣れていて、誰かの小さなつまずきをネタにして、ポイントを稼ぐ。

「こんばんは〜、まだやってるの? これって……修理してもらうんだ」アヤの視線はコルネットとリクのくしゃくしゃの顔を行ったり来たりする。ポケットから出したスマホの画面が小さな光を放つ。リオは瞬間、肝が冷えた。

「写真は駄目だよ」ヒカリが即座に言う。彼女の声は穏やかだが釘を刺すように鋭い。「お客さんの許可ないと、うちでは撮らせないよ」

アヤは肩をすくめる。「そんなに厳しくされてもねー、学校の掲示板に載せたら、リク君のインプレッションが上がるかもよ?」

「やめて」リクが小さく呟いた。彼の声は砂を噛むように乾いていた。リオは胸の中で何かが鳴るのを感じた。守りたい対象を前にして、言葉が空回りしないようにしなければならない。

そこへ長谷川がすっと前に出て、アヤのスマホを見ないふりで手招きした。「商売道具は撮らせん。プライバシーもな。外でお茶でもしてこい」

アヤはむっとしていたが、店主の威厳に押されて外へ出て行った。ドアが閉まると、店内の空気が一変した。リクは肩を震わせ、ため息を一つ漏らす。リオは、触れてしまいそうなほど繊細な「痕跡」が再び彼の前に現れる。だが今度は違う。薄い膜のように、いくつかの色がうごめいている。彼は視線を泳がせずに、ただ静かにそれを共に扱う手の中に閉じ込めようとした。

「急がないで、ね」ヒカリが手のひらを差し出す。リオはその手を取る。二人の手が木片に触れると、暖かさが流れ、リクの顔からわずかに力が抜けた。ヒカリが小さく歌うように、作業のテンポを声で示す。リオはそのメロディに合わせてやすりを動かす。共同制作が壊れないように、互いにペースを守るのだ。

リクが小さく笑ったのは、ささやかな成功だった。木片の溝が埋まり、指で撫でると表面は滑らかになっている。リクは指先に伝わる感触で、明らかに何かを感じ取ったらしい。彼は深呼吸を一つして、目を閉じる。リオはその瞬間に、二人だけのための痕跡が静かに形を成すのを感じた――だがその形を言葉にしてはいけない。言葉が加わると、痕跡は形を変えてしまう。

「ありがとう、本当に」とリクが気づけは呟いた。ヒカリは肩をすくめて照れくさそうに笑う。リオは心の中で小さな重荷が軽くなるのを感じた。だが同時に、外に棲む制度の気配がますます強くなるのを察した。人々の失敗を評価し、点数化し、商品として並べる力が、じわじわと町の空気を変えている。

その夜、長谷川が小さな段ボール箱を抱えて工房に戻ってきた。埃を被った箱の蓋を開けると、中には古い封筒が幾つも収まっていて、封筒には手書きの名前と、薄い紙のタグが入っていた。タグには「共有痕跡保管」と鉛筆で書かれたものもあれば、かすれた印章のような丸い跡が押されたものもある。箱の底には、ある時代に使われていた小さなガラス管が一つ、金粉のような残骸を抱えて眠っていた。

「これ、昔の記録だよな?」長谷川が言う。手が震えているようだった。彼の声は普段よりずっと低い。ヒカリとリオは顔を見合わせる。封筒の一つをヒカリがそっと取り出すと、中には短いメモと、薄紙に包まれた木節の小片が入っていた。メモには「昭和◯年、共同痕跡——研究用」と書かれている。書体は丁寧だが、どこか奔放さも残る。

「どういうことだ、店長?」ヒカリが尋ねる。彼女の目が箱の中のガラス管に釘付けになっている。

長谷川は手のひらで顎をこすり、窓の外の街頭をちらりと見た。「昔、楽器店が使われたことがあったんだよ。医者でも役所でもないが、誰かが人の声とか感情を集めて記録する時代があったって聞いた。