運動部の倉庫で休学中の画家は季節限定の約束を守る

運動部の倉庫で休学中の画家は季節限定の約束を守る 第8話「第7章」

倉庫の鉄扉を押し開けると、夜の空気が一気に濃くなった。冷えたコンクリートの匂い、古い木材と革の混じった、長年の汗のにおいが鼻腔に絡む。ランプの灯りが床に長い影を落とし、壁にかかったユニフォームやネットのシルエットが揺れる。空也は肩にかけた肩掛け袋を下ろし、手袋の先でランプのスイッチを確かめた。手に残るペンキの微かな匂いが、胸の奥のざわめきを掻き立てる。

倉庫の鉄扉を押し開けると、夜の空気が一気に濃くなった。冷えたコンクリートの匂い、古い木材と革の混じった、長年の汗のにおいが鼻腔に絡む。ランプの灯りが床に長い影を落とし、壁にかかったユニフォームやネットのシルエットが揺れる。空也は肩にかけた肩掛け袋を下ろし、手袋の先でランプのスイッチを確かめた。手に残るペンキの微かな匂いが、胸の奥のざわめきを掻き立てる。

「遅かったね」

里緒は紙の束を抱えて、薄い息をついていた。息の白さがランプの光に反射して、彼女の頬骨を鋭く見せる。裾のスニーカーには泥が乾いている。彼女の手には、学校の窓口で受け取ったという書類と、いくつかの了承のサインがあった。

「話は終わった?」

空也は帽子を脱いで、頭の汗を払った。今夜は二人で夜通しで作ると決めていた。倉庫を保存するための横断幕を、里緒と空也が共同で作り、その「痕跡」を彼が確かめる――それで人々の気持ちを集めるつもりだった。

里緒は紙束を床に置き、肩をすくめた。「うん、理事の一人に会えた。でも条件がある。公開での署名運動をして、二週間で一定数を超えなければ、倉庫は来月の解体候補に入れる、って言われた。話はそれから進める、って」

「二週間か」

空也の言葉はうわの空だった。息を吸って、目の前の木の机に置かれた古い帆布を触る。ざらついた繊維が指先にひっかかる。ここで作るものだけに、彼は残る痕跡を読むことができる。だから、共同で何かを作ること――ゆっくり、確かに手を重ねていくことが必要だった。

「夜中にやる理由、わかる?生徒も、外部の人も呼べる。目立つほど賛同が集まるって、理事に言われたの」里緒の声は小さかったが、決意があった。「でも、空也。私たちがやるべきことは、人気の数字を積むことだけじゃない。倉庫を守る理由を見せること。ここにいる人たちの、ここで過ごした時間や感情そのものを」

空也はうなずいた。里緒の言葉は的を射ている。だからこそ、彼は自分の能力を使えば、共同制作の「痕跡」を集めて――人々の言葉ではなく物に残る感情を提示すれば、理事たちの数字主義を揺さぶれると思っていた。

「じゃあ、横断幕を二種類作ろう。一つは署名用の大きい絵、もう一つは倉庫の壁に飾る共同制作。両方あれば、いや、両方で勝負できる」

里緒が笑ったように見えたが、すぐにその表情は引き締まった。「いいわ。でも、今日は直接手伝ってくれる人もいる。武が手配して、OBが何人か来るって。あと、明日には校内に配るポスターを大量に印刷するって」

「大量印刷?」

空也は一瞬、胸が冷たくなった。ポスターは便利だ。だが大量生産は共同制作とは違う。機械印刷の紙に付く温度や手の圧は、彼の能力が読む“痕跡”とは相性が悪い。共同で時間をかけて作ったものだけが、彼の中で光るのだ。

里緒はその表情の変化に気づいたのか、静かに言った。「急ぐ必要があるの。理事会の期限もあるし、武たちは人数が必要だって言う。空也、あなたができる範囲でいい。今は、とにかく人を動かすフェーズなの」

床の上に置かれた古い木箱から、使い古された絵具管を取り出す。蓋を開けると、白や青、黄の柔らかな匂いが立ち上った。空也は里緒の隣に膝をつき、帆布を広げる。二人の間には、夜の倉庫の空気以外に、何か小さな期待が流れた。

