神社の社務所で帰省しない社会人は別々の未来を応援する 第11話「第10章」
夕暮れの光が社務所の障子を金色に透かしていた。畳に落ちる縞模様を見ていると、時間がゆっくりと削られていくように感じる。航は木のカウンターに肘をつき、すぐそこに置かれた朱印帳の端を指先でなぞった。紙の匂い、朱の湿り気、古い欄間から差し込む冷たい風——すべてが社務所を「ひとつの時間」として結んでいる。
夕暮れの光が社務所の障子を金色に透かしていた。畳に落ちる縞模様を見ていると、時間がゆっくりと削られていくように感じる。航は木のカウンターに肘をつき、すぐそこに置かれた朱印帳の端を指先でなぞった。紙の匂い、朱の湿り気、古い欄間から差し込む冷たい風——すべてが社務所を「ひとつの時間」として結んでいる。
「航さん、すみません、お願いがあるんですけど……」
小さな声に顔を上げると、門前の石段を上がってきたのは芽衣(めい)だった。手には紙袋が抱えてあり、袋の口からは折り紙や絵馬の未完成の束が覗いている。背後には、硬い表情の町役場の男が二人、じっと社務所を見下ろしていた。ひとりは名札に「桐山」と書かれている。羽織の縫い目が妙に真面目で、彼らの存在は社務所の空気を一瞬で変えた。
「今日は町の委員会の要求で、社務所を『共同制作会場』にしてほしいって。評価用のデータを集めるんだって」
芽衣は言葉を畳みながら、紙袋の中をちらりと見せた。そこには短冊、糊、ペン、そして二人一組で作ることを想定した小さな木箱のキットが並んでいた。時間制限と、出来具合を数値化するためのチェック表も添えられている。
「締め切りが三時間で、提出物は写真で撮って集計するらしい。『協働スコア』ってやつ。町長の命令、とか」
桐山が白い封筒を渡しながら説明する。封筒の中には業務連絡と、共催に伴う保険書類、そして「データ取得の同意書」が入っていた。彼らの視線は実に冷たく、社務所の木組みにまで数字の枠を投げ込むようだった。
航はじっと封筒を見た。社務所で人が何かを作る、ということを数字で切り刻む発想は、いつも胸の奥で重石のように響く。――社務所は、結ぶ場所だ。結ぶことを外部の数値が定義する。そうじゃない、と航は言いかけて、言葉を飲み込んだ。
「共同制作の場は用意する。でも、撮影や同意書の強制は困ります。皆が自由に作れる時間にしたい」
芽衣の声は震えていなかったが、彼女の手はほんの少し震えている。桐山は平然とした顔で首を振る。
「町としては統一した基準が必要です。祭りも観光も、すべては町の資源です。協働スコアによって、どこに投資するか決めるんですよ。民間の情緒では運営できない」
役場の言い分は事務的で、重い。だが問題は、その重さが人の選択を押しつぶすことにあった。桐山は言い訳のように付け加えた。
「それに、データがあれば若者たちも自分の特性を知れる。効率的に進路が選べます」
「効率って、何を効率化するんですか?」芽衣がきつく言う。彼女は小さな袋を抱きしめるようにして、目を逸らさなかった。
そのとき、社務所の引き戸が軽く開いて、中年の男が入ってきた。名は直人。彼は町の若手職員で、以前から祭りの運営を手伝っていた。顔色は悪く、肩にかけたバックパックからは消毒液とタブレットの匂いがした。
「すみません、役場から急な指示で——」直人は言い訳にならない言い訳を続けた。「でも、今回の測定は町全体の方針です。桐野さん(※別の委員長)の承認もあります」
名前が出た途端、芽衣の肩がカクンと下がった。桐野。町の評価システムを推し進めた男。航はあの男と会うたびに、社務所のかすかな痛みを思い出す。
「三時間ですか……」芽衣はぽつりと言った。「それだと、共同で作るっていうより、作らされるだけになってしまう。『一緒に考える時間』が奪われる」