筆先が触れ合い、色が滑る。二人は黙って、言葉の代わりにトーンを合わせていく。空也は筆の動きに身を委ね、注意深く里緒の呼吸を拾った。彼女の手は思ったよりも速く、確信を帯びている。刷毛が帆布に残すリズムが、空也の中にひかりを灯した。その痕跡を探ろうと、彼は視線を下ろす。ペンキの盛り上がり、押された指紋の薄い凹凸――そこに、二人で作った時間がたしかに埋まっている。

「わかる?」里緒がぽつりと聞いた。

空也は一瞬、彼女の目を見たかったが、帆布の中へ視線を向けた。色の混ざり方、塗り残しの端、二人の筆圧。言葉にすれば簡単だが、彼の能力が表すのは言葉を超えた“匂い”のようなものだった。暖かさ、緊張、溶け合うような抵抗――それは確かに彼の中に現れていた。

「ここには、怖さがある。だけど――希望もある。あなたは、守りたいんだ。守るために動いてる」

その瞬間、帆布の色が微かに震えた。空也には見えた。キャンバスの繊維の奥で、色が一瞬くすんでから、また鮮やかさを取り戻すような瞬きのようなもの。痕跡は彼の意思に反応する。だからこそ、彼は慎重でなければならなかった。

「よかった」里緒の声に救われるような温度が含まれた。「それを見てほしかった。これがあれば、理事たちにも伝えられるかもしれない」

だが、そのとき、外から金属の足音が響いた。鉄の扉が乱暴に開かれ、武と数人の旧運動部員が息を切らして入ってきた。背負ったビニール袋には、刷り上がったポスターがぎっしり詰まっている。彼らの顔は焦りと決意で赤かった。

「間に合ったぞ!」武が声を張る。「これで校内配布はOKだ。さっき印刷屋に頼んで、朝一で全部配れる」

彼らの到来は、空也の胸に波紋を立てた。大量のポスターが床に放り出され、白い紙の香りが倉庫の空気を新たに満たす。武はそのまま袖をまくり上げ、手近な角材を持って来て、壁に仮止めのための重しを置いた。

「速さで勝負しないと、数字で負ける」武が言う。汗が首筋を伝っていた。「ここを残すには、とにかく人の数。ポスターは力になる」

里緒は一歩前に出た。「両方やるわよ。ポスターも、横断幕も。だけど」

「だけど?」武が空也を見る。

空也は帆布の上に置いた自分の筆を握り直した。頭の中で冷たいアラームが鳴る。共同制作と大量印刷は相容れない。だが時間は二週間しかない。ここで決めるのは、どの道を優先するかだ。

「俺たちの共同制作を壊さないでほしい」空也の声が思いの外小さくて、自分でも驚いた。「急ぐと、壊れるんだ。共同で作るものは、急がせると、そこに残る痕跡が消える。…俺の見方だとそうなる」

武は眉をひそめた。「それって、また例の能力か? 今は数字だ。里緒が理事と話して、期限があるって。そこを突破しないと、ここは終わりだ」

言葉は冷たくはない。だが彼の口調は結果を求めていた。空也は自分が守ろうとしたものが、いつの間にか彼一人の軸に寄っていることに気づいて胸が締めつけられた。仲間たちは現実的に動かなければならない。学校という制度を相手にするには、彼の繊細な方法だけでは足りない。

「じゃあ、せめてこれだけは――」里緒が空也の腕に手を置いた。「一つの大きな共同制作を、今夜だけはここでやろう。人がいる。時間は限られてるけど、ゆっくりやる余地は作れる。ポスターは別に配って。両方やるって話じゃだめ?」

その言葉には、彼女の中で調整しようとする意思が見えた。だが武は首を振った。「二つは重荷だ。人手が分散したら、どっちも中途半端になる。いいか、票集めは票集めでやる。現場の情緒――それは後だ。まずは数字を」

議論は熱を帯び、空也の頭の中も加熱していった。自分の能力の“痕跡”は、彼が自信を持ちすぎたり、他人の気持ちを決めつけたりすると、くすんで見えなくなる。今はその条件を越えられるかどうかが試されていた。彼は自分の考えを押