航は、今ここで何をすべきかを探した。彼にはあるやり方がある。人と人が共同で作ったものには、その痕跡が残る。触れれば、どの指先がどの瞬間に躊躇したか、どの言葉が空を横切ったかがわかる。二人で息を合わせた跡は、木に、紙に、糊に、確かな痕として残る。その痕跡を読むことができれば、誰がどんな未来を望んでいるかを、誰にも強制されずに知る手がかりになる──それが航のやり方だった。
だが能力には条件があった。共同で作った「本物」にしか痕跡は残らない。いささかでも片方が心ここにあらずであれば、痕跡は薄くなる。何より厄介なのは、航が痕跡を決めつけてしまうと、痕跡そのものが見えなくなることだ。つまり、救済のつもりで勝手に結論を出すことはできない。もう一つ、共同制作を急がされると、共同性そのものが壊れ、そこに残るべき痕跡は生成されない。
「じゃあ、こうしましょう」
芽衣が瓶の蓋を開けるように、堅い空気を割った。彼女は袋から木箱のキットを一つ取り出し、カウンターに置いた。指先が少しだけ震えていたが、目ははっきりしている。
「公式の時間でやる人たちには、役場のやり方でやってもらっていい。だけど、私たちは夜に『自主制作』をやる。時間は制限しない。作りたい人が来て、自分たちで決める。それでいい?」
芽衣の提案は単純で、しかしそこには反抗の意思があった。桐山が鼻で笑い、直人が焦ったように口を開く。
「ですが、統計に抜けが出ます。全数を取らないと意味がない」
「意味がないって、誰の意味ですか?」芽衣が返す。直人は口ごもる。
「航さんも、協力してください。あなたには……」芽衣は言葉を濁したが、その先を読む必要はなかった。航には頼まれることが多かった。人の作ったものに触れて、その痕跡を確かめさせてくれ、という頼みが。
航はゆっくりと木箱に手を伸ばした。木のぬくもりが指先に伝わる。わずかな木目のざらつき。二人が並んで組み立てるときに交差する息遣い。それが航の世界だった。
「わかった。夜にやろう。社務所で、自由に作る場を作る」
芽衣の顔がふっと和らぐ。桐山はそのやり取りを記録のように見つめ、手の中のスマホでメモを取った。
日が沈んで、社務所の中は電灯の暖色に包まれた。役場の主催する「協働マラソン」が表の広場で行われ、若い人たちが制限時間に追われながら写真を撮られていく。一方で、社務所には芽衣の呼びかけを聞いた数人が集まっていた。既に夕食を済ませたらしい学生、幼い子を抱えた母親、祭りの太鼓を叩く青年、そして直前まで反対していた直人までもが、どこか肩の荷を下ろした顔で座っている。
航は中央にある小さな座卓にカットした和紙と筆、糊、木箱を並べた。誰も急かさない。誰も強要しない。その約束が場を柔らかくした。芽衣が具材を手渡し、参加者たちはそれぞれに言葉を交わしながら作業に取りかかった。
航はふと、となりで向かい合う大学生の二人に目がいった。彼らは将来について迷っているらしく、どちらも声を押し殺していた。互いに譲らない。片方は大学院進学を考えており、もう一方は地元企業で暮らすことを望んでいる。役場のスコアが出れば、どちらが「協働に向くか」が数値になる。その圧力が、彼らの間に悶々とした空気を作っていた。
航はそっと二人の作業している木箱のふたに触れた。指先を滑らせると、ふたの角に残る糊跡から、二人の微かな痕跡が浮かんだ。息遣いのタイミング、わずかな手の重なり、言葉にならなかった「ごめんね」や「待ってて」のような断片的な音声が、色のない糸のように見える。しかしすぐに航はその糸の輪郭が揺らぐのを感じた。彼の頭の中で、「彼は研究を選ぶだろう」「彼女は地元を離れないだろう」と結論を描こうとする気持ちが、糸をつかんでしまったのだ。
そ